ジャパニーズ女子高生は何故食パンを咥えて走るのか? 〜戦後日本トースト史〜
1 長い前説
朝、食パンを咥えて走る女子高生。遅刻している彼女は不用意にも曲がり角でイケメンとぶつかってしまう。平謝りし、ギリギリ時間内に教室に滑り込む。朝会で紹介された転校生は、なんと今朝のイケメン。なんやかんやあって二人は恋に落ちる。
……というストーリーを聞いて、頭にハテナが浮かぶ日本人はほとんどいないだろう。少なくとも漫画・アニメ等のサブカルにおいては使い古された表現だ。一応、起源としては1970年代に流行った、「乙女ちっく系」と呼ばれる一群のラブコメ少女漫画において、多用された展開だと考えられてきた。
これに関しては、wikipediaに記事まで作られている。
記事を読めば分かる通り、ネット上の有志が食パン少女の原点はどこだと探した結果、意外な事実が判明している。少女漫画において、「「食パン」「遅刻」「衝突」「恋」の要素をすべて満たす作品は皆無」であったというのだ。長いこと、「食パン+衝突+転校生」の組み合わせは少女漫画におけるベタだと思われていたが、そうでもなかったらしい。ベタなのは「遅刻」や「のちに再開する」など、それぞれの要素だけだったのだ。
全てを満たしている例は、パロディで漫画の描き方を語る『サルでも描けるまんが教室』(相原コージ、竹熊健太郎 小学館 1989年)内にて、冗談交じりに描かれたものが最古とされている。最も有名なのは、テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』最終話で綾波レイが食パンを咥えて走るシーンだ。どちらにせよパロディとして使われているわけで、オリジナルとは言い難い。
言い難い、と言い切れるのは実は今回この記事を書くにあたって、偶然にも「食パン」「遅刻」「衝突」「恋」の全てを満たす少女漫画を見つけてしまったためだ。『週刊少女フレンド 第21号』(1972年5月16日)掲載の「セントラルパークにて」という作品で、『はいからさんが通る』などで有名な大和和紀の作品だ。以下に一部を引用する。
画像では省略したが、二人はもちろん恋に落ちる。転校生であることがぶつかった直後に判明するため、教室で再開して「あーっ! あの時の!」と叫ぶベタ展開が存在しないところが欠点だろうか。これが、食パン少女界隈にてレギュレーション違反かどうかは、少女漫画に詳しい方々に判断を仰ぎたい。
しかし、この「セントラルパークにて」も全ての元ネタとは言い難い。こちらは新世紀エヴァンゲリオンと違って、ネットでもほとんど言及されていないマイナー作品である。Xで検索したところ、言及されているのはお一方だけ(たった1ポスト!)だった。この作品が元で日本全国に食パン少女が広まったとは考えづらい。やはり、一つ一つのベタ展開が日本人の頭の中で組み合わさり、いつのまにか国民的な共通認識となったというのが、まあ正解なのだろう。
これらベタ展開が多用された理由については、少女漫画家の北川翔が次のように言及している。
なるほど言われてみればだ。筆者が70年代の少女漫画雑誌にざっと目を通してみただけでも、現代の学校を舞台にした作品は、
遅刻する(寝坊する、家族の面倒を見て、店に立ち寄り、何か事件に巻き込まれて)
人と接触(ぶつかる、同じく遅刻した男に声を掛けられる、幼馴染が迎えに来る)
再開(転校生、新任の先生、同じ新入生)
エトセトラ、エトセトラ。組み合わせとアレンジで作品を大量生産している節が見られた。
別に少女漫画だけを悪しざまに言うつもりはない。男女を入れ替えても成立するフォーマットであるから、少年漫画雑誌のラブコメなどにも多用されている。アレンジを効かせた例(「美少女が空から降ってくる」とか)ならごまんとあるし、日本人の脳裏にこういった展開が刻まれていてもおかしくない。
しかし、北川翔の言説には納得がいかない部分がある。異性とぶつかって出会うのは分かる。転校生と恋に落ちるのも分かる。その2点は分かるが、食パンを咥える必要が微塵も分からないのだ。
というわけで、この「食パンダッシュ」の謎を追っていこう。日本におけるトーストの普及を辿り、なぜ日本人は、「女子高生はトーストを咥えて走るもの」と思い込み始めたのかを探る。
2 戦前から戦後へ
第二次世界大戦前の日本では、米食が主流だった。パンは富裕層の食べ物というイメージがあったようだが、手の届かないほどの高級品というわけではなかったので、オシャレ振りたい都市部の若者や学生、知識人たちは好んで食べた。
とあるので、パン一個と牛乳で済ます分には、現代のコンビニ飯と同じぐらいの感覚だったのではないかと思われる。
パンは他に、病院食や兵士の糧食としても活用された。しかし当時は、「軍隊に入れば白飯がたらふく食える」と聞いて軍人を志願した者も多く、パンは腹にたまらないとして不人気だった。海軍では若い兵士がこぞってパンを海に投げ捨てるものだから、海鳥が軍艦の周りに集って大変だったとのことである。(『パンと昭和』小泉和子 河出書房新社 2017年)
西洋食においてパンは、肉や魚をたらふく食べ、そのついでにサブとして食べるものなので、単体で腹に溜まらないのは当然だ。そういう食文化教育が同時に輸入されなかったために、兵士たちの悲劇を生んだのだろう。アンパンが発明されて人気を博したために、日本では「パン=菓子パン」のイメージが根強かったことも反発が起きた要因である。
大正から昭和初期の華やかなる時代が続き、西洋文化の普及がそのまま進むかと思いきや、日本は戦争の時代に突き進んだ。そして敗戦である。
戦後、復興支援のためGHQやアメリカ、その他の支援団体が、日本に大量の小麦を持ち込んだ。そのお陰で米の配給が滞る一方、小麦の配給は定期的に行われた。
ちなみに小麦の配給は、粉状のそのまんまの小麦の状態で配給された。各家庭には、パンを焼くための道具がなかったため、街のパン屋さんに小麦を持ち込み、手間賃を払ってパンにしてもらった。これが後の山崎製パンなどのパン会社に繋がる。また、電気の力でパンを焼く、「電気パン」という今では失われた技術も一瞬だけ普及した。電気パンがどういうものかは、でんじろう先生が動画を出しているので、是非とも参考にしていただきたい。
このように小麦を食べる準備が着々と整っていった日本だが、かといって、「今日からパン食だ!」ということにはならなかった。とにかく日本人は米にこだわり続けるのである。戦後文学誌の短編小説には、こんなやり取りがある。
当時の庶民にとってはもはや、ファシズムがどうとかGHQがどうとかではなく、米を配ってくれるのが良い政府だったのだ。それほどまでに日本人は米に飢えていた。そこらに小麦が溢れているのにも関わらず、闇市では米が高額で取引された。政府も国民に米を配給するため、国内農家から米を買い上げたり、わざわざ諸外国から高値で米を輸入したりした。
このような状況が1950年、池田勇人蔵相の「貧乏人は麦を食え」発言騒動につながる。実際には、「出回ってる安い小麦を食べてくれれば、高い米を輸入したり配給したりするコストを丸々カットできるんだけどなぁ……」ぐらいの国民へのお願いだったのだが、米を食うなと言われた日本人が冷静でいられるはずもなく、瞬く間に大炎上となった。
このままでは、いつまでたっても女子高生が食パンを咥えて走ってくれそうにない。皆様もお嘆きの事だろう。
さらに追加で悲しいお知らせとなるが、この時代のパンはどちらかというと、食パンよりも丸いコッペパンがメインだった。四角く焼く食パンは専用の器具と技術が必要なうえ、焼きムラが出来やすい。学校給食で食中毒騒動が起きたこともあって、丸くて均一に火が通るコッペパン型が普及していた。
しかし、ここにゲームチェンジャーが現れる。現代日本人もよく知るアレ。トースターの登場だ。
3 手の届く家電、トースター
さて、戦後の人がどのようにトーストを焼いていたかというと、炭火や電熱器の上に金網を乗せて焼いていた。トースターなんてものはアメリカ人が使っている未来の機械であって、夢のまた夢。それどころか、トースターという言葉自体が聞きなれないものであって、当時の雑誌を見てみると、トースターという言葉の後ろに、(※トーストを焼く機械)とわざわざ注釈がつけてあったりもする。
戦後10年経った1950年代の半ばでも、アメリカ産のトースターを買おうとすると、14,000〜15,000円は取られるのが相場だった。公務員の初任給が8,000〜9,000円の時代なので、超高給品と言って差し支えないだろう。
安価な国産トースターが登場すると、富裕層でなくても買える調理家電として普及し始める。ただし、メイドインジャパンなどという言葉は、まだまだ未来の話。当初の国産トースターはあまり質の良いものではなく、なかなか焼けなかったり、逆に焦げたりと、主婦の不満を買うことになった。雑誌『暮しの手帖』が各社のトースターを実験、43,088枚のトーストを焼いて山積みにし、その写真を誌面に掲載したのは有名なエピソードである。2016年の朝ドラ、『とと姉ちゃん』でも取り上げられたので、ご存じの方も多いだろう。
そんなこんなで、キッチンの電化が進むのやら進まないのやらという状況が続く中、日本は高度経済成長期に突入する。給料も10年で2倍3倍と上がっていき、電化製品の普及も一気に進んだ。
トースターは、パンが焼けるだけではない。なにより、朝食の準備時間を劇的に短縮する。それまでは米を焚き、一汁一菜を作り……と重労働だった朝食がトースター一つで済むようになったのだ。短時間で食事が作れるようになったうえ簡便なため、子供や学生、ズボラな独身社会人などが自分でも朝食を作れるようになったことだろう。
さて、ここでやっと我々は、食パンダッシュについて言及できるようになる。というのも最初に言及した、漫画における食パン少女探しにおいて、ネットの有志が見つけた最古の例が、『サザエさん』に出てくるワカメちゃんが食パンを咥えて家を飛び出すシーンなのだ。漫画の掲載が1962年、ちょうどこの頃である。ここでの食パンダッシュは、『サザエさん』作者の長谷川町子が考えたギャグというよりむしろ、皮肉を得意とする彼女の現代人批判ではなかっただろうか。
当時の日本人が食パンダッシュをやっていたのではないか、という証拠を見つけたので以下に引用する。1961年の『婦人倶楽部』に掲載された、読者からの自由詩投稿コーナーの一等に選ばれた作品だ。
筆者が見つけた、国内最古(?)の食パンダッシュである。婦人雑誌であるから、投稿者も女性である。創作とはいえ、自分自身の日常を書いているようだから、食パンを咥えて走る女性は実在した可能性が高い。選評によると「勤めに出る婦人の朝の起床というごく単純な材料を実感的にうけとめて詩にしたものですが、作者の受信機は非常に正確で狂いがありません。」とのこと。「いやいや、トーストかじって走りますぅ?」というような無粋なツッコミが入っていないところを見るに、食パンダッシュは当時の感覚として、あり得ることだったのだ。
もう一つ、1965年の映画『父と娘の歌』のワンシーンを見てみよう。主演は当時、弱冠20歳の吉永小百合である。
音楽の才能がある主人公・紘子(吉永小百合)は、病気で仕事ができなくなった父を支えながらも、苦学して音大の寮に入り……という流れでのシーンだ。朝、紘子は紙に包んだ食パンを持って食堂に入ってくる。食パンは自前で用意して、トースターは共用のものを使ってよいシステムのようである。苦学生の紘子は、朝食などそこそこに済ませてピアノの練習に行きたい。しかし、トースターは先客のパンで埋まっている。するとそれを見た寮友の一人が、自分の焼き終わったトーストと紘子の食パンを交換してくれる。そして次のシーン、紘子は礼を言いながら、なんとトーストをテキストブックと一緒に抱えて食堂から出ていくのだ。
このシーンについて文章で確認することもできる。映画雑誌のキネマ旬報は当時、映画の脚本を丸々掲載するというイカしたことをやっていたのだ。『キネマ旬報 (402)(1217)』(キネマ旬報社 1965年)によると紘子は、「牛乳瓶を片手に、大きなトーストを口に一杯頬張りながら出て行く」とある。撮影か編集か、どのタイミングで変更されたのかはともかく、脚本の時点では紛うことなき食パンダッシュだったのだ。
さらに男性の例では、『週刊サンケイ14(8)(714)』(扶桑社 1965年)にも、「ヒゲなどそる暇はない。黒こげのトーストをほおばりながら駅までマラソンだ。」とある。
先ほどの詩が1961年、サザエさんでワカメちゃんがトーストを咥えて学校に向かうのが1962年、父と娘の歌と週刊サンケイの記事が1965年である。1960年代にはすでに、「トーストをかじり」とか、「トーストをほおばり」というフレーズが、朝の忙しさを表すための定型文となり始めていたと推測できる。少なくともトーストが、急ぐ朝の象徴になっていたことが伺える。
ワカメちゃんを除く三者は、自立した大人であり、後年の「ドジな女子高生」像とはほど遠い。忙しい現代社会に忙殺される大人の表現のようにも思われる。女性の例に関しては、西洋化したデキる女というか、社会進出する女性を表しているのかもしれない。
4 高度経済成長の闇
1960年代後半に入ると高度経済成長期の企業戦士は、「モーレツ社員」と呼ばれるようになる。働く者こそ正義! という時代の到来だ。そこから1970年代、食パン少女の本拠地である乙女ちっくラブコメ系の少女漫画が栄えた時代まで、いったい何があったのか。
実はこの時代、劇的に日本人の生活を変えた出来事があった。都市圏の拡大である。高度経済成長により、都市に人口が集中し、住宅地が拡大、団地が林立したのだ。植物が根を伸ばすように主要都市が周りの都市をベッドタウン化していき、首都圏においては、「埼玉都民」や「神奈川都民」と言われる人種が増加する。ニュータウンと呼ばれる住宅街も次々建設された。『平成狸合戦ぽんぽこ』で有名な多摩ニュータウンもこのころの竣工だ。
都市圏が拡大すると、当然ながら遠距離通勤者が増える。モーレツ社員時代であるから、上司との飲み会には毎晩のように付き合う。経済成長により娯楽も事欠かなくなった。同僚と徹夜で麻雀もする。映画のレイトショーどころか、テレビも遅くまでやっている。睡眠時間は削られていく。するとどうなるか。当然、朝食を食べる暇がなくなるのである。
朝食を抜いたサラリーマンは、ではそのまま会社に行くのか、というとそういうワケではなかった。そのかわり彼、彼女らが駅のミルクスタンドでパンをかじる光景が、通勤時間おなじみの光景となった。
朝っぱらから人前で立って食事をとる、という光景は、当時としても新しい光景として映ったらしい。『婦人之友 58(8)』(婦人之友社 1964年)には「朝飯代わりにミルクスタンドは大繁盛」という記事が載っているし、『商店界 46(14)(571)』(誠文堂新光社 1965年)には、「立って食べる」なる、立ち食いの如何についての特集が、わざわざ8ページを費やして語られている。
ちなみにミルクスタンドとは何か、というと、駅に設置されていた、牛乳と軽食を売るスタンドのことである。平成生まれの筆者が存在を知らなかったので、昭和でなくなったものかと思っていたが、10年ぐらい前まではまだ残っていたらしい。
現在首都圏で残っているのは、秋葉原駅の一か所だけとのこと。言われてみれば、「何故こんな場所で牛乳を?」っていう売店、いろんな駅にあったなぁ。
さらにもう一つ余談だが、1967年にはネスカフェのネスレ日本が、「お早う、マギーです」という広告を打って、業界に衝撃を与えた。「けさ、ご主人は朝食を食べてお出かけになりましたか?」というフレーズとともに、主婦にインスタントスープを売り込むという広告である。それまでの広告は、商品がいかに素晴らしくて安いかを訴えるものばかりで、こういうからめ手を使う広告が衝撃的だったとのことだ。
また、この時代まで西洋風のスープというのはディナーに食べるものだった。それを時間のない朝食に当てさせようという逆転の一手で、これが大成功して、我々日本人は朝食に「○○カップスープ」なる商品を飲むようになった。
閑話休題。
サラリーマンのオジサンたちがパンを咥えながら通勤していたことは分かった。しかし今回の主題は、「なぜ女子高生が食パンを咥えて走るのか?」である。この時代の子供たちに何があったのか。ひとつグラフを引用する。
上のグラフは文部科学省のWebサイトからのものだ。1960年代(昭和35年から45年)、国民所得指数が右肩上がりどころでない急上昇を示し、同時に高校進学率が増加している。そう、物理的に高校生の人数が増えたのだ。同時に大学進学率も微増していく。
この時代にマスコミで使われ始めたのが、「受験戦争」という言葉である。大人たちの仕事熱が、「よい会社に入ることが幸福」という価値観を通して、「良い大学に入ることが子供たちの幸せ」という、手段と目的が完全に捻じれた熱意にスライドしていった、そんな時代である。
その結果、近くの伝統校より遠くの進学校ということで、子供たちを遠方の進学校に通わせるという文化が生まれた。大人たちの通勤圏が広がるのと同時に、子供たちの通学圏も広がったのである。夜は塾に通い、マンガや何やらを読んで夜更かしもしたことだろう。大人たちと同様、子供たちも睡眠時間が削られ始めたわけだ。
当時の先生たちが作る資料にすら、食パンを咥えて走る高校生の絵が使われたようである。つまり食パンダッシュは、いくらか戯画化されてるとはいえ、教育現場にいるプロから見ても違和感のない表現だったということである。
ここで、一つの結論が出たのではないだろうか。食パンダッシュは、「少女漫画のベタ」ではなく、「1960〜70年代における遅刻表現のベタ」だったのだ。ここにおいて、「実際に食パンを咥えて走ってる女子高生なんか見たことない!」という訴えは全く意味をなさない。例えるなら、道端の「交通事故多発、飛び出し注意」の看板や、駅に貼ってある「酔っぱらって線路に落ちるサラリーマン」のポスターみたいなものだ。実際に人が轢かれる光景を見たことは無くても、死亡事故が年に何百件もあることは知ってるし、線路に落ちる酔っ払いを見たことがなくても、鉄道会社が金をかけてポスターを作る以上、線路に落ちる酔っ払いはいるのだ。
そしてこの「遅刻表現のベタ」が、前述した「とりあえず主人公を遅刻させて異性と出会わせる」というテクニックと結びついて、「少女漫画=食パンダッシュ」と混同された可能性がある。
また、「遅刻遅刻~!」と言いながら食パンを咥える少女の例が、存外見当たらないのも恐らく「食パン=遅刻」であるためだ。食パン自体が遅刻を表す記号であれば、食パンと「遅刻~!」はどちらかだけで良い、二者択一の表現となる。
5 切実なる食パンダッシュから萌えの食パンダッシュへ
この食パンダッシュが少女漫画から消えていった原因に関しては、二方向からの原因が考えられる。
一方は少女漫画側からの自粛である。『別冊少女フレンド』1977年10月号に掲載された、布浦翼の「ドリームドリーム」には、「学園まんがってどうしてこう遅刻の場面が多いんだろう」というメタ的なセリフがある。少女漫画において主人公がやたらと遅刻するという点に関しては、作家側もだいぶ意識していたようだ。また、1978年にもなると、乙女ちっく少女漫画は一種の限界に到達する。
上記の画像は、1978年の作品。とうとうここにきて、食パンダッシュどころかフランスパンを小脇に抱え、それで頭をコツンとやって赤い星を出す。前後のモノローグは、「うーっ 遅刻遅刻 お恵にアッコ おこってるだろーなァ」「おかげで起床は待ち合わせ時間の10分前ナリ… 目の下に少々クマあり… 走りながら食べるはめになるナリ…」とあり、21世紀のパロディ作家が悪意を持って描いたんじゃないか、と思われるほどの乙女ちっくぶりである。
ここまでくるとジャンルとしても自家中毒というか、表現としての煮詰まりが起きたのだろう。80年代から90年代には、性や暴力などのリアルな問題に切り込む少女漫画が増えていくことになる。
もう一方の要因は、社会全体の価値観の変化である。1970年代を通じて、ドル・ショックやオイルショックなどで高度経済成長にブレーキがかかり始めると、「働くだけ金が稼げて幸せ」という価値観が薄れ始める。
享楽の80年代には、この言われようである。エコノミックアニマルと呼ばれることに嫌気がさした人々は、「忙しくて余裕がないこと=頑張っている証拠」とは、みなさなくなり始めていた。
しかし、食パンダッシュは現代のアニメ・漫画にも生き残っているわけで、絶滅したわけではない。少女漫画に居場所を失った食パンダッシュは、男性向けのラブコメ漫画へとフィールドを移して生き残ったものと思われる。
1978年に登場した『翔んだカップル』や『うる星やつら』を嚆矢に、少年漫画界にラブコメブームが起きたのが80年代台だ。ラブコメのどこか浮世離れした恋愛模様といえば、乙女ちっくラブコメの主戦場である。それまでの少年漫画の文脈にはあまり見られなかったものだ。少年漫画は、少女漫画から多分にその手法を吸収していく形で、様々なラブコメを作り上げていった。
さらに同時期、成人雑誌や同人界隈などアングラな世界では、ロリコンブームと呼ばれる現象が起こる。ロリコンと聞いて眉をひそめる方もいるかもしれないが、生々しい小児性愛を想像しないでいただきたい。様々な側面があるため単純には語れないが、ここでは当時の新しい世代による表現運動として説明しよう。
それまで二次元のエロといえば、劇画調のセクシーなお姉さんというのが一般的だった。しかし一方、手塚治虫風のデフォルメのきいた可愛らしい絵柄でエロを表現できないかという一派も、ひっそりと土の下に潜んでいたのである。奇しくもそのタイミングで、アイドルブームや美少女系の写真集発売など、かわいい系のジャンルが一部で市民権を得た。そこで成人漫画雑誌界隈において、デフォルメ系の一派に白羽の矢が立つ。話のどこかに女の子の裸が出てくれば何描いてもいいよ、ぐらいのユルさでかき集められた彼らは、自分たちの趣味を全開にして作品を書きまくった。当時、既存作品のパロディがカウンターカルチャーのいちジャンルとして隆盛を極めていたのも相まって、「かわいい女の子×〇〇」という多彩なジャンルの小作品が玉石混合、大量生産されることになる。
これら、「デフォルメされたかわいい女の子」の絵柄に関しては、少女漫画の影響が伺える。女性らしさを絵に表現するために、「女性が描いた女性」の表現というのは、またとない見本だったのだろう。
「ロリコンもの」は後に、実際の児童を対象とした性犯罪の余波を受けて糾弾されたことなどにより、「美少女もの」へと名称を変えていく。美少女アニメ・美少女漫画など、現代ポップカルチャーで使われる、「美少女」という単語の走りである。
ラブコメブームとロリコン(=美少女)ブームの両者が、日本のサブカルチャーに与えた影響は大きい。徹底的に可愛さを追及された少女たちを、メジャー・マイナー問わずあらゆるジャンルと駆け合わせ、シュールギャグ一歩手前の作品を作りまくるという、皆さんご存じ現代ジャパニメーションの基礎はここから来ていると言っても過言ではない。
この、「乙女ちっく少女漫画→ラブコメ少年漫画→美少女もの」の流れの中で、食パンダッシュはベタ表現として生き残った。もはやそこに、高度経済成長期のサラリーマンの悲哀などは残っていない。少女の可愛さを表現するためのツールでしかない。まるで伝統芸能の型のように、開祖不明のまま形式だけが繰り返されるのみだ。
冒頭に紹介した『新世紀エヴァンゲリオン』における、綾波レイの食パンダッシュに関して、1997年にはこう言及されている。
映像芸術の専門誌のライターでさえ、食パンダッシュを“少女漫画”ではなく、“ラブコメ”の典型として認識しているのだ。90年代にはもうすでに、食パンダッシュがラブコメの文脈に吸収されたと言っていいだろう。
6 食パンダッシュの世紀末
こうしてめでたく、食パンダッシュはコメディの文脈に組み込まれた。それでは、80年代から現代にかけて、食パンダッシュのイメージ変化に影響を与えたかもしれない事象を羅列していこう。全般的に言えば、「遅刻」そのものの悲劇性が低減されたのではないかと思われる。
まず、80年代に暴走族、ヤンキー系の漫画が登場すると、ツッパリ・ちょいワル系の主人公が増え始めた。自ら生きづらい道を選ぶ前時代的バンカラとは違い、豊かになった社会に甘えて楽な道に流れているタイプのワルだ。そんな彼らは、当然遅刻だってお手の物。しかし、彼らが食パンを咥えて走っても少年読者は微塵も嬉しくないから、自然とヒロインが食パンダッシュをすることになる。
管理的な教育への批判が高まり、遅刻の取り締まり自体が緩くなったことも要因だろうか。1990年、遅刻者を締め出すために教師がチャイムと同時に校門を閉めた際、女子生徒が挟まれ死亡するという、神戸高塚高校校門圧死事件が起きる。
この事件は日本中から大バッシングを受け、教師による一方的な生徒指導が見直されるきっかけとなった。70年代の乙女ちっく漫画では、遅刻をすると校門に意地悪な先生が立っていて、「君、生徒手帳を出しなさい!」というシーンがしばしば登場する。最近の漫画では見ないシーンだ。
一定以上の年代の人たちには笑われるかもしれないが、筆者は初め、これらのシーンの意味が全く理解できなかった。遅刻して、校門で、何故手帳を……? という具合だ。生徒手帳に遅刻理由を書き込まれる(で、合ってますよね?)という文脈も、もはや消え去っている。
さらに言えば、その後は携帯電話が普及し、個々人が連絡手段を持ち歩ける時代が到来する。登校途中の遅刻連絡も以前より圧倒的に簡単になった。親に隠れて遅刻欠席連絡をする学生も増加したことだろう。
学歴信仰の崩壊も関係があるだろうか。
1990年に大学の共通一次試験が廃止されセンター試験となり、入試試験に一定の平等性が確保されたこと、バブルの崩壊により、「良い大学=良い会社に入る」ことへの信仰が薄れたことなどにより、受験戦争の熱も徐々に冷めていく。
公共交通機関の改善と都市機能の分散化も進んだ。人口増加にブレーキがかかり、情報技術が発達したことにより、都市機能が主要都市から周囲の地方都市に分散していったわけだ。これにより、過酷な通勤・通学が軽減された。そうなると以前よりは、物語作品に過酷な朝が登場する機会が減るのではないだろうか。
駅の環境も次第に改善されていった。2000年ごろからは、駅ナカに小型のコンビニやカフェが設置されるようになる。高度経済成長期のサラリーマンの友、ミルクスタンドが無残に消滅していく一方、女性や若者が入りやすい店舗が増加した。ファストフード店の増加などもあり、外食の選択肢が増えたことで、無理に家から食料を持ち出す必要もなくなったわけだ。
7 おわりに 21世紀の食パンダッシュ
繰り返しになるが、現代の食パンダッシュは本来持っていた社会性が失われ、もはや遅刻の記号と化しているわけである。
もともとは、年齢や性別を問わなかったはずの食パンダッシュである。少女漫画→ラブコメ→美少女アニメと、パンを咥える主体が「主人公の少女」に先祖返りしたことで、少女漫画発から現代の美少女アニメに直につながっているように見えるが、実はそうではない。今後食パンダッシュを描く際は、「少女漫画のベタ」と思い込んで再利用するだけでは、片手落ちになってしまうよ、ということを改めて主張していきたい。
最後に、食パンダッシュを描きたいクリエイターの皆さんへの参考として、現代食パンダッシュをパターン分けして示す。
① 少女漫画パロディ型
70年代乙女ちっく系の食パンダッシュ。主人公にドジな行いをさせることで、読者の共感を得るために活用される。オリジナリティを出すことも重要だが、ギャグ漫画でない場合、あまりに突飛な行動をされると読者の共感が薄れてしまう。
② 80年代ラブコメ型
まだるっこしい伏線なし、苦労なし、遅刻するだけで女の子と知り合えるというオイシイ展開。こんなドジな子なら俺でも……と純な少年に期待を持たせる点も重要。文脈が少しズレると、「そんな出会いあるわけねーだろ、馬鹿じゃねーの?」というラブコメ批判にもなる。
③ 美少女アニメ型
女の子の可愛さを表現するための食パンダッシュ。下の『けいおん!』では、登校時間を勘違いしていて、学校に早く到着してしまうというオチが付く。ストーリー上のギミックというよりは、とにかく可愛い。それ以外の意味は特にない。幼い子供や小動物を観察する感覚に近い。
美少女ものから美少女ものへの再生産、ベタをさらにベタとして再利用しているともいえるので、真面目にやりすぎると見る側が胃もたれを起こす。
④ コメディ型
ある意味での原点回帰。時間に追われる現代人の悲哀を描く。一種の大喜利である。60年代に吉永小百合がむき出しのトーストを小脇に走っているので、それ以上のインパクトが必要かもしれない。
(ジャパニーズ女子高生は何故食パンを咥えて走るのか おわり)