人知時間
ここ20~30年間、日本の成長は停滞している。
米国はもとより、中国も著しく成長している。
何故か日本だけが取り残されているようだ。
こういう評価は偏にGDPによっている。
GDPとは人間活動、即ち経済活動を金銭で表現したものである。
金銭は確かに便利で有効である。
人間生活には物やサービスが必要である。
自分が活動して、生活の資を稼いだ場合、その資を生活に必要な
物やサービスと交換してくれる媒介物が必要である。
これが金銭であり、GDPである。
人間が他の動物と比較して有能なのは集団知を獲得したからだと
米国の学者が主張している。
人間社会が優れているのは一人の天才が優れているからではなく、大衆が
相互に知識を交換して集団知を獲得しているからだという。
確かにそうではないだろうか。
自分の頭に閃いた知を他人の頭脳に移動させるという
発明は画期的である。
コミュニケーションにおいては、思考と言葉が必要であるが、
この言葉も人間の最大の発明物である。
人間社会が他の動物に比較して有能なのはコミュニケーションに
よる集団知であるとすると、それを評価するスケールがあれば
それこそが、GDPより評価されるべき基準ではないだろうか。
幸い現代はデジタル化時代である。
あらゆるビッグデータを計測できる時代になりつつある。
よく、グーグルの検索エンジンを使用している。
グーグルはこの知的活動を金銭に還元するという発明をした。
これも素晴らしい発明だと思う。
しかし、それよりもこの知的活動時間、即ち、人知時間を計測し
人間社会の評価基準としたらどうだろうか。
この知的活動こそが人間社会の活動成果なのである。
学校教育時間もユーチューブ視聴も知的活動時間だと思う。
この人知に寄与した時間こそが、現代の国家統計として
計測し評価されるべきではないだろうか。
人知に寄与した時間の確定は困難な要素もあるが、
どんな評価基準にもつきまとう問題であり、
不完全であっても、現在の社会基準を大きく変革する
要素になるのではないだろうか。