【ベ序2】ベルリオース篇序章②
ベルリオース王都。その裏通りのひとつーーーー。
重武装のドワーフ兵たちに追われながら、疾駆する3人の人影があった。
ひとりは齢若く見える女性だ。茶色の髪に同じく茶色の瞳、眼鏡を掛けた中性的な容貌の佳人だ。動き易そうな革軽装(レザージャケット)に身を包み、先頭を走っている。
ひとりは痩せぎすで背の高い、細面の男性だ。糸のように細い眼をしており、右肩に見慣れぬ白毛の小猿を乗せている。
ひとりは革鎧に斧と盾で武装した、典型的なジェスタ信者の出で立ちをした黒髪短髪の壮年の男だ。一行の最後尾を走っている。
「みんな散って!! 合流地点で!!」
女性の叫びに。
「応!!」
「了解しまシタ」
男性2人が応え、次の十字路で3人が三方に分かれる。
追跡するドワーフ兵たちは一瞬逡巡するも、自分たちも三手に分かれてそれぞれの後を追う。
だが、その一瞬の逡巡が命取りとなった。
追われる3人は複雑な裏路地を縦横無尽に走り抜け、見事に追手を撒く。合流地点と申し合わせた廃屋にジェスタ信者が辿り着くと、他の2人は既に到着し待機していた。
「遅くなった。済まん」
ジェスタ信者が小声で他の2人に謝罪すると。
「良いわ。奴らを撒く方が重要よ。それじゃ、行きましょうか」
小声で答え、屋内の廃材をどかす。するとその下から、地下へと続く人工の穴が出現した。梯子が下まで伸びている。
3人は梯子を降りる。最後に穴に入ったジェスタ信者が、廃材を元通り穴の上に引っ張り戻す。
梯子を降りると、そこは人工の地下通路だった。
王都の地下には、王城からの脱出路が広がっている。万一王城が敵に攻め込まれた際、王族を無事に脱出させるために建造されたのだ。そのため容易に追跡されぬよう、行き止まりの袋小路だったり、機械式の罠だったり魔法式の罠だったりが至るところに設けられ、さながら巨大な地下迷宮と化している。全容を把握しているのは、一部の王族のみだろう。
王都の抵抗軍は現在、この地下通路に潜伏している。この巨大な迷宮の一角に、作戦本部が設けられているのだ。抵抗軍が王都内を移動する際も、当然この地下通路を使う。
軍事クーデター時王城を脱出した王太子夫妻は聡明な人物だった。彼らは脱出の際あえてこの地下通路を使わなかった。そのためこの通路の存在は未だ女王一派には知られていない。
3人は通路を進み、やがて抵抗軍本部へと帰還する。
この本部は抵抗軍最後の砦であり、抵抗活動の柱とも云えるビナーク王子が潜伏している。そのため抵抗軍構成員であっても、本部の所在を知っているのは一部の幹部のみである。つまりフルーチェーー茶色の髪と瞳の佳人だーーのチームは皆、その『一部の幹部』と云うことになる。
「首尾はいかがであった? フルーチェ殿」
フルーチェら3人を出迎えた抵抗軍幹部、元近衛騎士団長のレクトがフルーチェに作戦の成否を確認してくる。
「駄目だったわ。失敗よ。事前想定より警備が厳重だった。これで3回目よ?」
苛立ちを抑えつつ、フルーチェが答える。
王都の住民の中には、表向きは軍事政権に従順であっても、心中では反発を覚えている者も少なくない。そうした者たちは表立ってドワーフ軍への抵抗活動を行わずとも、抵抗軍へ食糧等の補給物資を秘密裡に提供してくれる。抵抗軍にとっての生命線だ。
そうした補給物資の受け渡し作業が、ここ最近立て続けに失敗しているのだ。原因はフルーチェの云ったとおり警戒感を増したドワーフ軍の警備だ。
自分たちは地下に潜ってしまえば良いが、提供してくれる側の住民はこれからも王都で生活していかねばならない。もしも抵抗軍への協力が露見してしまえば、どんな目に遭わされるか判らない。無理はさせられないのだ。
とは云えこのままでは遠からず抵抗軍本部は干上がってしまう。食糧の不足は急を要する事態なのだ。
「奴ら警戒を厳にしてるみたいね。私たちを兵糧攻めにする気かしら? 良い作戦ね。このままだと一巡りと保たず我々の食糧は尽きるもの」
「感心している場合ではありませぬぞフルーチェ殿。何か打開策を立てなければ。このままではジリ貧です」
「判ってるわよ……」
レクトの指摘に考え込むフルーチェ。しばし頭を捻っていたが、やがて。
「……ちまちま補給を受けていられる段階はとっくに過ぎたわね。ここからは、大量の食糧を一度に手に入れる必要がある。ドワーフ軍の物資保管庫を襲いましょう。それも一箇所ではなく、同時多発的に」
「なんと。ですがそれこそ最重警備の施設でしょう? 軍の者どもにとっても補給物資は生命線。兵站の確保と死守は戦争の基本ですからな」
「だから、奴らに負けない物量で攻撃するのよ。こちらも総力戦よ!」
「つまり、抵抗軍のほぼ全戦力を投入する、と云うことですか?」
「そうよ。早速作戦会議を開きましょう。早いところ実行可能なプランを練って、行動に移らないと。レクトさん、悪いけど幹部連中を集めてくれるかしら?」
「承知しました」
ーーーーこうしてフルーチェを中心に、現在の抵抗軍の逼迫した食糧事情を打開するための、物資保管庫同時襲撃作戦が立案された。
決行は2日後未明。会議の翌日昼には、王都内の全構成員に作戦のシナリオが伝えられたーーーー。
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作戦決行前夜。ドワーフ軍の兵詰所のひとつ。
頭巾(フード)で顔を隠した怪しげな風貌の人物ーーーー身長から考えてドワーフではない。人間だーーーーが、周囲を気にしながらも詰所裏口の扉を一定の調子で叩く。暗号だろうか?
やがて扉が内側から開き、ドワーフ兵が頭巾の人物を詰所内へと招き入れる。
「次の作戦の情報か? メズリ」
「へぇ。おっしゃる通りで」
ドワーフ兵に声を掛けられた人物が頭巾を下ろすと、下卑た笑みを浮かべたいかにも品性の無さそうな中年男の顔が現れる。
男の名はメズリ。かつてはあまり表立っては云えない商いーーーー禁制品、と云う訳ではないが、いわゆるグレーゾーンだーーーーで生計を立てていた男だ。だが軍事政権になって以降規制が厳しくなり商売が成り立たなくなったため、抵抗軍へと加入したのだ。
実はここ3回ほど、抵抗軍の物資補給が立て続けに失敗しているのは、この男が原因だ。メズリがドワーフ軍に対し、作戦の情報を事前に漏洩していたのだ。
「お前の情報は小規模な作戦ばかりだからな。潰したところで、正直あまり手柄とは云えん」
ドワーフ兵がメズリに不平を伝えると。
「勘弁してくださいよドワーフの旦那方。あっしはまだ『反乱軍』の中じゃあ新参者なんすから」
メズリは抵抗軍に加入してまだ日が浅い。幹部ではないため当然本部の場所や地下通路のことは知らされていないし、重要な作戦を任されることもない。
それにしても、抵抗軍のことをわざわざドワーフ軍好みの『反乱軍』などと云うあたり、この男のあざとさと卑しさが透けて見える。
「それに小さいとは云っても情報は正確だったでしょう? いい加減、あっしのことを信用してくださいよ?」
「確かにな……。で? 今日はどんな情報を持って来た?」
「おっとそうでした。今度の情報はデカいですぜ。反乱軍の奴ら、旦那がたドワーフ軍の物資保管庫を襲撃しますぜ。それも一箇所じゃあねえ。何箇所も同時にでさあ」
「何……!?」
メズリの話を聞いたドワーフ兵たち。思わず椅子を蹴って立ち上がる。
「一体どう云うことだ!? 詳しく説明しろ!」
「へい。旦那がたは小規模で手柄にならねえとおっしゃってましたけど、反乱軍どものこれまでの小さな物資補給を阻んできたのが功を奏したんでしょうね。奴らの台所事情はよほど逼迫していると見えやす。反乱軍は、旦那がたの備蓄食糧を直接奪うつもりです」
「莫迦な……!? 自殺行為だ!! 備蓄物資は我らにとっても生命線そのもの。相応の警備体制を敷いている。反乱軍の戦力で破れる訳が……!」
信じられない、と云ったふうのドワーフ兵。だがメズリは。
「だから! 対抗し得るだけの戦力を投入してくるんですよ、反乱軍は! あっしのような末端の構成員にまで動員が掛かっているのが、その証拠でさあ! 怖らくは、反乱軍のほぼ全戦力」
「な……!?」
言葉を失うドワーフ兵を尻目に、メズリは懐から2枚のくしゃくしゃに丸めた紙片を取り出し、卓上に広げて皺を伸ばす。
「いいっすか? こっちがあっしへの指令内容を書き留めたものっす。あっしらが襲う倉庫の場所と、チームの人数。で、そこから推測した、王都全体での攻撃予想ポイントとそれぞれの動員数が2枚めのこれっす」
「これほどの規模で、だと……!? 確かにこの人数なら、通常の警備では破られる可能性がじゅうぶんにある」
唖然とするドワーフ兵。だがメズリはにやりと笑い。
「なにせ反乱軍のほぼ全戦力ですからね。だが逆に云やあ、こいつは旦那がたにとって大きな好機じゃねえですかい?」
「どう云う意味だ?」
別のドワーフ兵が、メズリの発言の真意を質す。
「どこにどれだけ攻めて来るかが判ってるんでさあ。ならそれ以上の兵力を伏兵として忍ばせて、迎え討てば良い。今回の相手は反乱軍の全戦力。壊滅させることが出来りゃあ、反乱軍は事実上崩壊しやす。王都の本部が壊滅しちまやあ、地方都市の反乱軍なんてただの烏合の衆でさあ。あんたがたは、永かった反乱軍との闘争にようやく終止符が打てる、って寸法でさあ」
そう云って、メズリが両掌を上に向ける。
「確かに……。だが良いのか? これでお前の同族である人間たちの、この国に於ける没落は決定的なものとなる。メズリ、お前がその引金を引いたも同然だ。お前は本当にそれで良いのか?」
ある意味最終確認とも云えるドワーフ兵のその言葉に、だがしかしメズリは今日一下卑た笑みを浮かべ。
「ドワーフの旦那がたやエルファなんかと比べ、あっしら人間族の結束は決して強くないんでさあ。あっしなんかは、自分さえ良けりゃあそれで良し、ってね。それより旦那がた、情報提供と引き換えの、反乱軍鎮圧の暁にはあっしの商売をお眼こぼしいただくと云う約束、守って戴けるんですよね?」
と、自己中心的な発言に終始する。
「我らが女王陛下はお前のような裏切り者は断じて好かん! 好かん……が、あの御方は貢献に対してはきちんと報いる御方だ。心配は要らん」
「そいつを聞いて安心しやした。……ではそろそろ、あっしはお暇(いとま)しやす。あ、そうだ。今回はあっしも攻撃部隊に参加していやすが、間違って殺さないでくださいよ」
「警備の者たちにお前のことを伝えておく。適当に闘う振りをしながら、時機を見計らって捕縛されろ。後で解放してやる」
「了解でげす。それじゃあ旦那がたも、どうか御武運を」
ーーーーそう云い残し、頭巾を目深に被り直したメズリは、周囲を気にしながらこそこそとドワーフ軍詰所を後にした。
そんなメズリの姿を、近辺の建物屋上から、じっと見据える人影がひとつ。
茶色の髪と瞳、眼鏡に革軽装、夜の闇に溶け込むその姿はーーーー。
フルーチェ、だった。
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そして、翌未明。
王都各所に点在するドワーフ軍の物資保管庫。そのひとつ。
警備の任に就いている幾人かの重武装のドワーフ兵。そのひとりが、大口を開けて大きな欠伸をする。
いささかの緊張の不足感は拭えない。が、彼らは一晩中寝ずの番をし、もうじき交代の時間を迎えるのだ。疲労も無理からぬことだ。
一見すると、保管庫の警備体制は通常時と変わらないように見える。
だが保管庫を遠巻きに包囲するようにして、襲撃してくる筈の抵抗軍に倍する数のドワーフ兵が伏兵として警備に当たっているのだ。王都内の全ての保管庫周辺で、同様の警備体制が敷かれている。
情報を得たのが昨晩だったため、余剰兵力を整えるのは困難であった。そのため王都の各部署から何とか兵をかき集めて来たのだ。
もうじき兵の交代時間だ。抵抗軍が襲撃を仕掛けてくるならそのタイミングだろう。
伏兵として隠れ潜む者たち全員に、緊張が疾る。
ーーーーと、その時!
爆発音が夜明けの王都を引き裂く。何処かで火の手が上がっている。
ドワーフ兵たちはあたりを見回す。するとーーーー。
物資保管庫とはまるで見当違いの方向で、黒煙が上がっていたーーーー!