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『Shogun』への偏見は捨て去るべし。
今から30年程も前、初めてイギリスに学生として来た頃、「え、日本人なの!じゃあ『Shogun』って知ってる?」と、キラキラした目で何度か聞かれたことがある。その『Shogun』は、1975年にジェームズ・クラベルが書いて欧米でベストセラーになった小説のことか、もしくはそれを80年代に三船敏郎を起用して作ったドラマのことを指していた。
そう質問してくる外国人たちを見ていて、私は「せいぜいアメリカ人作家が日本の侍ファンタジー小説を作って、日本の歴史をエキゾチックに置き換えて面白がっているだけなんだろう」としか思っていなかった。ところが、真田広之のリメイク版のおかげで、その思い込みを改めることになった。
『Shogun』が話題となった2024年、私が住むイギリスの街の大型書店にも、ジェームス・クラベルの『Shogun』がほかのベストセラー作品とともに平積みされて店頭を飾っていた。その光景を見て、驚いた。原作はとにかく分厚いのである。他の小説と比べてもページ数の多さから、平積みだと一段と良く目立つ。トールキンの『ロード・オブ・ザ・リング(三部作)』が約45万5千語、M.ミッチェルの『風と共に去りぬ』が約42万語で書かれた小説であるのに対し、『Shogun』は、約50万語と言ったら、その凄さが伝わるだろうか。もちろん小説の中には日本の風習が勘違いされて描かれている部分もかなりあるようだが、「勘違い」だけで長編小説を成立させることは無理だ。ベストセラーは、一旦ページを開いたら読者をどんどん引き込んでいくストーリーがないと成り立たない。
ジェームズ・クラベルは27歳で映画業界に転職するまで、イギリス陸軍の中尉だった。第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となり、シンガポールのチャンギ刑務所で終戦を迎える。転職後、いくつかの作品の脚本・監督を担当して成功を収めた頃、たまたま娘の学校の教科書から1600年頃日本でサムライになったというウィリアム・アダムスのことを知り、そこから発想得て『Shogun』を書き始めたという。
『Shogun』のストーリーが読者や視聴者を飽きさせない理由は、彼の軍人としての実体験がプロットに反映されているところにある。日本軍の捕虜となった経験から、戦国時代の日本に流れ着き徳川家康に運命を委ねることになったイギリス人航海士に、想像力をふくらませることは容易だったはずだ。また軍人としての実体験は、私達がよく知っている戦国武将の物語に、まったく新しい軍略家としての家康像を描き出すのに生かされている。
真田氏自身、原作にある間違った日本文化への認識を修正した作品を作りたいという意図もあっただろうが、新しい『Shogun』では、日本人ではないクラベルだからこそ描けた壮大なスケールの戦国時代の物語を、そのスケール感を失うことなく映像で再現している。
でも、ただ膨大な制作費を使ってスケール感を出しただけのドラマではない。「リアルな時代劇」と言うと明らかに史実とは違うフィクションなので語弊があるかと思うが、この『Shogun』の面白みは、登場人物の間に自分たちの命運を示唆するような予定調和的なセリフや表情がないところだと思う。通常、歴史ドラマの展開というものは、すでにネタバレされているものである。ドラマの監督も役者も観客も、石田三成が負けて家康が勝つことを知っている。また三浦按針が家康の元で生き延びて日本に定住したこともウィキペデアですぐに調べられる。でも、物語の中で生きる登場人物たちだけは、自分たちの命運を知らない。この暗黙のルールが『Shogun』ではきっちりと守られていて、登場人物たちは、物語上に存在する数少ない情報を元に自分の命運を見極めようと必死に考え行動し、それが物語を動かしていく。決断を一歩間違えれば、待つのは「死」。ドラマ『Shogun』の戦国時代は、そういうヒリヒリした緊張感を元に成り立っていて、それが視聴者の肩をがっちりと掴む。
「自分の命運を知らない」という演技で視聴者の思惑を撹乱するのが浅野忠信演じる樫木藪重で、浅野氏に助演男優賞というのも十分に納得できる。
とにかく第二シーズンにも期待している。