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『やめない坊主』
僕はあまり人に言うことはないのだが、空手を習っていた時期がある。小3から中3までぐらいだったと思う。地区大会では1回だけだが、優勝したこともあった。僕はこの空手を機に坊主を始めた。
僕が今でも坊主である理由は主に二つだ。
一つ目は、コスパが良いということ。地元にいる間はずっと同じ理容室で500円で坊主にしてもらっていた。大学生になってからはバリカンを買って月一で自分で刈っているので、ほとんどお金がかからない。
こういった状況が続くと、カット一回何千円、カラーも入れると軽く万をも超えるような領域へはなかなか踏み入ることが出来ない。
二つ目の理由。一つ目の理由はおまけ程度で自分の中ではこれが大半を占めている。
それは、キャラの確立、である。
最初はそんなつもりはなかったのだが、坊主を続けるうちに低身長ということも相まってか、周りから「かわいい」と言われることが増えた。
多分、僕はそれが嬉しかった。
「かっこいい」「すごい」と言われるより、「かわいい」「おもしろい」と言われる方が気持ちよかったし、楽だった。
そのころから僕は自分のことを無意識のうちに客観的に一つのキャラクターとして捉え、「西峯十和」が周りに愛されるユニークなキャラになるようにキャラデザインを考えるようになった。
自分で自分をゆるキャラへと作り上げようとしたのである。
その結果が今の僕である。だから、髪を伸ばす=坊主でなくなる、という事象はアイデンティティの否定につながる。僕が僕でなくなるような気がするのだ。
もし、僕が筋トレしてムキムキになって、コンタクトにして、ロン毛になって街を歩いていたら、誰も僕だと気づかないんじゃないか。
それが怖い。
……いや、そんなわけはない。人間はマンガのキャラとは違う。いくら髪型や装飾品が変わったってある程度面識がある人であれば気づくに違いない。僕もそんなことは分かっている。
僕が本当に恐れているのは「男」として比較されることだ。
僕は、自分のキャラデザインを作り上げることで、男性の評価基準となる「おしゃれ/おしゃれじゃない」「かっこいい/かっこよくない」というような枠から外れようとしている。
「あいつはもうそういう次元じゃないよね」という立ち位置で特別視されようとしている。
髪を伸ばし、眼鏡をはずし、下駄を脱いだら、僕は「ゆるキャラ」「マスコット」という着ぐるみをはがされ、ただの21歳の「男」として土俵に立たされてしまう。比較されてしまう。男としての可否が結論付けられてしまう。
それが怖い。
それならいっそこのまま「モテない」とか「ぼっち」とかいう状況に対して、「こんなキャラだからしょうがないよね」と自分に嘘をついていたい。
逃げていたい。
だから僕はまだ坊主をやめない。