高校卒業いたしますわたしは以下のようでした、書殴
一昨日いっしょに帰ってきたキャリーケースがなかなか片付かないな。それは片付けようと、二階へ持って運ぼうと、していないからだろう、と言われたらそれまでなのだけれど。それまで。
実家から電車に乗って、バスに乗って、港まで。その港から4時間ほどかけて、また別の港へ。
そうしてようやく、わたしの通っていた高校、塾、暮らしていた寮は徒歩圏内になる。
離島の高校通いでした。孤高のホスト狂い、みたいな響き。
二泊三日の卒〇ツアァ、始まって、着々と終わっていって、今はおうち。実家。
卒塾に卒寮、そして卒業。
会や式、もろもろをスタンプラリーのようにつつがなく。
うーん、つつがなく、はなかったはずである。機材トラブル、入場までの待ち、緩慢とした花道歩き、乗船開始までの待ち。これらさまざまな雑は澄み切って、今 ひとつの大きな「卒〇ツアァ」という記憶になりつつある。もう断片ずつになってきている。そういうものか。大体のことはやっぱり時間が解決していくのか。
それがつらいような、何ともないような。なんて言ったらいいのかまだ分からない、なんか、感じでいるよ。
帰りの船で1番の心残りは好きな人に好きと言えなかったことだった。
帰りの船でその心残りが小粒大量の涙として爆ぜて、それを見た同級生がわたしを囲んでいっぱいいっぱい笑ってくれて、それがありがたかって。
その囲みのあと ひとりになって、いっぱいいっぱい考えて、さっきわたしたちを見送ってくれた彼へのお手紙こさえた、無機質なテキスト 全面協力のもと。で、送った。ラインちうアプリケーション全面協力のもと。
だいぶ、好きとか書いた。あなたのすてきなとこ3選とかもした。恥ずかしげもなく(まあ、少しは恥ずかしかったよ)。
6時間弱、返信は来んかった。送信取消するか、せんか、ということばかり考えていた。でも耐えた。ずっと、「人生どうでも飯田橋 人生どうにか鳴門大橋」、言うてた喉元。口では言わない、言葉の力が弱くなっちゃう気がしたから。言うか言わないかの、ぎりぎりだけど言わない、が一番言葉の力強いとき、となぞに思っているわたしである。これは余談。
返信来た。あぁとにかく、やさしかった。わたしの粗メッセをありがたがってくれて、嬉しいよほんとに、と言ってくれて、ありがとう。すごくありがとう。
返信不要、という文字は無いけれど、返信しなくてもいいような言葉尻にしてあった。そう、これがわたしが時々おそろしさを感じながらも愛おしんでいる彼の、相手の突かれたくないところは突かない、突いてほしいところは突く、ちう魔性の言葉あやつり。
そこで読む。ろうにん、という重い響き。彼は、ろうにん、するらしい。すっごく、いろいろわたしは彼には敵わない気した。すごい。人づてに聞いた話、傍から見ていた努力。いろいろ総合して推測しているこれがどこまで正確か、というのには、かなり自信ない。けど絶対、いっぱいのこと考えての、決めたことだと思う。すごい。何回でも言おうよ、すごいよ。
謙虚な語り。そして、春から大学生なわたしの居心地を悪くしないよう、疑り深いわたしの不安を取り除くよう 言葉を紡いだのだろうな、ということを感じさす、文章全体。あぁ彼はわたしの大谷翔平。概念的に そうなの。あくまで概念的に。だってわたし、野球好かんもん。
わたしは待ちたい、一年。
待っていても迷惑じゃなさそうな文面だったから、待ってやる、とめっちゃ思っている。
でも、静かに待とう。これ以上 返信はしないでいよう。本当は、天ぷらはつゆでいただく派か、それとも抹茶塩でいただく派か、ということとかもたまには聞きたいけど、でもそれもなし。
わたしはこの一年、彼の脳みその最小限のスペースで過ごすことにしたんだ。
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