埴谷雄高の想像としての【思考論】
埴谷雄高の想像としての【思考論】
㈠
埴谷雄高が、自身で、難解だと思われることは自覚していたし、その上で、自分について来れる人だけを、読者としていたことも、本で独白している。そういった埴谷雄高を、分かって貰いたい、とは思わない。ただ、自分は、埴谷雄高に興味を持つし、惹かれる文章を書いているから、良く読んでいるということなのだ。埴谷雄高は、あの少し意味が分からない様な内容を、意図的に想像し、思考して文章にしていたことは、疑いない。しかも、文章を長くするために、敢えて、無駄な文章をも捨てずに内包していたことも、歌がいないのだ。
㈡
しかし、そこに、埴谷雄高の独自性があるのであるから、埴谷雄高を殊更に否定する立場は、否定すべきだと思う。誰だって、綺麗な文章を目指す訳ではないのだし、ただ、つらつらと述べ、しかし、核心を文中に、時に入れ込んで、読者をはっと驚かせるような、方法論としての仕掛けがある事もまた、埴谷雄高の読者なら知っているだろう。そして、埴谷雄高には優しさがある。俺は自由に適当に書いている、だから、もし君が文筆に苦しんでいたら、自由に適当に書いても良いんだ、という風に。そういう、例の一つとして、埴谷雄高の作品は有ると思って居る。少なくとも自分は、そういう風に、埴谷雄高に救われた。
㈢
昔、文學界で、川上未映子が、埴谷雄高について触れていたので、驚いたことがあるが、その通り、川上未映子の文章の背後には、埴谷雄高に酷似した方法論が見え隠れする時がある。埴谷雄高ー川上未映子、の系譜も考えられる。埴谷雄高ー安部公房。だけではない。こう言う風に、埴谷雄高は、系譜の頂点の場所に居る様な人で、埴谷雄高以降、埴谷雄高に救われた小説家がどれだけいたことだろうと思う。『素描 埴谷雄高を語る』には、70人の作家が、埴谷雄高についての記憶を述べている。何れも好意的なものばかりである。小説、評論、を超えて、人間・埴谷雄高が、どれほど貴重な日本の小説家だったかが分かると思う。埴谷雄高の想像としての【思考論】として述べて来たが、小説は想像をさせるのに、人間・埴谷雄高は実に優しかった、というところで、思考は終了する。
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