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チョークー的、仏教のなりたち(上)

縄文時代とは不思議な時代です。現代の感覚からいえば「未開」ということになるんでしょうけれど、何千年もたってみりゃ、今、ボクらが生きているこの世界も、未開ということになりますよね、きっと。

🔴芸術は爆発だ

とすれば、「未開」などという言葉に、それほど意味はないですね。不思議かつダイナミックな縄文土器や土偶を見てごらん、ということよね。

芸術家の岡本太郎さんは、縄文に強い関心を示していました。「あれはね、四次元的世界と密接に結びついていたんだ」なんてことも言っておられました。縄文人は、目には見えない世界と対話していたのではないか。そんな感性で生きていたのではないか、とボクも思います。

人工物に取り囲まれ、安全地帯にいるボクらとは、同じ自然を眺めても全く違う景色が見えていたのかもしれません。「自然」などという感覚もなかったでしょう。だって、その一部なんですもの。

ともかく、ボクらが感じ取れないものから受けたインスピレーションが、縄文の造形の中には潜んでいる、そんな気がしてなりません。

🔴民芸運動家も

陶芸家で、民芸運動の中心的活動家でもあった故濱田庄司さんも、縄文土器は民藝の先祖だと言います。土俗的かつ民俗的であり、生と死を常に感じるような感性と、自然を尊び敬い従い、共に暮らす中で育まれた芸術であると述べておられました。

縄文人は、現代でいうところの「ナチュラリスト」でしょうか。いや全く違いますね。現代のように、自然を、対象と見ることは、まるでなかったはずです。

その恩恵と災いを深く理解し、畏敬と畏怖の念を持ち合わせていたのではないですかね。コントロールできないか、なんて、思っても ~思うぐらいはしたかもね~ 少なくとも、できるとは考えてもみなかったでしょう。なにしろ神も自然も一緒、自然=神=人間なのです。

🔴分けろ分けろ

神に包まれていた人間が、弥生時代になって農耕生活が主流となると、自然を操作する必要性が生まれ、自分たちの都合に合わせて改変するようになります。灌漑なんかがその代表ですね。

そうなればね、もはや自然=神そのものというわけにいきません。改変できるのなら、もはや神じゃなくなっちゃう。存在はいくつかに分離していきます。まずは概念に境界がなく、渾然一体となっていた神と自然、人間がそれぞれに分離していったのではないでしょうか。祭祀という行為は、その隙間に生まれたのでしょう。改変できるといってもほんのわずかにすぎず、手の届かない部分が圧倒的に多かったから、神様の存在が必要だったのです。

時代が下れば下るほど、できることが、どんどん増えていきます。人の知恵には限りがありますから、できるつもりになっているといった方が正確ですね。

そうすると人はね、あらゆるものを細かく、できることとできないことを分けちゃえ分けちゃえとなっちゃうんです。分けては分けて、ややこしくなっていきます。

この分離という行為は罪ですね。そもそもね、幸福から分離して不幸が生まれたのではないか、とボクは思っているんです。その証拠に、不幸の中には幸福の残渣が沈殿しているでしょ。

🔴もはや戻れないものね

ボクはね、思うんですよ。縄文の昔に帰れりゃ、人類の悩みの多くがどれほど解決するか、ってね。でもね、戻れるはずはないですよ。戻れたとしても、それは現代の便利な生活とはトレードオフの関係なのではないでしょうか。病気になったらただ死ぬだけの暮らしにね、戻れますか。

🔴じゃあどう生きますか

そこに登場するのが、アジアで言やあ、お釈迦(しゃか)さんなのです、とボクは解釈しています。希代の天才が、人類の悩みと向き合ったのが仏教ではないか。愚僧チョークー、そう思うわけでございます。合掌。




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