写真で始めるコミュニケーション
「中学生の職場体験学習を受け入れてくれませんか?」
PTAの方からこんなお話しをいただきました。僕の仕事はフォトグラファーと呼ばれるものであり、当然写真を撮ることがメインの仕事です。
これに並行し、写真撮影を起点にしたクライアントの広告やPR面でのサポートもしています。
はてさて、中学生を相手にどのような学びを提供できるだろうか。
という事をここしばらく考えていたので、それについての雑記的な感じでまとめようと思います。
何を伝えようか
このお話しをいただき、真っ先に考えたのが「何を伝えようか」ということです。いや、まあ中学生相手ですからね、なんとなく仕事紹介の講義をしてなんとなく写真の撮り方とか、フォトグラファーになるためにはどうしたらいいのかとか、社会人ってこんなものだよとか、のべつ幕無しに話をすることも出来るかもしれません。
が、それではダメだろ。ということで、一人でも多くの生徒さんが写真に興味を持ち、生徒さん自身の可能性を拡げることに繋がれば嬉しいなと思い、クソ真面目に色々考えました。
写真とは何か
写真は「伝えるための手段」です。
誰でも手軽に写真を撮り、世界に向けて発信できる時代になっても、その本質は変わっていないように思います。
余談ですが、僕はこの「本質」という言葉を口にするのが嫌いです。なぜなら自分は全部わかってますよ〜風に聞こえるからです。
同じような理由で、ビジネスシーンでよく使われる横文字も嫌いです。分かっているでしょ?という前提で話をしてくる人もいますが、当然みんながみんな言葉の意味を正確に理解している訳ではないので、自分はできるだけ誰にでも伝わりやすい言葉を選ぶようにしています。
さて話が一瞬逸れました。
誰でも手軽に写真が撮れることで、一昔前まであったフォトグラファー・カメラマンの専門性が薄れているように感じます。これは、実質的に専門性が無くなった、という意味ではなくあくまで概念的な意味です。
これは喜ばしい反面、専門家の立場からすると困る反面もありますね。
僕もクライアントから「サクッとお願いしますよ〜w」みたいに、くそ舐めた感じで依頼されることもあります。
気が短い人なら「ふざけんな」と言って、もう二度とそこからの仕事は受けないでしょう。ですが、そんな事をいう勇気もない僕は「まぁまぁまぁ云々」といった感じでその場をやり過ごすことにしています。僕が暮らしに困らないほど1つの案件で稼げるトップフォトグラファーであれば、前者かもしれませんw
さて、また話が逸れました。
写真とは、誰かに何かを伝えるための手段であると当時に、自分が世界(他者)をどう認識しているかを知るキッカケにもなります。
話を大元に戻すと、僕は生徒さんたちにお互いのポートレートを撮ってもらうことにしました。そうすることで、普段教室やグラウンドで共に過ごす仲間の新たな魅力を知れるかもしれない。いつもより一歩、心が近づいた関係になれるかもしれない。写真撮影を通じた人と人のコミュニケーションを体験して欲しいなと、考えたのです。
書を捨てよ街に云々
某寺山さんの作品を着想の元とし、堅苦しい講義はちょこっと、楽しい撮影体験を目一杯。これで行こう!と決めました。
当日は彼ら彼女らに、僕がどのような価値を提供できるか、はたまた的外れな職場体験となってしまうのか、今から期待と不安がアレコレするので早速街に出て写真を撮ろう、と決めた土曜の朝です。