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「すいかの名産地」考 1909年、子羊たちが跳ねた場所

 童謡「すいかの名産地」の元ネタに関する記事です。結論のみを知りたい方は、「6 Lambs Star Gambol」まで飛ばしてください。また文中の人物名は全て敬称略としています。


1 「すいかの名産地」は何処ぞ?

 皆さんも、「すいかの名産地」という童謡をご存知のことだろう。知らない人はすぐにyoutubeで検索していただきたい。SMAPの三人が西瓜コスチュームでキレッキレに踊る地獄絵図を堪能することができるから。さあ、これで二度と忘れなくなった。

 ついでに歌詞も検索していただきたい。この「すいかの名産地」は、謎が多い童謡である。歌詞の内容を見ただけでも、

(疑問1)「すいかの名産地」とは、どこのことなのか?
(疑問2)友達の話から突然、花嫁の話になるのは何故か?

という疑問が浮かぶ。
 そんなもの、検索すればいくらか情報は出てくるはずだ、と思いきや調べ始めると以下の事実にぶち当たる。

 〇 アメリカ民謡とされているが、原詞が不明。メロディは、「Old Macdonald Had a Farm(マクドナルド爺さん)」と同じである。
 〇 日本でいつごろ歌われ始めたのか不明

 そんな事情で、「すいかの名産地」がどこにあるのか気になったが最後、答えは与えられず、頭の中が西瓜でいっぱいになること必定。この謎に囚われた人間は、精神を西瓜地獄に引きずり込まれ、夜な夜なスイカ畑に迷い込む夢を見ては叫び声とともに目を覚ますという。
 筆者もその一人だ。

 すいかの名産地、それは不気味な場所。帰り得ないところ。童謡のリミナルスペース。それはどこにあるのか? 花嫁とは何者なのか?

 だが、恐れる日々はもう終わりにしよう。我々には知恵がある。「すいかの名産地」という謎に、いまこそ立ち向かう時だ。

2 「すいかの名産地」について分かり得ること

(疑問1)「すいかの名産地」とは、どこのことなのか?
(疑問2)友達の話から突然、花嫁の話になるのは何故か?

 二つの疑問にとりかかる前にまず、「すいかの名産地」についての基本情報をまとめる。この情報については、@bxjpi氏の記事に負うところが大きい。

 一読を願いたいが、念のため要点をまとめると次のとおりである。

〇 童謡作家 高田三九三の翻訳によるアメリカ民謡。
〇 高田の著述によると、上坂茂之氏に依頼されて訳詞。昭和40年(19
 65年)ごろ
発表。青少年愛唱歌集等に収録され、キャンプなどで愛唱さ
 れた。
〇 なお、上坂茂之なる人物は検索にヒットしない。
〇 (記事に寄せられたコメントから)「すいかの名産地」というフレーズ
 は、マザーグースDown by the day(where the watermelons growという
 詩)からで、それを「マクドナルド爺さん」に合わせて替え歌したのでは
 ないか。

 図にするとこんな感じ

図にするとこんな感じ

「すいかの名産地はどこにあるのか?」を解くために、図中の「すいか原詞」を見つけたいところだが、このヒントが一切見つからず手詰まりになっている状況だ。ならば角度を変えるしかない。一旦、スイカのことは忘れて、情報が見つかりそうな「マクドナルド爺さん」から攻めてみることとする。

3 「マクドナルド爺さん」の歴史

 「Old Macdonald Had a Farm(マクドナルド爺さん)」は英語圏で歌われる民謡・童謡である。日本語訳としては、小林幹治訳詞のゆかいな牧場(いちろうさんの牧場で~)が有名だろう。

「マクドナルド爺さん」の歴史について調べてみると、驚くことに大まかな流れがほとんど分かっているらしい。時代の闇に埋もれて不明な点もあるようだが、西瓜の闇に比べたら大したことはない。

 以下は、英語版wikipediaからのざっくりとした要約である。

 1706年、イングランドのトマス・ダーフィーが、自作のオペラ用に「In the Fields in Frost and Snow」という歌を書いた。歌詞は次のようなもの。(日本語訳は筆者によるもの)

In the Fields in Frost and Snows,        雪に埋もれた野原にて
Watching late and early;           晩から朝まで
There I keep my Father's Cows,        親父の牛の面倒を見るんだ
There I Milk 'em Yearly:            それに毎年ミルクを搾って
Booing here, Booing there,         こっちでモー、あっちでモー
Here a Boo, there a Boo, every where a Boo,   こっちで、あっちで、
                     どこでもモー
We defy all Care and Strife,          苦労も喧嘩もなしにして
In a Charming Country-Life.              素晴らしき田舎暮らし

 オペラ自体は大成功といかなかったものの、この歌だけは他のオペラで再演されるなどして、人々が口伝えで歌うようになった。ちなみにこの時の曲調は、「マクドナルド爺さん」とはかけ離れている。

 時が過ぎて1900年代初め、各地の民謡が記録・出版される過程で以下のようなバージョン違いが“再発見”された。

Old Missouri had a mule, he-hi-he-hi-ho
(古きミズーリにはラバがいるぜ、ヒーハイ ヒーハイ ホー)
Old Macdougal had a farm, in Ohio
(マクドゥーガル爺さんは農園を持ってる、オハイオに)

 最終的に1927年、「Old MacDonald Had a Farm」がレコード化され、決定版の歌詞となった。(以上、wikipedia情報おわり)

 では、この歌がいつ頃日本で受容されたのか。国立国会図書館のデータベースで検索してみる。戦後の英語教育で原詞が何度か活用されたのち、小林幹治による訳詞「ゆかいな牧場」が決定版になったようだ。「ゆかいな牧場」の初出は、書籍的には「NHKみんなのうた」の1965年2・3月号だと思われる。


 時系列を整理する。

 自分で作っておいてなんであるが、疑問しか残らない図である。
 まず、歌詞の問題。歴史を見てわかる通り、「マクドナルド爺さん」は古来から一貫して動物とお里自慢の歌である。しかも、登場する動物や土地の名前を変えればよいだけ、というフォーマットが成立している。この状況ですべての歌詞を無視して、友達と西瓜と結婚式の替え歌を作るだろうか?

 次に発表年の問題。高田三九三の著述によると「すいかの名産地」は昭和40年(1965年)ごろの発表とのことだが、同年に「ゆかいな牧場」が発表されているのだ。昭和40年ごろ、と記録が曖昧なため、「すいか」と「牧場」のどちらが先かは分からないが、タッチの差であれば、お互い発表を控えるのではなかろうか。
 しかも片方は天下のNHKで採用されているのである。同じ曲の最新訳が2つ同時に存在するという、教育現場が大混乱に陥りそうな事態を、NHKが黙って見過ごすだろうか。

 「すいかの名産地」は、1965年よりだいぶ前に訳された可能性が出てきたことになる。しかも、「マクドナルド爺さん」とは直接的に関係がないかもしれない。

4 すいか界の黒幕、上坂なる人物の謎を解く

 というわけで、昭和40年(1965年)以前に「すいかの名産地」を掲載した書籍がないかと探る。国立国会図書館のデータベースで検索すると、「スイカの名産地」とカタカナ表記で掲載している本が存在した。

『山の歌みんなの歌 (ブルー・ガイド・ブックス)』
 実業之日本社 1963年 上坂茂男、中野靖子 共編

 上坂茂男、中野靖子って誰だ、見当違いの情報か? と、一瞬思ったが、ふと何かが引っ掛かる。上坂茂男……上坂…

〇 高田の著述によると、上坂茂之氏に依頼されて訳詞。昭和40年(19 65年)ごろ発表。青少年愛唱歌集等に収録され、キャンプなどで愛唱さ れた。

 高田三九三の豪快な記憶違いである!

 というのは冗談で、『著作権者名簿昭和42年度版』の中に「上坂茂之 →上坂茂男を見よ」との記載があった。上坂茂名義の作品は皆無のようだから、これが本名で、上坂茂が作品発表用のペンネームなのかもしれない。どちらにせよ、上坂茂之をいくら検索しても出てこないはずだ。
 正しい名前が分かれば、いくらでも調べようがある。『山の歌みんなの歌』にも編者紹介が載っていた。

この爽やか眼鏡おじさんが全ての元凶
「『山の歌みんなの歌 (ブルー・ガイド・ブックス)』編者紹介」

 この上坂茂男という人物、音楽家でありながら日本ユース・ホステル協会の運営に携わっていた方のようだ。ユースホステルとは、旅をする若者に安全安価な宿を提供しようという運動で、協会員になると全国各地、格安で宿を借りられるというものだ。宿貸しだけでなく、旅行の斡旋もし、ついでにハイキングや、野外炊事や、キャンプファイヤーのやり方を若者に教えたりもする。いわゆる20世紀型の“健全な青少年教育”というやつである。上坂茂男は登山好きが高じて、1950年半ば以降、協会で旅のガイド役を勤めながら、若者たちに歌を教えていたようだ。

 登山専門誌に上坂茂男の文章が載っていたので一部引用する。

 そしてでかける時には、必ず愛用のアコーディオンをリュックとともに背負ッ子に結びつけて行くのである。私のアコーディオンは八〇ベースでチョット重いのだが、山では歌とともに疲れを癒してくれ、楽しみをも倍加してくれるので、この上ない宝と思っているからなのである。

『山と高原 (246)』(朋文堂 1957年)

 なかなかイカしたおじさんだったようだ。

笑顔で80ベースのアコーディオンin野外 推定重量10kg弱
「『山の歌みんなの歌 (ブルー・ガイド・ブックス)』表紙より」

 当時の日本では、個人が人前で歌声を披露するという文化はなかなか根付かず(カラオケが誕生するのは1970年代初め)、その前段階として合唱というものが大人たちの間で流行っていたらしい。歌声喫茶なるものが現れたのもこの時代である。
 そして1950年代後半といえば、ヒマラヤ8000m峰の初登頂ラッシュがあり、登山ブームが巻き起こっていた時代だった。合唱ブームと登山ブームのクロスポイントに偶然いた才能。それが上坂茂男という男だったのだろう。

「すいかの名産地」に話を戻す。
『山の歌みんなの歌』に掲載されている「スイカの名産地」を確認すると、該当ページには歌詞と、「作詞 高田三九三」の表記がある。他の歌は楽譜と歌詞が載っているが、この曲は歌詞の上、楽譜があるべきスペースにそれがない。楽しそうにフォーク・ダンスを踊る女学生の写真が載っているのみである。まったく情報がない。歌の本で楽譜が載っていないことがあるか? とも思ったが、この歌は「フォーク・ダンスとゲームの歌」の章に掲載されている。もしかしたら、「スイカの名産地」は歌ではなくダンスがメインであって、これを歌う時は、「集団で踊る=何かしらの登山イベントに参加している=誰かしらがメロディを知っている」という図式が上坂茂男の頭の中にはあったのかもしれない。
 その証拠となるか分からないが、筆者が手に入れた『山の歌みんなの歌』の「スイカの名産地」のページには、歌を覚えながら書いたのだろう鉛筆での書き込みがあった。

「スイカの名産地」ガチ勢のメモ。
4~5行目、歌詞をカッコで閉じている。
『山の歌みんなの歌 (ブルー・ガイド・ブックス)』より

「すいかの名産地」は、小学生のお遊戯のために作られた歌ではなかったのだ。一人で登山イベントに参加できる歳の人間が互いに教え会いながら、集団で歌って踊るための歌だった。つまり、SMAPの三人がやっていたのは、コントでもシュールギャグでもなんでもなく、「すいかの名産地」本来の全く正統なパフォーマンスである。

100点満点のパフォーマンス 上坂氏もニッコリ

 となると歌詞の意味も変わってこないだろうか。筆者は、「すいかの名産地」の歌詞の内容を「おじいちゃんの家がある田舎の西瓜の名産地に来たら友達がたくさんできたよ。ちょうど村で結婚式もやっててお嫁さん綺麗だなあ」ぐらいの、子供目線からのものだと思い込んでいた。しかし、大人向けの歌だとなると話が違う。「休日に登山愛好会に参加したら仲間がいっぱいできました。中には結婚相手を見つけた人もいたみたいです!」という、意識高い系出会い厨若手社会人のSNS投稿みたいな歌詞なのではなかろうか。
 ……ちょっと嫌になってきたので次へいこう。

5 「すいかの名産地」の初出、そして元ネタを探る

 『山の歌みんなの歌』には、著者の上坂茂男、中野靖子両氏によるあとがきがある。それによるとこの本は、すでに出版した歌集に曲を追加して決定版としたものらしい。決定版で楽譜省略するなよ、との突っ込みはさておき、この「すでに出版した歌集」とやらを探っていけば、「すいかの名産地」の初出に当たるはずだ。
 調べると、上坂茂男はこれ以前に『アルペン歌集』という本を続けて編集・出版している。詳細は以下の通り。

「アルペン歌集第一集」(『山と高原 (246)』朋文堂 1957年 附録)
「アルペン歌集第二集」(『山と高原 (247)』朋文堂 1957年 附録)
「アルペン歌集第三集」(『山と高原 (260)』朋文堂 1958年 附録)
『アルペン歌集 上・下』朋文堂 1958年
『アルペン歌集』音楽之友社 1961年
『アルペン歌集Ⅱ』音楽之友社 1962年
『山の歌みんなの歌 (ブルー・ガイド・ブックス)』実業之日本社1963年

 登山専門誌『山と高原』の附録としたものが好評だったため、同出版社から単体の歌集として発売され、音楽業界向け歌集、旅行者向け書籍と徐々にメジャーデビューしていったようだ。当時の『山と高原』紙面では、アルペン歌集をテキストにして、上坂茂男に合唱を指導してもらうというイベントが何度も告知されている。実際に人気があったのだろう。
 朋文堂発行のものは国立国会図書館にも所蔵されておらず、実物が一つも確認できなかった。しかし、1961年版には「すいかの名産地」が載っていたため。「すいかの名産地」の初出は1957年~1961年のいずれかのアルペン歌集ということになる。筆者としては初出探しはここまでで断念せざるを得なかった。もし、朋文堂のアルペン歌集をお持ちの登山書籍マニアの方がいたら、どの段階で登場するのか内容を確認願いたい。
 とりあえず、「すいかの名産地」の制作時期が絞り込めたわけだ。

 ここでもう一つ特筆すべき事実がある。上坂茂男が直接関わっているこれらの書籍には、どこにも「すいかの名産地」がアメリカ民謡だと書いていないのだ。他の歌にはドイツ民謡だのイタリア民謡だのと正確に注釈がついているにもかかわらずである。上坂が所属していた日本ユース・ホステル協会による歌集、『新しい時代の若人の歌』(日本ユース・ホステル協会 1968年)にすら記載がない。この本には「Ⅳ.世界の歌」という世界各国の民謡をまとめた章があるのにもかかわらず、そこに含まれていない。しかし、「作詞 高田三九三」の表記はどこにでも載っている。

 また、1964年発行「神奈川県県立学校教科研究会創立15周年記念誌」という舌を噛みそうな資料を見つけた。つまりは神奈川県の学校の先生による研究発表なのだが、そこに「スイカの名産地」が記載されている箇所がある。生徒に指導すべき楽曲等を一覧表としているのだが、日本の歌、世界の歌という項目分けで「スイカの名産地」は日本の歌とされている。県立高校の音楽の先生ですら「スイカの名産地」が日本の歌だと思っていたのだ。

「すいかの名産地」がアメリカ民謡という情報は意図的に伏せられていたのか、そもそもアメリカ民謡ではないのか。「実は高田三九三のオリジナルで元ネタなどない」という最悪のパターンが頭をちらつき、次第に心が折れかけてきたが、諦めるのももったいない。ここまでで得られた、「すいかの名産地」の情報を(推測も含めて)一旦整理しよう。

 〇 1957年~1961年の制作
 〇 日本ユース・ホステル協会所属の上坂茂男が高田三九三に作詞(?)
  を依頼
 〇 もとは登山・高原散策雑誌の附録歌集に収録された
 〇 若者たちにフォークダンスを躍らせるための歌

 以上の情報から、「すいかの名産地」を再翻訳をしてみる。

 まず1番の頭に歌われる「ともだちができた」「なかよしこよし」は、原曲には無いか、相当にアレンジされていると思われる。「日本の大人が若者に歌わせたがる歌詞」感がにじみ出ているし、唐突に現れる結婚式の歌詞との整合が取れていないからだ。逆に、繰り返される西瓜については原詞から存在した部分だろう。登山をしてキャンプファイヤーをして踊るために、わざわざ「西瓜の歌を作ってください」とは依頼しないはずだ。高田の作品集にもタイトルに「Water-melons grow」と英題が併記されていることから、もともと西瓜の歌だったはずだ。花嫁についても同様でおそらく原詞に存在する。しかも相当の割合を占めていたはずだ。いかに当時の登山が若者の出会いの場だったとしても、歌詞の大半を使って結婚式の話題を語る意味がないからだ。ただし、「小麦の花嫁」と「とんもろこしの花婿」はだいぶ怪しい。西瓜と小麦とトウモロコシの生産地域は基本的に被らない。アメリカ的な雰囲気を出すために、無理やり付け足されたのではないだろうか。

 結論として、原詞にあるだろう要素は「西瓜」と「花嫁」だけで、他部分は大幅なアレンジがされているとみてバッサリと切り捨てるしかない。探すべきは、「1961年以前にアメリカで歌われていた、西瓜と花嫁に関する歌」である。見つかるんかそんなの。

6 Lambs Star Gambol

 もはや日本国内にこれ以上の情報は無いと踏んで、アメリカから英語文献を探すことにした。頼れるのはWorldCatだ。世界の図書館蔵書目録を検索できる。

 今のところ唯一と言ってもいい英語に関する情報、高田三九三が記した英題、「watermelons grow」を検索する。
 結果、黒人を揶揄した演劇、いわゆるミンストレル・ショーで歌われた楽曲がかなりヒットした。西瓜は黒人揶揄の象徴として演劇で多用された。中身を確認したいが、古い音源などあるわけもなく、歌詞も載っていないので確認のしようがない。
 一つ一つ情報を確認していくと、その中に偶然、youtubeで曲が見つかったものがあった。2010年、Euphoria Stringbandというバンドにカバーされた、「Down Where The Watermelon Grows」という歌である。

 早速聞いてみると、これ……歌詞の構成が…「すいかの名産地」だ!! 曲調は違うものの、「すいかの名産地」の歌詞に出てくる西瓜と、この曲のWatermelonの位置が見事に一致する。音楽情報サイトのSecond Hand Songsで検索すると、1世紀に渡って何度かカバーされていた。
 その中で、恐らくこれだというものを見つけた。

 ホーマー&ジェスロー(Homer & Jethro)による1957年4月のカバー。「すいかの名産地」が作られたであろう、1957年~1961年と時期が一致する。しかも他のカバーと違ってピッタリ3番で終わり、「すいかの名産地」と構成がまったく一緒だ。曲調も言語も違うのに、「すいかの名産地」を歌えば日本語でしっかりハモれる。ここまでそのまんまなものが見つかるとは思わなかったので、曲を聴きながら笑ってしまった。かくれんぼに勝ったような快感である。

 情報によると、「Down Where The Watermelon Grows」が初めて世に出たのは、1909年、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場。「Lambs Star Gambol」という演劇内で歌われたのが最初のようだ。ニューヨーク最古の演劇団体「ザ・ラムズ(The Lambs)」が主催したもので、当時の団員が総出演するお祭り的演目だったらしい。作詞はRen Shields、作曲はGeorge "Honey Boy" Evansとのことだ。

作曲者 George "Honey Boy" Evans(1870 – 1915)

 作詞者が亡くなって70年以上経っているため、パブリックドメインとして1番の歌詞を以下に乗せる。ホーマー&ジェスロー版の歌詞がどこにもなく、別カバーバージョンをベースに筆者が書き直したもののため細部が違う可能性あり。正しい歌詞は英語リスニングに強い人に任せます。ちなみにタイトルもカバーによって、「Watermelon Grows」だったり「Watermelons Grow」だったりする。

I've got a girl named Caroline     キャロラインって娘を仕留めたんだ
Down Where the Watermelons Grow  西瓜の成る場所へ
Some day she's going to be mine     いつか俺のものになる娘さ
Down Where the Watermelons Grow  西瓜の成る場所へ
She's a girl that I admire         俺が称える娘  
She's a girl set my heart on fire      俺のハートに火をつける娘
To marry her is my desire        彼女と結婚することが俺の望み
Down Where the Watermelons Grow   西瓜の成る場所へ

(日本語訳は筆者)

 字面で見ても、「すいかの名産地」そのものだ。しかし、ゴリゴリの肉食系歌詞である。これを青年用のフォークダンスソングにしてくれ、と言われた高田三九三は頭を抱えたことだろう。あの娘をいつかものにするぜ! という青少年にふさわしくない箇所を適当に変えて、最後の結婚(marry)要素を残し、なんとか完成させたのだろう。
 面白いのは3番の歌詞で、原曲では「Boy named Oats married a girl named Wheat」、つまりオーツ麦と小麦の結婚になっている。おそらくオーツ麦が当時の日本人に通じなかったので、和訳ではトウモロコシになったらしい。麦同士の結婚なら納得である。

 結論。「すいかの名産地」はどこを指すのか。歌が初めて歌われた、Lambs Star Gambolの公演内容が分かればヒントが見つかるかもしれないが、それが見つからない以上、暫定でこちらを結論とする。

結論:「すいかの名産地」とは、1909年のニューヨーク、劇団ザ・ラム
   ズが飛び跳ねたメトロポリタン歌劇場の舞台の上、である。

7 最後に

 めでたく、「すいかの名産地」の元ネタにたどり着いたわけだが、お気づきになった方もいるだろう。ホーマー&ジェスローによるカバーが1957年4月、「すいかの名産地」が1957年~1961年の作ならば、上坂茂男は直近に発売されたレコードの中から曲を拝借し、元ネタを明かさずに自身の歌集に載せ続けていたことになる。なんだか嫌な話だ。
 高田三九三のアレンジが原曲とかけ離れており、しかも曲自体が「マクドナルド爺さん」からの拝借である、という複雑な事情から説明が面倒で省いたのだろうか。それとも原型を留めていないため、原曲を併記する必要がないと思ったのだろうか。高田三九三とのやり取りでなにかがあったのか。悪意のないド忘れか。悪意のある剽窃行為か。
「Down Where The Watermelon Grows」初演当時のアメリカの著作権は、保護期間が発表から28年なので、オリジナルのカバーは著作権的に問題がないのだが、上坂茂男は1909年のオリジナル版を把握していたのだろうか?

 筆者は著作権関係の知識には疎いため、そのあたりに詳しい方がいたら考察を願いたい。

8 まとめ

「すいかの名産地」の原曲はあった
 
 曲名 Down Where The Watermelons Grow
  作詞 Ren Shields
  作曲 George "Honey Boy" Evans
  歌  Homer & Jethro(1957年 カバー)

(疑問1)「すいかの名産地」とは、どこのことなのか?
(答え1)1909年のニューヨーク、メトロポリタン歌劇場の舞台の上

(疑問2)友達の話から突然、花嫁の話になるのは何故か?
(答え2)結婚がテーマの歌詞を無理やり、爽やかフォークダンスソングに
     改造したから。

「すいかの名産地」年表

1909年
 アメリカ、ニューヨークにて演劇団体ザ・ラムズ(The Lambs)が、メトロポリタン歌劇場にて「Lambs Star Gambol」を公演。「Down Where The Watermelon Grows」を披露。以後この曲は断続的に、他の公演やレコードでカバーされる。
1950年代半ば~
 日本にて、登山ブーム&合唱ブーム。日本ユース・ホステル協会員の上坂茂男、登山や高原散策での合唱を若者たちに指導し始める。
1957年4月
 ホーマー&ジェスロー、LPアルバム「Barefoot Ballads」を発売。その中に、「すいかの名産地」の原曲となる、「Down Where The Watermelons Grow」が収録される。
1957年?月
 上坂茂男、「Down Where The Watermelons Grow」の存在を知り、高田三九三に和訳を依頼。この際、元の歌詞が青年教育に見合わなかったため、大幅に手を加えられることになる。曲は当時まだ和訳されていなかった「Old Macdonald Had a Farm(マクドナルド爺さん)」を編曲したものを採用。「すいかの名産地」の誕生
1957年5月~
 雑誌『山と高原』にて、附録として「アルペン歌集」が収録。好評のため、第二集、第三集と続いた。このどこかで、「すいかの名産地」が掲載。なぜか、アメリカに原曲があることは明記されなかった。
1961年
 音楽之友社より『アルペン歌集』発売。「すいかの名産地」が音楽教育の場に取り入れられ始める。当時の日本人は、「すいかの名産地」を日本の歌だと思っていた。
1965年
 「Old Macdonald Had a Farm」が、小林幹治による訳「ゆかいな牧場」となってNHKみんなのうたに採用される。
~1980年ごろ
 「ゆかいな牧場」をアメリカ民謡だと認識した日本人、曲を同じくする「すいかの名産地」もアメリカ民謡だと思うようになる。
1981年
 高田三九三、自身の作品集にて「すいかの名産地」をアメリカの歌だったという記憶からアメリカ民謡と記載。昭和40年(1965年)ごろの作品とし、上坂茂を上坂茂と通称でない名で書いてしまう。
現在
 関係各者の勘違い、ミス、もしくは意図的な秘匿によって情報が追えなくなり、「すいかの名産地」が謎の歌となる。

 以上、筆者が調査した「すいかの名産地」のすべてである。

 今後、「すいかの名産地」を歌うときは、アコーディオンを背負って若者とともに山を登る爽やか眼鏡おじさんのことを思い出しながら歌ってください。意識高い系出会い厨若手社会人がキャンプファイヤーを囲んでいる光景も忘れずに。

 ……謎を解いた代わりに、呪いを増やしてしまった。ちくしょうめ。

(「すいかの名産地」考 おわり)


 ※ 筆者がやりきれなかった以下の二つについては、別の方にお任せした
  いと思う。
 (1)「すいかの名産地」の初出歌集の特定
 (2)「すいかの名産地」と原曲の詞の詳細な比較検討


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