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【シ序4】インターミッション~スリーパー・エージェント~

ガヤン神官ヨルゴスは「眠れる工作員(スリーパー・エージェント)」である。
 
……いささか話が唐突過ぎた。少し、順を追って語ろうか。
 
およそ千年前にこのルナル世界を襲った存亡の危機。名を、<悪魔>戦争。
 
その厄災は、ルナル世界全土をあまねく舞台とした。ここエクナ諸島も例外ではなく。
 
エクナでも、<悪魔>は暴れた。その不条理なまでに強大な力を持った<悪魔>は召喚者たる邪術師の支配も思惑も離れて暴れ、諸島群全土に惨禍を撒き散らした。
 
その稀有な能力ゆえに近付くことさえままならなかったかの<悪魔>の暴虐は、時の英雄たちが封印することで幕を閉じた。
 
以来千年。ここエクナでは<悪魔>復活の試みが、時代時代の悪の手によって繰り返され、同時代の勇者たちによって阻止され続けてきた。
 
そして現在。<悪魔>復活を目的とする最大勢力が、<悪魔>教団<破滅の預言者>である。
 
だが<破滅の預言者>には、宿敵と云うべき者たちが存在した。サリカ高司祭アザリー、アルリアナ高司祭イザベラの姉妹。そして彼女らを護り、ともに闘う仲間たち。騎士クラウス、ドワーフ職人ドントー、魔術師レクォーナである。
 
アザリー一行と<破滅の預言者>は、おのが現在地を把握されないよう常に移動を続けていた。それゆえ互いが互いに決定打を与えることが出来ず、敵の居場所の把握が戦略上何よりも重要なファクターとなっていた。
 
ここまで話せばヨルゴス神官の役割が理解できることと思う。彼の任務は港街リシュトの監視。そしてアザリーあるいはその仲間たちを発見することにある。
 
常に四島間を移動し続けているアザリー一行。だが、魔術で移動するには距離があり過ぎるため、この移動は必然海路に限定される。
 
ゆえに彼女らはいずれ何処かの港街に立ち寄ることとなる。そこで<破滅の預言者>は、各島の主要港に監視者を潜り込ませているのだ。
 
ただし、その監視者をアザリーたちに気付かれてしまっては元も子もない。そこで監視者たちは、普段は一切教団に関わることなく平凡な住人として街と人々の生活に溶け込み、ただ港に出入りする人間に関しては怪しまれぬよう監視を続け、万一アザリーたちを発見した場合にだけ教団に連絡を入れる、と云ういわゆるスリーパー・エージェントとしての役割を担っているのだ。
 
ヨルゴスもその一人だ。普段は街を愛するガヤン神官としてリシュトの治安を守り、任務の一環として街に入る者たちをチェックし、陸路海路問わず記録している。何も不自然なことはない。ガヤン神殿としての、ごく当たり前の仕事だ。
 
その過程で、アザリーやその仲間が訪れていないかを監視している。残念ながら、彼女らがこの街を訪れた形跡はまだないが。
 
そんなヨルゴスが、独自の判断で動かねばならない緊急事態が発生した。そう。件の不審船である。
 
濃い霧を纏い出現した不審船の姿を見た時、ヨルゴスは云い知れぬ不安を感じた。ひょっとしてあの船には、教団の秘密に深く関わる存在が居るのではないか、と。
 
不審船捜査を主導できず、第一次調査隊に加われなかったヨルゴスは、調査隊出発のタイミングに合わせて休暇を取り、誰にも見付からぬよう独自に不審船に潜入した。
 
果たしてヨルゴスの危惧は的中した。不審船に巣喰っていたのは、「霧影」と呼ばれる海の魔物だった。
 
霧影は甲殻に被われたイソギンチャク、と云った姿をした生物だ。その最大の特徴は、幻覚の霧を発生させる能力だ。
 
他の生物に取り付き幻覚の霧で惑わせて、泳ぎ疲れ体力が尽きたところを捕食する。時には身を守るため、鮫など海の強者の幻覚を作ることもある。
 
だがそれだけだ。元より霧影は知性の低い生物。複雑な幻覚を作ることはできない。勿論それだけなら、教団がこの生物に利用価値を見出だすことはない。
 
不審船に居たのは無論ただの霧影ではない。そいつは教団の邪術師によって魔術的な改造が施され、ある特定の分野の知力のみが跳ね上げられた個体なのだ。すなわち、幻術に特化した知性である。
 
改造によりこの霧影は、より創造的(クリエイティブ)な幻覚を生み出せるようになった。たとえば特定の国籍の軍船を完璧に擬装してみたり。たとえば船内を無限の迷宮と化してみたり。
 
<破滅の預言者>の活動拠点。それは移動要塞とも云うべき船なのだ。そして霧影は本部船の姿を隠すだけでなく、教団の様々な活動で重要な役割を担っている。
 
だがその改造も一朝一夕に成った訳ではない。現在の完成体の霧影が生まれるまでに、幾多の失敗があったと云う。
 
そうした『失敗作』の中には、偏った知性が暴走して邪術師の支配を離れ、脱走したものも居たと云う。
 
邪術師に云わせると、あれだけ精神のバランスを崩した個体が自然界でそう長く生きられる訳がない、と高を括っていたのだが、それはどうやらいささか甘い考えだったようだ。
 
逃げ出した霧影が生き延びて野生化し、取り付いた船が偶然ここリシュトの港に漂着した。おおかた、そんなところだろう。
 
さて問題は、霧影が船内を迷宮と化して第一次調査隊を惑わせていた点だ。彼らが生きて戻れば、当然船内の様子を報告するだろう。
 
すると船に幻術を仕掛けている何者かが居ると云う結論になる。次はその何者かの調査が行われるだろう。
 
そうして霧影の存在に行き着かれては非常に厄介だ。自然界に、あんな複雑な幻覚を作り出せる霧影が居る訳がない。
 
突然変異、などと云う安易な結論では決着しないだろう。ましてリシュトの街には定住する魔術師が居る。齢こそ若いが優秀で、ガヤン神殿も幾度となく助けられている。
 
彼女なら、魔術的改造と云う結論にまで辿り着くかも知れない。そうなるとこの情報は、他の魔術師や魔術師団に共有されるかも知れない。誰がこのような改造を施したのか、を究明するため。
 
いずれ誰かが、<破滅の預言者>の秘密や<十年戦争>の戦端となった不審船事件の真相に辿り着くかも知れない。そうなると、これまで築き上げてきた<破滅の預言者>の活動が水泡に帰す可能性だってある。
 
勿論、これは最悪の可能性である。だが最悪の可能性と云うのは、往々にして実現するものなのだ。
 
抹殺しなければなるまい。不審船に巣喰う霧影も、不審船内部の幻覚の迷宮を目撃してしまった第一次調査隊員全員も、だ。
 
ヨルゴスはとりたてて強い訳ではない。だが彼は、組織の上役だった邪術師より、《妖獣制御/ガンテ》の笛を譲り受けていた。万一に備えて、だ。
 
この笛の音は人間の耳には聴こえない。ガンテの聴覚にのみ訴えかける高周波を発するのだ。だから調査隊員に気付かれる虞(おそれ)はない。
 
ヨルゴスは海中でこの笛を使い、周辺海域から十匹弱のガンテを喚び寄せることに成功した。そして船体に空いた穴からガンテたちを船内へと送り込み、遭遇した人間たちを襲撃するよう命令した。
 
ガンテは視覚に頼らないため、霧影の幻術は通用しない。船内での闘いは、圧倒的に有利だった。
 
やがて、予想以上の被害を出しつつも、ヨルゴスの操るガンテたちは第一次調査隊員たちを全滅させた。生き残ったガンテは、わずか2匹だった。
 
《妖獣制御/ガンテ》の笛は、ただ吹いてガンテを操れる訳ではない。これは魔法具であり、その能力を発揮するためには奏者の魔力を消費するのだ。すなわち体力と生命力である。
 
この時点で、ヨルゴスの体力と生命力は尽きかけていた。これ以上の使用は危険だ。残念ながら、霧影の始末はまた次の機会だ。
 
ヨルゴスは生き残りのガンテに船で待機するよう命令すると、誰にも気付かれぬようこっそりと街へと戻り、自宅にて疲れ切った躰を休めた。
 
そして翌朝。何喰わぬ顔で神殿に出勤した。第一次調査隊との通信が途絶したことで、神殿内は大きな騒ぎとなっていた。真相を知っているのは、ヨルゴスだけだ。
 
屈強なタマット傭兵を伴っての調査隊に何かがあった、と云うことで、神殿幹部たちも新たな作戦の立案に二の足を踏んでいた。皆、船に近付くのを怖れていたのだ。
 
そこでヨルゴスが手を挙げた。自分が直接主導しての、第二次調査隊の派遣を提案したのだ。
 
皆驚いたが、怪しむ者は誰も居なかった。ヨルゴスは任務に忠実な、真面目な人物で通っている。今回の件も、その持ち前の使命感によるものだろう、と。
 
ガヤン神殿のこれ以上の人的損害は、神殿業務に影響をきたす可能性がある。そのためヨルゴスは、今度の調査隊には外部の冒険者を公募することを提案した。
 
神殿の立場上、リャノ神殿に応援要請を出すのは仕方のないことだ。リャノからはすぐに諾の返事が届き、屈強な漁師の兄弟が派遣されてきた。
 
そうだ。街の魔法屋、魔術師チェリーに応援依頼をするのはどうだろう?
 
彼女には普段からガヤン神殿の顧問魔術師のような立ち位置で色々と協力して貰っている。この依頼は不自然ではない。
 
もしも霧影の存在が明るみに出た時、彼女はこの街で最も真相に近付き得る存在だ。
 
逆に彼女さえ船内で始末してしまえば、それだけ<破滅の預言者>の秘密に迫られる危険を遠ざけることができる。
 
ヨルゴスは早速チェリーの許を訪れた。すると魔法屋には彼女だけでなく、彼女の兄弟子を名乗るギルスと云う魔術師が滞在していた。
 
彼女に兄弟子が居るとは知らなかった。危なかった。もしもチェリーだけを始末していたら、妹弟子の死を不審に思ったこの男が色々と嗅ぎ回っていたかも知れない。
 
チェリーに不審船調査の件を相談すると、話を訊いていたギルスも同行すると申し出てくれた。勿論快諾する。
 
これで船内でチェリーとギルスともにガンテに襲わせて始末できれば、後顧の憂いを断つことができる。まったく私は運が良い。
 
調査隊に応募してきたのはあと3人。街の大工と裏街の盗賊、そして旅の詩人だ。
 
簡易に身元調査をしてみたが、3人とも居なくなって騒ぎ立てるような係累の類は居ない。船内で「不慮の事故」で命を落としたとて、問題はなかろう。
 
こうしてヨルゴスは、今度は調査隊の隊長と云う肩書で、7人とともに船内へと乗り込んだーーーー。
 
 
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霧影の幻影によって、チームが4人と4人に分断された。更にヨルゴスたちの一派は、幻影の流砂に巻き込まれた。
 
(今だ! ここしかない!)
 
ヨルゴスは立ち位置に気を配り、巧く流砂に呑み込まれた。漁師がヨルゴスを助けようとしたが、ぎりぎりで間に合わない演出をした。
 
流砂に呑み込まれたように思えたのは、実際には船内の下層階へ続く階段を滑り落ちただけだった。ヨルゴスはすぐに船内で待機させていた2匹のガンテに笛で命令を下し、分断された一行をそれぞれ襲わせた。
 
その間に船体に空いた穴の部分まで辿り着くとそこから海に向かって笛を吹き、近海に居た3匹のガンテを更に喚び寄せた。
 
そして新たなガンテで船底に取り付いた霧影を攻撃し、抹殺することに成功した。ガンテに視覚に訴える幻覚は効かないのだ。
 
だが同時に、調査隊員を襲わせていたガンテの反応が消えていることに気付いた。2匹とも斃されたと云うのか。
 
相討ちか? だがもしかすると調査隊員に生き残りが居るかも知れない。霧影が死んだことで船内の幻覚は消滅した。生き残りが居ればいずれ船底にやって来るだろう。
 
ヨルゴスは船底の倉庫区画で待ち続けた。ガンテが隠れる物陰が多く、奇襲には都合の良い場所だ。
 
だが、現れた者たちを見てヨルゴスは驚く。一人たりとて欠けていない。7人全員が現れたのだ。
 
こいつら、分断されたと云うのにガンテを斃して生き延びたと云うのか。これは想定外だ。今居る3匹のガンテで足止めをし、その間に更なるガンテの援軍を喚び寄せ、確実に始末しなくては。
 
「ご無事でしたか。皆様」
 
そう云って、ヨルゴスは皆の前に姿を現したーーーー。
 

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