井わもと

開発コンサル3年→大学院。 仕事や読書、旅行を通して見るわたしの世界を文字に残していま…

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開発コンサル3年→大学院。 仕事や読書、旅行を通して見るわたしの世界を文字に残しています。

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2024年はお金より、美しくまじめな時間を

2024年からは大学院に進学する予定です。 社会人時代に得た教訓や苦い思い出を胸に、以下の10個のことを成し遂げます! 1. 早晨希望に起き、深夜感謝に眠る 本多清六が「私の生活流儀」という本の中に残した、大好きな言葉です。 起きている間は懸命に学び、働き、毎日気持ちよくご飯を食べ、眠りにつくことを何よりの目標とします。 2. 人付き合いで贅沢を 今年は、時間の貴重さを忘れず、尊敬できる人と話すことにありったけの時間を割いて、気が乗らないお誘いは断り、付き合う人を選び

    • 迷走しまくった秋

       2か月もある長い夏休みが終わり、ゼミや講義のある毎日が戻ってきました。  スケジュール上は夏休みであっても、私は基本的に毎日大学に行っていました。そのため、ゼミや講義のような週次の予定があると生活のリズムが整っていいなあだとか、居心地のよいメンバーと過ごす時間が増えていいなあ、と秋冬学期の始まりをうれしく思っています。  この期間に考えたことを、少し振り返ってみます。 「実績」という重たい言葉  夏休みはまとまった時間ができたため、研究計画をまとめつつ、奨学金の申請

      • 出戻り工学にっき: 修士1年夏、バカ忙しい

        7月は、平日は20時近くまで講義がある日が多く、土日にもほぼ毎日講義やイベントがあった。会社を辞めてからしばらくぶりに、忙しさで目が回った。そんな生活の中でもぽつぽつと考え事をしたので、ここに残しておく。夏休みの予定も、宣言がてらここに残しておく。 7月に考えたこと近視眼的な生き方はイヤ 忙しい生活は、考え事をする暇がほとんどなかったから楽だった。ただ、ふとした瞬間に、そうした時間の過ごし方をしている自分に対して不安を覚えもした。例えば、提出期限前のレポートを書くために研

        • 出戻り工学にっき: はじめての春

          前に勤めていた会社を辞めて約半年。修士課程の学生として大学に入学してから、もうすぐ3か月が経とうとしています。試行錯誤の毎日の中で、変わっていく自分と、変わらない自分の両方を感じます。日記がてら、これまでの振り返りを残しておきます。 英語で論文を読めるようになった 学期始めはDeepLなどで翻訳しながら英語の論文を読んでいましたが、次第に英語と日本語を行き来するのが面倒になり、ここ最近は最初から英語で読むようになりました。すると、次第に読み方のコツが掴めてきて、今ではだい

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        2024年はお金より、美しくまじめな時間を

          まじめ散らかす

          この前、研究室の同期に「周り(私含む)がまじめすぎて、つらい」と言われました。冗談混じりではありましたが、「まじめ」という一見よい言葉を使えば、ほかの人に面と向かって「あなたが自分のつらさの原因です」と言ってもいいのでしょうか? あなたにはあなたなりの苦しさがあるのかもしれないけど、私にもまじめに頑張りたい強い理由がある、と言えなかった話です。 私の毎日 大学院生になった今でも、私は会社員時代の生活習慣を守って暮らしています。毎日7時に起き、8時には家を出て大学に向かいま

          まじめ散らかす

          大学に出戻りして毎日がサイコー

          3年勤めていた会社を辞め、この春から国立大学の大学院の修士課程に進学しました。 一度会社員を経ると、大学がいかに恵まれた環境であるかを十二分に感じることができるため、いまは毎日目が覚めるとウキウキしながら身支度を整えています。 この興奮が冷めぬうちに、「大学のこういうところが最高!」という気持ちを文字に起こしておきます。 論文読み放題 会社員の時には、面白そう!と思った論文は1本5000円ぐらい払って読む権利を買っていました。大学院生になった今、大学内からであればワンク

          大学に出戻りして毎日がサイコー

          わかりやすい文章の書き方

          毎日使っているはずの日本語が、こんなにもままならない。 いつまで経ってもわかりやすい文章が書けない自分に嫌気がさし、ここ数年は書籍をいろいろ読みながら、文章の書き方を試行錯誤してきました。 これまで勤めていたコンサルタント会社を辞め、時間に余裕が出来たため、今の自分が考える「わかりやすい文章の書き方」をまとめてみました。誰かのためになれば、と思いこちらでも共有します。 わかりやすい文章とは伝えたいことが明瞭 文章は、自分が伝えたいことを読み手に伝えるためのツールです。

          わかりやすい文章の書き方

          デジタルデトックスはいいぞ

          デジタルデトックスをはじめてから、全ての調子がよい。 ただ、少し気を抜くとすぐリバウンドしてしまうので、今後の自分のためにも、これまで自分が感じたデジタルデトックスの利点と、自分に合っていたやり方を整理してみた。 利点質の低い情報に触れる時間が減った  現代ではスマホとインターネットが広く広く普及して、誰もが発信者となれる。ある人にはそれがメリットとなる一方で、私にとってインターネットは「質の低い情報の山」になってしまった。一般人に量産されたつぶやきをかき分けてかき分けて

          デジタルデトックスはいいぞ

          心にひきこもる

          浮世離れなんて言葉では、もはや足りない。 最近の私は、浮世に背を向け、逃げ、隠れ、戸に鍵をかけ、家の一番奥にある自室に閉じこもっている。 11月中旬に会社を辞めてからの約2か月間、ほぼ誰とも会わず、文字通り朝起きてから夜眠るまで勉強しかしていない。 数少ない友人からの誘いも、試験が終わってからね、と断った。 出来るだけ外出しなくて済むように、毎日の食事内容を揃えた。 SNSは、見たくないものばかり目につくから、やめた。 あまりに陰鬱な文面とは裏腹に、今わたしは幸せでたま

          心にひきこもる

          国際協力3年目 忘れたくない笑顔、思い出したくもない笑顔

          あなたがだれてしまった時、腹の奥からがつんと突き動かしてくれるような原体験が、あなたにはあるだろうか。 民間企業のコンサルタントとして国際協力に携わって3年目の私には、辛い時に心に現れてあたたかく私を叱ってくれる記憶と、思い出すだけで吐き気がしてしまうような苦しい記憶がある。 今の私を正しい方向に導いてくれるのは、高山地域の農村で過ごしたあの日の記憶だ。 急な山道の合間を数時間ミニバスに揺られて着いた場所には、「ようこそ!」と現地のことばで書かれた大きな垂れ幕が下がって

          国際協力3年目 忘れたくない笑顔、思い出したくもない笑顔

          ひどく内向的な私の海外出張携行品

          年間10回ぐらいは海外出張に行きますが、私はドがつくほど内向的で、静寂を愛していて、友人には「人嫌い」と言われています。 それでも日本を飛び出して色んな人と話すことが大好きで、出張の予定が出来ると毎回ウキウキします。 でも、毎日一人の時間が必要です。 慣れないうちは朝から晩まで人といることが苦しくて、出張中は疲弊しきってストレスを溜めてしまうことが多かったのですが、最近自分のペースを保てる過ごし方がわかってきたので、それを支えてくれるわたしの相棒たちをご紹介します。 マグ

          ひどく内向的な私の海外出張携行品

          文化の激流 阿波踊り

          今年、大人になってからはじめて徳島県の祖父母の家に帰省した。 そして、物心ついてからはじめて阿波踊りを見に行くことになった。 当日、もちろん私もわくわくしていたが、生粋の徳島県民である母、伯母、祖父母の方がもっと浮足立っていた。 私なりにとても楽しみにしていたが、母いわく私はまだまだ「阿波踊りを軽んじている」らしい。 母が運転する車の中で、家族みんなで耳を澄ませ、ラジオで近くの駐車場の混雑情報を聞く。そうでもしないと、熱狂する徳島県民の隙間に車を停めることは不可能なのだ

          文化の激流 阿波踊り

          「あの夏」の追体験は甘く穏やかで、苦しかった

          私が小学生の頃、父母は私と妹を連れて、毎年夏休みが始まると同時に徳島にある母方の実家に帰省した。 そして、1か月半ある夏休みのほとんどをそこで過ごした。 しかし、私が小学6年生の時に訪れたのを最後に、私たち家族はたくさんの事情にがんじがらめになってしまった。 結果、今回の帰省は13年ぶりのひと家族での帰省となった。 一足先に着いていた父の車から降り、カラカラと玄関の戸を開けると、顔いっぱいに笑顔を浮かべた祖父母が「よう来たな」と出迎えてくれて、何よりも安心した。 そして

          「あの夏」の追体験は甘く穏やかで、苦しかった

          小さい子ばかりのくもん教室に通い続けた

          小学校5年生からくもん教室に通い始め、英語の勉強を始めた。 私は「何やら英語を勉強しなければいけないらしいぞ!」というふんわりとした世論がちょうど日本に台頭し始めた時期に子ども時代を過ごし、うちの親もとりあえず入れておくか、ぐらいの軽いノリで娘の私を近所のくもん教室に突っ込んだのだった。 柔らかくて古いにおいがする先生のお家の一階には広間があって、そこに幼稚園から小学校低学年ぐらいの子たちが長いちゃぶ台に座って勉強していた。 何もかもが小さかった。 ちゃぶ台は膝より低

          小さい子ばかりのくもん教室に通い続けた

          覚えるための努力

          わたしは人より記憶力がよくない、と思っている。 うれしいこと、かなしいこと、腹が立つこと。 全て、すぐに忘れてしまう。 感情も決意も、放っておくとその日に置き去りになって、気づかないうちに視界の外で死んでいる。 だから、何もかも文字に残しておいて、一緒に生きたい。 6月に入ってから、農業に従事している複数の友人の「梅をとった」「梅を漬けた」「たけのこを煮た」といった話題が初夏のSNSのタイムラインを彩った。 緑あふれるなんともない田舎の風景や、採れたての野菜の写真を見て

          覚えるための努力

          苦しさに向き合え、わたし

          小学生の頃から自然が大好きで、木々の緑と空の青と揺れる風の音だけに囲まれていつも生きていたいと考えていた。 そう思わせたのは、子どものころ毎年真夏に訪れていた、素朴な農村地域にある祖父母の家での思い出だった。 コンクリートだらけの首都高を抜けて、両親が運転する車でもうひと眠りすれば、徐々に道路の幅が広くなり、空が開けて、道行く車がまばらになる。 そして、遠くに山が見え始め、田んぼの脇の細いあぜ道を抜ければ、祖父母が住む広い庭の平屋にたどり着く。 庭の入り口には祖母が大事にし

          苦しさに向き合え、わたし