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私たちは本物の日本人に会っていない



日本人のダイナミズムが覚醒した明治時代


以前の記事で、縄文人は自由で自立していたと書きました。
しかし、今の日本人が自立心が強いとは思えません。
ビジネスの起業意識も低く、開業率は先進国の中で最低レベルです。
平成以降は景気の低迷や起業、廃業時の制度上の不備がマイナス要因としてはありますが、この傾向は昭和期から一貫して変わっていません。
昭和元年生まれが今年98歳になりますから、今生きている日本人は独立よりも安定を求める人達であり、明治期の日本人とは違う国民になってしまったと言えます。
明治開国期は、かつての武士、商人、農民の出自の別なく多くの起業家が誕生し、経済を成長させて富国政策に大いに貢献しました。
明治は希望に満ちた生気溌溂とした時代で、司馬遼太郎は「極めて楽天的で明るい性格」(『坂の上の雲』)と評しています。
正に原日本人の民族性が表出した時代だったのです。
昭和でも、全てを失った終戦直後の開業率は現在の5倍もありましたが、この戦後復興を担ったのもやはり明治生まれの起業家達でした。
明治期と昭和期の間に起こったような歴史の変遷は過去にもあります。

縄文人の遺伝子を受け継ぐ日本民族の本質は自由で、自立していて、行動がダイナミック。
それが、大陸文化の影響を受けることで変質するように感じます。
7世紀に即位した天武天皇は初めて自らを“天皇”(それまでは大王オオキミ)と称し、国号を“日本”と定め、古事記、日本書紀の編纂を命じました。
その目的は、大陸と適当な距離を置く外交政策を執り、日本国家としての独立性を保持することにあったと考えられます。
以来現在に至る千3百年以上の間、天皇を戴く日本の国体は基本的に変わっておらず、サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で著したような儒教文明とも、他のどの文明とも異なる日本独自の文化、文明を築いてきました。
その意味で、天武天皇は日本史上最も重要なエポックメーカーと言っても過言ではありません。
大陸と距離を置く方針とはいえ、天武天皇自身も律令制は導入しましたし、江戸幕府は儒学を官学としました。
日本の歴史は、自由で自立している時代とそうでもない時代を幾度か繰り返しています
今回は特に近代にフォーカスして論じたいと思います。

明治維新後の日本は江戸時代の主流派が撤退し、全く新しい勢力が近代国家建設に奔走しました。
明治初期のベストセラーであるサミュエル・スマイルズの『自助論』の冒頭は「天は自ら助くる者を助く」であり、福沢諭吉は『学問のすゝめ』の中で「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」と説いて若者の自立を促しました。
江戸時代には影を潜めていた日本人のダイナミズムが覚醒したのが明治という時代です
大正の安定期には自由と民主主義という日本古来の価値観が復活し、大正デモクラシーを謳歌します。
しかし一方で、開国から半世紀以上が経過すると、政府や軍等の国家組織が長期存続による経年劣化を起こします。
昭和に入る頃の日本は官僚主義が蔓延り、民族本来の自由闊達な姿を失っていました。
その権威主義的な国家体質は戦後も変わらず継続され、日本を蝕んでいきます。
1945年の終戦は、応仁の乱や明治維新のような時代の変革期ではありません。
戦前、戦中が暗く重苦しかったわけではなく、戦後に解放されて明るく自由になったわけでもありません。
首がすげ替えられただけで、構造は何も変わっていませんでした。
戦前、戦中は軍部、大政翼賛会、終戦後はGHQ、その後は日本共産党が主導した反日左翼による官僚的支配を受け、不自由を強いられた時代が“昭和”の正体と言えるのです。
昭和の日本人は受験競争を経て、公務員や企業人として官僚体制の中に組み込まれました。
儒学を官学とした徳川幕府ですら科挙制を採用しなかったのは、自由と自立を志向する日本民族の体質に合わないからです。
本来の日本社会の在り方は官僚社会とは相容れません

私が仕事で独立した時の動機は、自分の上に誰かがいるのがイヤだったからです。 
仲間は欲しいけど、誰の指図も受けたくないのが日本人の本音だと感じます。
それでは何故日本人は時として自立心を失い、国民性が全く変わってしまう程、他文化の影響を受けてしまうのでしょうか?

先輩後輩は日本古来の文化ではない


1994年にディズニー映画『ライオンキング』が公開された時、アメリカメディアで『ジャングル大帝』の盗作ではないかとの報道があり、日本でも騒動になりました。
これに対し手塚プロダクションは、問題なしとして闘争化を避け事態は収束。
もし他の国であれば、ディズニーは著作権侵害で訴えられていたかも知れません。
日本人は外国、他民族の文化を受容し吸収してきた分、外国人が日本の文化を模倣することに対しても寛容です。
文化は往来しお互いインスパイアされながら形成されていく、という考え方なのです。

5~6万年前にアフリカを出て各地域へ散らばった人類は、約4万年前に日本列島(辺りの地域)に到達したとされています。
彼らは人類始祖からまだあまり分化していない古い遺伝子を持った人達。
その後、ユーラシア大陸の東端には様々な民と文化が流れ着いたわけです。
元々流れ着いた人達で構成された民族ですから、排他性よりも受容性が重んじられました
それが“和の精神”と言われるものの根っこにあるのではないでしょうか。
つまり日本は、とても長い年月をかけて出来た多民族国家であり、多文化受容国家と言えます。
古代においてはオリエント、インド、中国からの、近代、現代においてはヨーロッパ、アメリカからの文化を吸収。
日本は古来の文化を基層としながら、外来の文化とぶつかり合って、良いところは取り入れ日本風にアレンジします
中国から輸入した漢字を日本語に組み込み、更に表記しやすいように仮名を発明しました。
茶も茶道として日本独自の発展を遂げますが、キリスト教との関係も示唆されています。
仏教や儒教もそのままではなく、縄文期以来の土着の宗教、風習と習合する形で受け入れました。
明治期以降の西洋文化に対しても同様です。

日本人は他の文化を完全に排斥はしないので、その影響を我知らず受けていることがあります。
その為、日本人の民族性はとてもわかりにくいのです。
例えば、学校生活以来の社会における“先輩”“後輩”という関係性は、日本の文化には元来ないものです。
これは儒教の「長幼の序」から来ています。
「長幼の序」の考え方は決して悪いことではないので、武家社会がこれを取り入れた為、日本古来の文化であると日本人自身も思い込んでいます。
長い日本民族の歴史からすればごく最近の習慣なので、“先輩、後輩”という人間関係は実は日本人の肌には合いません。
最近の野球やサッカーのチームでは、その関係性が薄れている兆候が見て取れます。
“武士道”も本来の日本文化とイコールではなく、少なからず儒教の影響を受けているのです

日本人が他文化を受け入れるのは、自立しているが故に自己肯定感が高いからです。
自己肯定感が高い人は他者肯定感も高い人
自己肯定感が低い人は他人も肯定できず、リスペクトできません。
社会の中で自立している人は周りに対する感謝があり、他人の考えや意見を尊重します。
周りのサポートがなければ、一人では何もできないとの自覚があるからです。
成功できたとしても、皆様のお陰と捉える謙虚さがあります。
日本人のホスピタリティ(思いやり、おもてなしの精神)が高い理由も同じ。
どの国でも上流階層のホスピタリティは高いのですが、庶民階層のホスピタリティは極めて低く、店やレストランの店員はただ仕事をこなしているだけです。
サービスをした時にチップを要求するのも主従関係と捉えているから。(もちろん賃金の安さもありますが)
ホスピタリティはサービスとは違い、相手に従うのではなく相手に喜んでもらいたいという精神。
日本では庶民的な店でもお客様を笑顔で迎え、おもてなしの意を表わします。
日本社会の人間関係は縦の関係ではなく、自由で自立した者同士のハイレベルな交流です

フランスの社会人類学者レヴィ=ストロースは日本文化を研究し、「日本人は比類なき縄文文明の土台の上に、外国文化を取り入れて日本風の独自の文化を築いた。日本人の精神性は東洋とも西洋とも違い、最終的に個人の自我を求めている」との主旨の発言をしています。
昭和が遠くなるにつれて、その呪縛と無縁な自由で自立した自我を求める世代が現れてきました。
平成生まれは昭和世代の親を持つので昭和をまだ引きずっていますが、令和生まれの子供達はほとんど影響を受けないでしょう。
昭和、平成の閉塞感を打破し、個性を発揮する自立した本物の日本人の復活が期待できます。

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