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外見の進路に悩む

私、馬鹿そうで苦労もしていなさそうで実家が太そうな見た目をしているらしいです。
数少ない誉れ、ありがたき幸せ。
馬鹿なのは見た目通りですが、この場合の馬鹿に見えるは「面倒くさく無さそう」だと勝手に受け取っています。
本当に良かった、内面が外見に出ていなくて。
実際は貧困家庭生まれ殴られ育ちメンヘラ特盛ですからね、仕上がっています。

若い頃は家庭環境の悪さを知ってほしい、私の苦しみをわかってほしい…!と切実に念じていましたが、年とともにそんなもんは知らんでええ、気取ってくれるな…という考えに変わりました。
悲しいけれど負債は切り捨てられるからね、必要とされる人間は健康でハッピーなやつだから。

少し前に、「本当に助けが必要な人間は助けたくなるような見た目をしていない」という言説を目にしました。
もう身も蓋もない、なんてことを言うんだ。
と言うかこの言葉、私は「本当に困窮している人間は助けたくないような嫌悪感を抱かさせるような見た目、態度をしている(本人の意思だけではなく貧して鈍してそう成り果ててしまっている)」と解釈していますが、合ってるのかな?
にっちもさっちも行かなくなると人は狂うのに、残酷な話じゃないですか。
私だっていつそうなってしまうかわかりません。
現に死に損じてからこちら、陰鬱な性質に加えていやらしい乞食根性が顕現しています。欠落感がより増してお腹のなかのスカスカ感が耐え難いんですよ。なにかください。

人間の目には外見しか見えないから、難しいですね。
逆手に取って印象を操作することも出来るのでしょうが内面て滲み出ますからね、長期戦となるとやはり難しいかも。
私みたいな人間はなかもそとも駄目か。
外見云々語り出しましたが結局どちらにしても駄目だという結論が早めに出ましたね。

とは言え家族以外の人に会うならみだしなみは整えようとするし、メンヘラはアイラインと眉毛がおかしい!などという通説も気にしています。
少しでも「まとも」に見られたい。
間違っても休職を繰り返す自殺未遂希死念慮人間だなんて初見から察されたくない。

だけど年々わからなくなります。
人生順調に行っていないと年相応の外見や振る舞いってわからないんですよ。
正直言って想像もできない。
少しずつ少しずつズレていって異常が隠せなくなって女チンドン屋になった時に誰が変わらずそばにいてくれるんだろう。
先んじてファッションでチンドン屋になっておけば良いのかな?
私は選択的チンドン屋ですよと。

ああ、ちゃんとした人間として生きるのってなかからそとまで全部全部面倒くさいですね。
私みたいな人種のロールモデルなんていないし、いたとしたら悲しきモデルだし存在を願えません。

私みたいな人、実はそこここにいるはず。
集まってファッション誌を作りませんか?
「ワンアイテムでまとも見え!」「TPO別浮かない格好とは」「好きなメイクと常識メイクのおとしどころ」「困ったときはこの一言で切り抜けろ!」等の特集を組ましよう。

先生、私将来編集長になります。
















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