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雑談と、2つ目の...考察 誰だ俺は、と熟睡する心

雑談を前置きとして使おうとする提案

 近頃、大学生としては初となる春休みに突入し、1日1日をだらだらと無駄に消費した結果、無事に昼夜が逆転してしまいこの時間に何も計画を立てずキーボードを叩いている。

 前々回まで書いていた私の思考回路をそのまま垂れ流した謎の物体から、真面目な文と私の思考回路を半々で混ぜたNoteに物を書く道を変更してからというもの、文を書くことが楽しくなってきた。

 たまには1つのテキストを丸々真面目で埋めることも悪くはないかなぁ、そんなことを思いながら私は論理学の本を開いた。

 論理がちゃんとしていれば、たとえいつもの文章を書くノリでも自ずといい文章は書けるだろうと、そんなことを考えながら論理式の例題から目を滑らせては必死に引き戻し、倫理学という学びの軌跡をなぞっていた。

…あれ、おかしいな…
大変だ。何も分からない。

 文章を接続するための記号の意味は分かる。式の立て方も分かっているのだが、それらを全く活用することが出来ない。例題の答えを見ても全く分からない。

途中式が突然変異し、凶悪な記号となって私の脳を蝕んできてきたのである。
また最初のページから学び直す必要があるか…

 畢竟、私が知識人ぶった凡人であったことが残酷なまでに示された夜であった。
それでも、私の実力不足を自覚できただけでもいい経験であった。
まだ脳は死んでいないのであろう。
まあ、そんな長ったらしい前置きはここまでにしておいて、自分自身に対する考察に入ろうかと思う。

正直2回も考察するとは思わなかったな(笑)

最近、私は楽器が好きな人が集う某コミュニティに所属している。
そこでは、今の私では到底手の届きそうにない領域に居る方々が、セッションや音出しといった名目で積極的に活動している。
私は基本的に傍観者として(観客といった方が正しいが、あえてこの表現にしていただく)それらの活動を拝聴しているのだが、時折心の中で憤りを感じる時がある。
しかも困ったことに、その憤りは時々私に拝聴するのを中止するよう要求してくる。
それが本当に不思議であった。
私は音楽が好きなのはもちろん、楽器を弾くことも聴くことも好きだ。
しかし、それなのになぜ憤りを感じるのか?

嫉妬なのか…?私の中で起こる憤りの原因を探る中で、そんなことも考えていた。

 辞書で意味をパラッとめくってみる。嫉妬は妬んだり憎んだりする負の感情であるらしい。
しかし、私がセッションを聴いていた時、「かっこいいなぁ~」以外の感情は出ていなかった。
事実、それが終わった後に謎な精神のスランプが発生したわけでもないし、かといって人がいるのに会話も返事もせずに練習できるような愚直な努力家にもなったわけでもない。
そんなこんなで考えていたところ、ある一つの答えにたどり着いた気がする。

己が己に対して、反省しろ!と警告するのだ。

それは絶望や嫉妬ではない。 ある意味私の心に存在するリミッターのようなものである。
何に対してのリミッターであるかというと、
活動中にどうしても生じる悪かったところをあげつらおうとする邪悪な態度に対して、である。

 私は、ライブやらセッションやら何やらで楽器を弾くとなると、どうしても自分にフォーカスを当てたくなる。
それは本来己の甚大なる自尊心からなされる自己満足であるが、それでいて足りないところを洗い出し、己に試練を与えてくれる貴重な行為でもある。

しかし、私は、ある悪いギャップが生じると、それが強く脳に刻まれてしまうという、重大な性格上の欠陥を抱えている。

これは、自分に良いフォーカスを全く当てることが出来ない。悪い所だけがフォーカスされてしまうためだ。
その結果として、己を磨く意志もことごとく自己嫌悪の波に攫われてしまう。

 非常に悔しいが、それは他人にも、ものすごく軽くではあるが適応される。
これは私の経験なのだが、拝聴した後一つのギャップしか記憶に残らず、たとえギャップ以外が記憶に残っていたとしても、強く記憶に残ったギャップを起点として物事を測ってしまうために、それに関する評価しか出ない傾向がある。
そうなってしまうことを避けようとした結果、どうしても「良かったなあ」だとか「さっきかっこよかったよ」だとか、そんな大雑把な誉め言葉しか絞り出せないことが多々あった。
もちろんギャップをあげつらうことはしたくないし、口にも出さない。しかし、さすがは己。その良くない態度を真っ先に見つけ、自己嫌悪という形で警告してくれる。

つまり、そんな歪んだ態度で拝聴する私に、私の心を検閲する部分が憤りに似た自己嫌悪という形で反省を促してくれるのであろう…といった結論に達した。

で、これをどう変えるか?ってね、プレーンの苗がそう言ってるんですよ

ギャップを見る癖は、己だけに適応すればよい。
そんなことをある爪楊枝は言っていた。
じゃあ、人に対してはどう見る癖をつければいいのか?
癖とかそんなもんじゃなく、純粋な気持ちに出来る限り立ち返ることが重要である、そう言っていた。
ひたすらに全体としてのリズムを聴き、全体の調和を味わい、それを言葉に変換して己の心、ひいては弾いた者にぶつける。

語りすぎると困るがね。 言葉を厳選して伝えるのが大事なのさ
そのプロセスをなぞれるようになるには、絶対に自己肯定感を上げ続けなければならない。
自己肯定感がカスなうちだと、心の余裕が無くなる。
心の余裕がなくなると、何を見ても何を聴いても感じることのできるものはギャップのみである。

さて、自己肯定感が上がるにはどうすればいいかな… 実力が伸びてから得ることができるものは、よくよく見ると、己の位置が行方知らずになった末の傲慢な態度であることがよくある。

それを鑑みると、恐らく他人へのリスペクトと自分へのリスペクトを絶えず忘れないことが自己肯定感をあげるには大事なんであろうな…と、未熟ではあるが一つの答えが出たところで、今日はこのノートを閉じようと思う。

 長々と私の拙い文章を書いてしまった。もう少し文を書くことを学ぶのも悪くないかな?
そんなことを強く認識した。やはり自己の洗い出しは迚も楽しいものである。だが、洗いすぎて精神が溶けないようにしたいものだ。

船の上に立たされた単4電池はどのようなことを思い出すのだろうか!?

おーい、と山に向かって一瞥、5回手を叩くと出る声をひたすら、ひたすらに叫ぶと、そのとき電池はそこにいる気がする!
そこだ、そこだーーー!!!単4電池は単一電池にボコボコにされてしまい、そして思ったことがあるらしいんですよ。 そう、そう、そう、単4電池は単三電池にしかなれぬ運命。
ダニングクルーガー効果により自己傲慢を増やした電池はそんなことを思いながら海に飛び込もうとしたが、そこで止めるは一瞥した声。
声が、聞こえるか?そんなことを思ったらしいんですよ!単4電池は面白いよね
そんなことをおもいながらそれはあるものを出した。実態なきものがモノを出す?ものづくり検定122段だな!!
なんだと思う?枕だよ。 枕はそこにあるだろうが、声枕は海辺に三角状のフィールドを展開してくれる。そこは毛布のように柔らかいが、単4電池、しぶとく言う。
やい、俺はきゅうりになりてえんだ。 そんな焼き人参を炒めてパスタ状にしたものを残酷に切り、そうして出来た者に多少の絶望と希望を載せて対消滅させた結果できたドス虹い冗談づくしの赤い皿のようなものが1立方cm入ったみりんを燃やし、油を添えたままのバーモンド佐藤が作った炊き込み電子レンジになんてやりたくないぞ。←説明用語(笑)
声は笑う。笑うぞ笑う。これ俺が笑ってるんじゃね?鏡を見てみたらまじで笑ってておもろい!おもろいトカゲになれるよ。お前は絶滅予定種にしてやる。
丸の内線が通過するがごとくたやすくな。 そんな絶滅危惧種なトカゲはそこに撒いてみよう。木が生えたがそれはまるでオリーブオイルのボトルみたいな形であった。 キュキュツリーと呼ぼう。
風は笑う。お前は柔らかい。 どこがって?そう、そのプラス端子さ。
単4電池はハッとした。
最近やけにリモコンへ入りやすいなと思ったら。
声は言った。
フィールドは硬くしたほうが良い。これはどうだ
そう言ったところ、毛布は消え、コンクリートと多少の白い背景が現れた。やめてくれ。固すぎて法律に引っかかる。そんなことを思いながら電池はひっかかる。

穴が20cm!? 無理であった。己の苦しみは誰にも理解されない。小さすぎるのだ。 己の小ささに絶望したまま駆け出して何が起きると思う!?
初心者マークができる。コンクリートはかたつむりに食わせた。うめえなぁ〜
枕は使えない、しかし使えることといえばストロングな人間を燃やせ!!!!!
燃やしたところで、叫び声は消去で行こう。しかし、弱い人間は燃やされないのか?
暖を取れたらいいが、燃え尽きてしまう。しかし、命の輝き、生きた痕跡は垣間見た。
単4電池は生きているが、息がない。マイナス端子がマイナスイオンになってしまい、電気が流れてしまった。
復活しろ……breathを
あなたは、だいたいの確率でプラスドライバー! ここにきたということは、単4電池は生き返るんですね! ヤッタネ
しかし、現実は無情である。試練は生き残れなかったため、単5電池として生きていけ。そんなことを声は言っていたな…
ボタン電池じゃなくてよかったね。 しかし、単一電池にはなれない。
単一電池は大きいが、のろいぞ。のろければのろいほど試練は厳しくなる。 この前は野菜に入って発電させられていた。しかも絶縁人参。
やばいぜ。絶縁する人参とか信じたくないですよね。
朝鮮人参は電気バリバリに通すし、なんなら放電するよ。 里芋とこすり合わせるとね
そんな雑学を披露したが、単5電池はまた今日も歩く。 歩けないから新幹線の電池にでもなって移動してな!
やその頃声はどうした!?声は聞こえない。 一瞥して声を出したら消えた。消えるな。消えた、 
 Get Up 俺の声は届かない。
届くのは宅配便で届けられる周波だけだ。 

しかし、生き続ける。行き続けるのがシャワーヘッド神話ってものさ!
そのうちそれは神話になるでしょうが、電池の神話は縮小の神によるものになりそうだ。
そんなわけで、異論はないか。寝る。いや寝るな。寝る。いや起きるねー!!

おはよう〜!今日もいい天気だな!!
元気に過ごしていこうぜ〜

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