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人ころし事件、知らんでいい。パンダ、福井県。

 母親が、不凍液の関わる人ころし事件のニュースを見て、うわ、と言うている。日曜は十時を過ぎている。

 今の社会で起きていること知るべきです。それはおそらく。

 しかし、こういった事件については本当に知るべきなのか。

 知って、それを何に活かすというのだ。不凍液に気をつけよう、ということか?こんな親にはならないぞ、ということか?

 パンダが新しく生まれて、それがピンク色であるだとか、ぼちぼち新幹線が福井県を走りそうだとか、そういったことは知るべきです。それは確実に。

 なぜなら、それらは活きるから。生きていくのに活きるから。
 パンダの命名における一悶着とか、福井を上げたり下げたりだとか、を親しい人と、あるいはこれから親しくなろうという人とおしゃべりすることで、仲良くなれる。
 ちょっとした挨拶に、「昨今、パンダや福井がどうとかこうとか」とかを  あどりぶ  で付け加えることで、それを聞いている人が「あ、こいつ粋な時事を知っているのだな、かしこいな」と思ってくれる。

 エチレングリコールがね、とか、けんいち容疑者がね、とかそういうんでは人と仲良しにはなれないし、そういうんはちょっとした挨拶には向かない。人を「おっ」と思わせる、粋な時事じゃない。

 それでも率先してそういった時事に触れに行く大人が少なからず居るのはなぜだろう。
 純粋に気になっちゃうから?
 それとも、ニュースの受け売りを犯罪心理学者的なふうにしゃべることで興奮するから?

 もしくは。

 平和ぼけな表情をしないで明日も出勤するため?
 パンダや福井のことを考えていたら緩んでしまう口の端を、どこぞの歪な夫婦仲や人ころしのことを考えて引き締めている?

 だから大人はいつもしんどそうなのか?



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