【ベ叛9】ベルリオース叛乱篇⑨
アルフレッドは、違和感を感じていた。
目の前の宮廷魔術師の語る、その内容にである。
彼は本当の事を語っている。事実を語っている。少なくとも嘘は語っていない。本人が嘘だと自覚している事は、語っていない。
それなのに。
アルフレッドは、違和感を感じていた。
いや、これはーー違和感と云うよりは。
そうだ。これは『嫌悪感』だ。彼が『ある事柄』について語る時に感じる、舌の裏側がざらつくような、この感覚。
バートは気付いていないようだ。会話に於けるバートの主眼は相手が嘘を云っていないかどうか。魔術師は少なくとも嘘は云っていない。だから見抜けなかったのか。
嘘ではない。事実であり、魔術師自身も本当だと考えていることを語っている。客観的には。
だが魔術師自身は、自分が語っていることを『認めていない』。その事実を『嫌悪』している。
ガヤンとシャストア。言葉の表と裏。その双方を信仰し、学んだアルフレッドだからこそ、感じ取れた違和感、いや嫌悪感なのかも知れない。
「貴方は……戦争を嫌悪しているのか?」
何も考えず、思わずアルフレッドは素直に訊いてしまっていた。
その瞬間ーーーー。
魔術師の顔色が変わったーーーーような気がした。
バートは気付いていないようだ。アルフレッドがそう云う目で相手を見ていたから、そんな気がしただけなのかも知れない。
「……何故、そう思った?」
魔術師がアルフレッドに問うてくる。
「強いて云うなら……直感です」
アルフレッドが答える。
暫し2人の間に沈黙が走る。緊張が走る。
「……先ほどの質問だが、答は否だ。そうであるなら、戦術・戦略アドバイザーなどと云う役職を請け負ったりはせんよ」
魔術師の答。
嘘だ。これはバートにも見抜けた。
だが、アルフレッドはそれ以上の追及を辞めた。
もしも彼が戦争を嫌悪しているのなら、闘い以外の手段での事態の収拾が可能かも知れない。交渉の余地があるかも知れない。
しかし彼はその嫌悪を明確に否定した。となるとそれが真であれ嘘であれ、交渉に応じることは無いだろう。
「……さあ、もう良いだろう。君たちが女王陛下の進む道を阻む以上、私は君たちを斃さねばならない」
そう云って魔術師が、会話を打ち切ろうと杖を構える。
「そのようですね。残念です」
アルフレッドは細刀(サーベル)を、バートは槍をそれぞれ構える。
そして、静かに闘いが始まったーーーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
ヨクの鞭撃が振るわれる!
「ふん!」
それを女王は鉾槍で受ける。鉾槍の柄に、鞭が巻き付く。
巧い。これでヨクは鞭の魔法効果である、電撃を発動できない。
更に女王は、鞭ごとヨクを引き摺り寄せる。2人の間で綱引きが行われるが、力較べではヨクは体力倍化の女王には敵わない。徐々に引き寄せられていく。
ーーーーと。その時。
ヨクが、自らの鞭を手放した。
「!!」
戦場に於いて自らの生命線である武器を手放すなど、女王には全く想定し得なかったのであろう。お蔭でバランスを崩した女王は、そのまま背後に転倒しそうになる。
その隙を逃すビナーク王子ではない。彼は<やわらか斬り>を振りかぶり、体勢を崩したペリデナ女王に斬り掛かる!
「くっ!!」
だがしかし女王は右手を戻し、所持する鉾槍で<やわらか斬り>を受けようとする。
だがーーーー!
女王の鉾槍が、思い切り引っ張られる!
「!!!?」
ヨクだ。ヨクが鞭を手放すと同時、鞭の柄を掴むため前方へと走り出していたのだ。
そして再び鞭の柄を掴むと同時、思い切り引っ張り寄せたのだ。
確かに女王の体力は倍化している。だがこんな転倒しかけで足場の不安定な体勢では、ヨクの引き寄せに対抗できない。
鉾槍ごと無理矢理引っ張られたその右腕に。
ビナークの<やわらか斬り>が振り下ろされた!
女王の右肘から先が、鎧ごと綺麗に斬り落とされていたーーーー。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
バートが、槍の連続攻撃を繰り出す。
宮廷魔術師は、そのことごとくを体さばきで躱し続ける。
「未熟だな。近接戦闘をあまり得手としない私でも容易に躱し得るぞ」
余裕を含んだ魔術師の言葉。だが。
「良いんスよ。オイラの目的は時間稼ぎなんスから」
「!?」
魔術師はバートの背後を見る。そこではアルフレッドが魔法の発動準備に入っていた。
幻覚の魔法かあるいは《ぼやけ(ブラー)》か《闇(ダークネス)》か。いずれの魔法であれ対抗策はある。大丈夫だ。焦ることはない。
バートが退がり、アルフレッドと前後を交代(スイッチ)する。そしてアルフレッドが、準備していた魔法を発動する!
「来い!」
迎え討つ魔術師。だがーーーー。
「《閃光(フラッシュ)》!!」
瞬間。魔術師は両眼を灼かれた。
「ぐああああああっ!!!?」
全くの想定外だった。莫迦な!? シャストア信者に《閃光》など、使える筈がーーーー!?
「予想外だったか? 僕は、双月信者だ」
アルフレッドの言葉。聞いたことがある。赤と青の月双方を同時に信仰する、両面信仰ーーーー。
アルフレッドが細刀を構え、刺突の一撃を放つ。
見えないながらも、どうにか躰を捻り避けようとする魔術師。だが、躱しきれる筈もなくーーーー。
アルフレッドの細刀が、魔術師の左脇腹に深々と、突き刺さっていたーーーー。
引き抜かれる細刀。出血とともに、膝を突く魔術師。
「がはっ……!!」
「降伏してください。今なら治療すれば命は助かります」
血に濡れた細刀の刃を突き付けたまま、アルフレッドが魔術師に降伏勧告をする。
傷口を押さえ、魔術師が周囲を見回すと、女王は利き腕を斬り落とされ重傷だ。虎の子の鉾槍も腕とともに失っている。
近衛兵たちはカシアを前に全滅していた。命までは奪われていないようだが、戦闘不能だ。
それらを見て、魔術師は自嘲気味に笑い出してしまう。
「……くっ、くくく…………。なんてザマだ。まさか、寄せ集めの烏合の衆を相手にこんなことになろうとはな……」
実際魔術師には切り札がある。その能力を使えば、そもそもアルフレッドの一撃を喰らうようなことも無かった。
だが能力の使用はそのまま魔術師の正体の露呈と同義だ。そして今はまだその時ではない。正体を明かすにはまだ早過ぎるのだ。
勿論、アルフレッドとバートを雑魚扱いしていたことも敗因のひとつだ。能力の出し惜しみをしたことが、結果これほどの窮地を招いてしまったのだ。
「女王陛下よ。かくなる上は、真の切り札をお使いいただくより他ありますまい」
なんのことだ? と女王が口を開くより先に、魔術師が指を弾いて鳴らす。すると突然、女王が左手を頭上に高く掲げた!
実際には、左手中指に嵌めた指輪に腕ごと引っ張り上げられたのだが、それが判っているのは女王自身だけだ。他の皆には、女王が自ら左手を挙げたようにしか見えなかっただろう。
次の瞬間! 中指の指輪から闇が溢れ出し、そのまま繭のように女王の全身を包み込む!!
闇はみるみるうちに肥大化して膨れ上がり、巨大な塊となった。そして次にその闇が晴れた時、中から現れたのは女王ではなく、醜い巨大な怪物だった。
上半身は人身豚頭の化物。その頭頂に王冠をいだき、再生した右腕には王錫を握っている。
更に下半身は爬行する地竜のそれだが、両腕とは別に4本の脚と長い尾をそなえている。頭頂から尾の先端までは5メルー近くある巨体だ。
「あ……<悪魔>!?」
レクトがその正体について言及する。
「やはり、<悪魔>と契約していたのね」
フルーチェはあまり驚かない。女王のこれまでの所業から、ある程度見当はついていたようだ。
「そんな莫迦な!? 陛下が<悪魔>と契約などと、そんな莫迦なことある筈が!?」
倒れた近衛兵たちが、またしても目前の現実を顧みない戯れ言を吐き出す。
女王<悪魔>が巨躯を捻る。攻撃体勢だ、とすぐにぴんと来たフルーチェは。
「みんな!!!! 避けて!!!!」
敵味方関係なく場の全員に向かって叫ぶ!! 次の瞬間、<悪魔>の長い尾による薙ぎ払い攻撃が、謁見の間全域に及んだ!!
フルーチェの叫びを聞いていた抵抗軍一行は、跳躍によって辛うじて尾の一撃を躱すことができた。だが、動けなかった近衛兵隊は。
尾の掃討撃をまともに喰らい、全身の骨が砕ける衝撃に耐えられず、全員が絶命していた。
「野郎! 自分の部下たちを!!」
バートが怒りとともに叫ぶ。するとその叫びに呼応するかのように。
女王<悪魔>が吼える。その咆哮から知性は感じられない。どうやら知力は見た目通りの獣並みに低下しているようだ。
「気付いていたのかい? 女王が<悪魔>と契約していたこと」
アルフレッドがフルーチェと並び立ち、訊ねると。
「いや。けど疑ってはいた。政権強奪からの彼女の行動は常軌を逸していたから」
フルーチェが答える。
と、女王<悪魔>が再び躰を一回転させるべく、捻る。
「まずい! またさっきの攻撃が来るわよ!!」
フルーチェの叫びに、全員が跳躍の体勢に入る。とーーーー。
女王<悪魔>が右手の王錫を振るい鳴らす。すると場の全員、まるで重力に押さえ付けられたかのように、その場に跪(ひざまず)く!
「な、なんだこれ!?」
「う、動けない!!」
すると女王<悪魔>、動けない皆に向け攻撃体勢に入る。このままでは跳躍できない! 躱せない!
振るわれる尾! 末路は近衛兵隊を見れば明らかだ。
がぃぃぃぃぃぃぃぃん!!!!
その時。振るわれた尾の一撃を、誰に命中するより前にカシアが大剣の腹で受け止めていた!!
さすがに微動だにしないと云う訳には行かず、攻撃に圧されカシアの立ち位置がわずかにずれる。だが、それだけだった。
「…………良いね。ようやっと骨のある相手だ」
カシアが不敵ににやりと笑う。
ーーーーぴきっ。
破砕音。見ると、尾の一撃を受けたカシアの大剣の腹に亀裂が走っていた。
「ちっ……。シュトラの奴。頑丈だと云っていたのに。フカシこきやがったな」
「いやいやいやいや!! 折れないだけでも大した業物よ!!」
カシアの的外れな呟きに、思わずツッコむフルーチェ。
「ゴリラ女!! アンタ動けるの!?」
跪いたままのフルーチェの問に。
「当然だろ。オレは誰にも跪かん」
答えるゴリラ女。もといカシア。
「カッコいい……」
きゅんとなるアルフレッドとバート。
「ならばカシアよ! あれを使うが良い!!」
跪きながらもビナーク王子が指したのは、戦場に転がる女王の鉾槍だ。斬り落とされた女王の腕が、未だ握り締めているが。
それを聞いたカシア、すたすたと歩いて行くと鉾槍を拾い上げ、女王の腕を引き剥がして放り捨てる。そして片手で二・三度ぶんぶんと鉾槍で素振りをすると。
「…………良いね」
そう云って、またも不敵に笑うのだった。
その間フルーチェは《魔力視覚》で女王<悪魔>の能力の正体を探っていた。そして判ったことは。
「……どうやらあの王冠と錫杖がセットになって能力の核となっているようね。自分の周囲の目標を強制的に跪かせる力。云うなれば従属の強制、偽りの王権ね。王権への未練が生んだ哀れな能力。さしずめ<道化の王冠(クラウンズ・クラウン)>、と云ったところかしら?」