指輪の逆説性とそのフェミニズム
あとがきの前に.途中まで書いて一晩経ってなんとなく筆が億劫なのでとりあえず今はこのまま公開しておいて気が向いたら書き足します。
あとがき.色々書いてたら文化人類学の話っぽくなった。なんでかはわからん。
社会の皆様ごきげんよう。いかがお過ごしでしょうか。
導入のために考えたけどよく見たらおもん無いので飛ばしてもよい
私はその有意義な一日の中で何度もTwitterを見ます。今日もまたアフタヌーンティを嗜む中画面をのぞいておる時、とあるツイートがバズっているのを発見。その内容自体はどうでもよくて、私が気になったのはその中の要素で、女の側から交際相手に別れ話を切り出したところ男が怒って自分がプレゼントしたそのネックレスを捨てろと指示したというもの。
別にどこにでもある痴情のもつれなんぞに興味が湧いたというのではなくて、このネックレスの扱いが面白く感じて、このこと自体はまあ男が多少横柄とか怒りの感情が強いとかの程度で全く普通の理解の範囲を超えないけれど、ようよく考えてみるとこれは男から女へのプレゼントであって、どういうことかというと、所有権が男から女の元へ完全に写っているものであって、なにも男が指示して云々という対象であるはずがない。だというのに男はプレゼントしたものだからといういう理由でそれを破棄することを女に要求するし、女の側もそれがプレゼントされたものだからという理由でそれを破棄する。しかもその時の女の頭には、まあ多少理性的にものを考えるというのが難しいような場合でもあったかもしれないけど、しかし自分の所有物だからその処分に関して他人から指図されるいわれはないとの考えは微塵もなかったはず。
変な話だなと感心していて、きっとこれは所有権が男にも残っていたという話ではないと考えていて、交際関係という場合においてプレゼントが持つ意味合いというのはどうも他とは異なるのだと思う。つまりこの話においては、ネックレスが男から女に贈られる時に、同時に本来同等であった力関係が崩されて贈り物をされたという負い目も付加されるということになる。交際関係という特殊な状態ではどううも毎回互酬性が満たされないと感じる。まずもって料理とか片付けとかの類でなく、女が男にする物体のプレゼントというものが少ない。それに加え、この交際関係というのは往々にして男女の場合であって、男からのプレゼントは男にとってはそうでもないが女にとっては価値のあるものが贈られるのだが、これを男女逆でやるというのが存外難しい。男のプレゼントの醍醐味はその相手が、その相手個人だからもらって嬉しいものを渡すところにあるのだが、これを女の側がやるのは困難を極める。つまりプレゼントが持つ互酬性が満たされず、この交際関係の女には義務の不履行が残り、。そしてそれを与えた男がその破棄を命じることによってその贈与自体は存在が帳消しにされ、女の負い目もなくなりこの交際関係は破棄される。
導入おわり
それでこの話を持ってきて婚約や結婚の際に渡される指輪について見てみる。このこと自体は個人的にもっと議題になっていいと思うが、指輪はほとんど全ての場合に男から女へのプレゼントとして渡される。そしてこの贈与に女は同等以上の物としてなにも返しようがなく、つまりは負い目を抱えることになる。二人の永遠の愛を誓ったことのシンボルとしてではなく、交換を崩したことによる負い目として、同等の立場ではなくなりただ受け取るだけの存在に成り下がったという意味で、指輪は女にその婚姻を意識させる。女は、男から指輪をプレゼントされることによって男に隷属する。これはまったくけしからん話だ。
この前名前は自分のアイデンティティの一部だから変えたくないみたいなのを見て、それはもう結構な話ではあると思ったが、一方で結婚で泣く泣く夫の苗字にさざるを得ないというような従属と同じくらいこのことも考えられてもいいのになと思った次第。まあプレゼントをもらうのは嬉しくて、しかも結婚するという選択は自分が進んでやっているから問題ないと言われれば部外者が言うことはなにもないけど。
こんなことを当たり前に受け入れるのはきっとプレゼント慣れだと思う。パパ活が正当な労働、サービスの提供に対する対価なのかはさておき、