覚え書き
人となりは陰キャと評するだけで足らぬことはないというくらいで、大きな声を出しているのなどは聞いたことがないから、何が好きか、普段何をしているかなど全く知りもしない。友達も多くなく、草履みたいな顔の女か、70年代の顔のパーツを掛け違えている女児向け人形みたいな女かとしか話しているのを見なかった。性格は真面目で、ただそれも田舎の自称進学校の女としては凡百なものでしかなく、言われたことはきちんとこなし、その反面年頃よろしく、その小さな仲間内で与えられた課題の面倒さを大袈裟に誇張し、尊敬するに足らない大人を嘲った。勉学の出来も普通で、その生真面目な性質でほどほどに努力して、物の数ならぬ進路を経たらしい。それでも今でも鮮明に覚えていられるのは、そんな彼女が心惹かれるものに思えたからである。顔も抜きん出るところなく周りに埋もれるくらいで、丸顔に少し幅広くて大きな頬、頬骨が少し張ってちょうどりんごのような形をしている。小さくてまんまるな鼻と口に、毒にも薬にもならない存在感の目。長く生え揃った睫毛に、幼いが実直な瞳。薄く日焼けして褐色がかった肌色に、他の歯が綺麗に揃う中座標が数ミリ前後にズレた前歯が見え隠れするのが、私には愛らしかった。前髪は重すぎない快い涼しさで、大きなフレームの薄い丸眼鏡の上をふわふわと舞っていた。なにより水面のごとく触れられるようで、絹のような光沢を放つ若い肌。なんの粧いもしていないのがその美しさを際立たせていて、周りが同じ若さしかいない状況であってもよりいっそう少女らしさを感じさせた。普段は長袖のブラウスと膝下のスカートで隠れているものの、体育の時間になると、それを披露する肢体はすらりと伸びて、健康的な肉付きでありつつ引き締められているのが見える。筋肉の少ない二の腕から続いて、肘から手首にかけて華奢で細い骨格の上に完璧な配分の肉が付いて緩やかな弧を描く。存外大きく見える手はつるつるして、長くて丸っこい指が伸びる。足は脹脛が見事で、不自然に出っ張った形がなく、始点から終点まで力そのままに一息で縁取ったかのような美しい曲線を呈しつつ、それでいて細すぎず太すぎない、レイヨウが如くしなやかな筋肉によって、全身とのバランスが完璧に調和している。形、大きさ、見た目の全てが最上のまごうことなき美脚であつた。だが結局はこんなに拙い言葉で言い尽くしても生きた経験には及ぶところなく、私をしてここまで深く心に留めしむるものは、その地味で色味のない人間が急に意思を持ってみずみずしく動き出したときであった。もし私が広く愛を持って周りを見ることが出来たならば、この凡庸な人に勝る容姿の人間はいくらでもいるのであることは想像に難くなく、したがって私にとって個別で特別であったのは他の部分だったのだ。普段は口数少なく実直に目前の仕事をこなすだけで、なんの感情の変化もなさそうなこの肉の塊が、普段は”つつんで”いたその生気を覗かせる。思うにそれ自体は偶然の産物であろうが、しかし数々の条件が全て余すところなく組み合わさることによって起こったのであり、この偶然に目見え得たのは鍵としての自分の役割もあろう。教室という空間において口数が少なくなり声量が小さくなるというのは、多くの人と同じく彼女にとっても占有性の問題でしかなく、多くの他人が共有する大広間から抜け出た新たな空間を作ることができると、それまでとは全く異なった表情で、全く異なった振る舞いを見せた。特段その後も続くような深い間柄になることもなかったが、一つのある期間において連続的にずっと共にいることが当たり前になると、なにとはなしに二人の間の空気も慣れたものになって、だんだんと彼女の動きも砕けていった。ただこれは初め二人だけの空間ということを意味しなかった。積極的な働きかけによって、相手に悟られることなくお互いにとって快適な関係性を築き上げ、相手の積極性を引き出すなんて所業はまだ幼いばかりの私(と彼女)には遠く力及ばないのであり、且つまたそのような積極性というのも、私たちにはこれといって繋がり得るよすがもなかったから、見出しづらかった。つまりただの平行線に過ぎなかったものが、なんの因果か橋をかけられることとなったのだった。そこに見せたのは気兼ねがないというものであり、また取り繕うものが全てなくなってややもすると不遜ともいえるものだった。自分が相手のものとなり、相手が自分のものとなるのを全くの当たり前でごく自然だとみなしているかのようであった。その時に彼女という人間が展けてきて、彼女の全情報がつまった球体に自分の体が触れていくように、言葉では言わずとも人間性が自分の体に染み入って来るかの如く感じられた。また実際にはお互いの肉体が三次元的障壁となっているのが、精神性で同じ場所にいるはずの二人を焦らすようでいて、駆け引きを生じさせるのがかえって面白かった。一度一ところに交わった二直線は再び交わることなく、交点から次第に遠ざかっていく。ここもまたそんなふうに転ぶが、人間の縁なぞというのは得てしてそんなものである。