なとなと小話3
小説の話。
二つの鍵、の最初の方を加筆してます。
毎日観察され続け、実験に使われている子どもたち。
ななとくんとまつりの生き方は違うので、当然のように向けられる好意の信じられなさに驚いても無理は無いですね。
ただ、まつりは「その段階は超えた」状態でもあって、
好意で実験されるくらいなら、自分もすればいいじゃんという域に到達してて、誰も止めやしないよ。と。実際、誰かが違法な搾取を止めたりはしていないんです。だから久しぶりに感情を剝きだしにされて、「まだまだやさしさが残ってるな」という感じ。その眼差しは舐められているようにも感じますが、まつりは夏々都に「罪悪感なんか覚えるな」と言いたかった。
好かれたら喜ばなきゃいけない、なんて言ってたら生き残れない。選びたいものを選べ、ということです。
それが、人間が家畜になるのは興奮するという事なんですが、している人間が居ると言う事でもある。逆にこっちが全て家畜にしてしまえというくらいじゃないと生き残れないのかもしれない。
利用している側なのに、当然のように、好きな物があるかを聞いた、 (家庭は既にあの様子) っていう話なんだけど、実はまつりもどちら側でもあってどちら側でもない。搾取される側でもあるけど夏々都ほど大人たちに優しさを見出さない。
言及が食べ物とかレベルに到達しているので、植物とか空とか見てるのが一番好きなんだと思う。
ななとくんも好きな物がいっぱい出来ると良いな。
まつりは唯一夏々都を搾取しない。まつりに何かあると理屈抜きでキレる。
好きな物がある環境があるか、って人格形成にも関わるけど、見方を変えると、好きな物を増やせる視野があるかでもあるの 01月18日 22:11