黒木渚論「死んだ文豪に恋をした」
黒木渚論「死んだ文豪に恋をした」
㈠
永久に交差しない、という名目のもとに、タイトルは名付けられたのだろう。黒木渚※の新曲、「死んだ文豪に恋をした」の曲と歌詞のことである。歌詞の中には、中原中也や太宰治や尾崎放哉などが、その文脈に呼応する形式で引用されている。勿論、作品として、良い意味での引用/換言すれば死んだ文豪の蘇生、であることは確かである。ギターのない不可思議なメロディと編曲であるが、何度聴いても、なかなか、思い出せず、何度も聴いてしまう、という現象が、自己内で起こっている。
㈡
分かりにくいが故、中毒性を帯びた、「死んだ文豪に恋をした」であるが、本を読む時、大抵の場合、死んだ文豪の書いた小説や詩ならば、見事に、ー声質までは分からないがー、それなりにこちらが分を読んで呟けば、一つの会話が生れる。しかしそれは、叶わぬ恋である。文豪が死んでいるからである。そこに、永久の恋をしてしまえば、本を読む以外に、可視化される恋は見当たらないだろう。そういう点では、発想として、非常に斬新な、「死んだ文豪に恋をした」なのである。
㈢
我々は、そういった現状を音楽にした黒木渚の声に惹かれながら、曲を聴くのであって、二重のフィルターがかかっていることは確かだ。それでも、曲には起承転結があって、ちゃんと最後まで聴けば、曲に恋をすることが出来る。つまり、死んだ文豪の声を蘇生させているのであって、我々には、中原中也や太宰治や尾崎放哉の声が、黒木渚の声を通して、復元されていることが理解出来るだろう。そういう意味合いも含蓄された、「死んだ文豪に恋をした」、なのである。
※黒木渚という本名で活動されているので、黒木渚と書いていますが、決して呼び捨てにしている訳ではありません。