「検閲官のお仕事」

「検閲官のお仕事」
ロバート・ダーントン

“政治体制、思想、国際関係、経済事情、名誉…。さまざまな文脈が絡み合う。「検閲とは何か?」時代と場所の異なる三つの政治体制の比較に、その答えを求める、人類学的歴史分析。“

検閲官、と聞くと浮かぶのは、黒塗りの新聞や華氏451度のような抑圧のイメージ。都合の悪い言論を封殺していく独裁者の手先ロボット。
しかし実際のところ、彼らはどのようなシステムに基づいて、またどのような誇りを持って“仕事”をしていたのか?そこに現れる人間性とは。

本書では革命前夜のフランス、イギリス統治下のインド、そして旧東ドイツにおける検閲官たちの在り方を、綿密な資料をもとに紐解いていきます。
面白いことに、全ての書物を消し去ろうとする機械的な作業員の姿などはどこにもなく、彼ら検閲官達と著者達は交渉し協力する共犯的な関係を築いていました。

フランスでの検閲官のあり方はむしろ現代の学術論文査読のように、著者達による持ち回りのコミュニティによって出版物のクオリティを保証し合う互助組織として。
インドでは、原住民の文学や意見を知って理解する啓蒙活動として。
東ドイツでは理想社会のの“文学計画”を滞りなく実行するための編集者として。
そう、検閲官達の情熱は、文学の根絶やしではなく、「品質保証」にあったのです。

しかしやはりというか想像通りというか、この品質保証と国家権力を取り仕切る警察は相性が良すぎる(!)あまり、様々な地域で様々な事情を反映した弾圧が生まれてしまいました。悪意よりも純粋な善意の方が悲劇を招くのは世の常。そこには悪の秘密組織など存在せず、あるのは正義の戦士達のみ。。
そんな理想郷と名付けられた弾圧から逃れて亡命したこれら地域の執筆者達が、壁の外で見たものは、
“商業主義”という利益の多寡による「品質保証」が行われている「自由の地」でした。
やがて始まる書き手自身による“自主検閲”。。

本書では検閲は検閲官だけに限定するのではなく、警察、官僚、国家、経済、そして上に述べたような著者自身の心、そこまで広義に捉えることで文化人類学的な研究の対象となりうると主張されています。

現代ではそういった「品質保証」は人気や影響力をチップに変えながら、どこまでも続いています。
検閲という定義の裾野を広げることで、歴史の闇に埋もれたプレーヤーたちの真の姿を照らす一冊です。


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