『俺は失敗作』その2
『俺は失敗作』その2
11『俺は失敗作』
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やはり俺は、失敗作なようだ。周囲を見渡しても、暗闇に影が溶け込んで、人影は見えないばかりか、自身の存在すら危うい。どこまで行っても、失敗作なら、早くそのことを、認めたほうが、楽なのだ、と言いたい訳である。
しかしどうだろう、我々の神々は、俺には少々、冷たい感じがするが、それは、俺が子供の頃、神々に冷たい態度を取ったからだろうと、自認している。当たり前のことだ、こういう状況を、天罰というんだろう。畢竟、俺は、失敗作になったのだ。
12『俺は失敗作』
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ともかく、俺は失敗作であって、どう足掻いても、人生はたかが知れたものだ。辛いことだが、正直、しょうがないと、思って居る。しかし、俺は失敗作であるから、そのことを恨むことすら出来ない。ただ、ひたすらに、失敗作街道まっしぐら、な訳である。
それはそうとして、確かに不思議なことだが、俺は失敗作なので、誰もかもが、見放している、という状況だとすると、この小説、俺は失敗作も、雲行きが怪しいな、と思わざるを得ないのが、何とも悔やまれるところなのである。
13『俺は失敗作』
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俺はやはり、失敗作だったようで、俺が俺である事の明証が、俺が失敗作だ、という事でしか、成立しないということなら、どうすれば良い、途方に暮れるしかないだろう。当たり前だ、俺みたいな、失敗作だと、行き場がないとも思われる。
であるがしかし、意外と、行き場はある。あるにはある、それは、俺の様な失敗作の人々が集まる場所である。寂れた公園のベンチでも良い。そこで、長々と居座り、缶コーヒーなどを飲んで居ると、天から、声が聞こえて来る様だ、おーい、失敗作、ってね。
14『俺は失敗作』
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どこまでも、失敗作な俺は、刑務所の塀や、精神病棟の塀を、乗り越えて、下界へと出るように、元からそうなって居たのだろうか。つまり、閉じ込められることで、失敗作は成功作になるのだが、それは世間にとっての俺であり、有りの侭の俺は、下界で失敗作で居る。
俺のこの奇妙な発言を、理解してくれるだろうか。凡そ、俺は、狂人だということだろうが、失敗しても尚、失敗へと向かうのであるからして、更に失敗作の上塗りをするかのような、愚行でもって、人生を進んで行く俺なのである。
15『俺は失敗作』
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越えられないのだ、自己を、変化出来ないのだ、自己が、超越出来ないのだ、自己から、そういう、不合理によって扉は閉められ、俺は失敗作の体を成すと、世間に直截される。そういう訳であるからして、俺は失敗作。
でもって、俺は失敗作という小説を書いて居る訳だが、これは事実なので、私小説とも言えるとは思うが、何にせよ、訳の分からない奴なのだろう、俺という失敗作は。失敗しては、後悔せず、また失敗するから、俺は失敗作。
16『俺は失敗作』
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俺は失敗作、だけれども、時折、成功することもある、現象において。しかし、トータルで見れば、やはり失敗作だと言わざるを得ない。当たり前のことだ、俺には、失敗の山積が、過去を見渡せば沢山あるじゃないか、という訳なのだ。
と言っても、そんな人生を捨てることもなく、人生を失敗作で生きることの辛さと言ったら、分かって貰えるだろうか。いや、分かるまい。とは言え、失敗作の人々も少なからず世界には居て、俺は心底、応援したくなる、失敗作の俺としては。
17『俺は失敗作』
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俺は失敗作だということに、今更気がついたのだろうか。分からないな、俺はやはり、失敗作だったんだ。しかし、それはそれで、それなりの失敗作、として生きて居る。そういう訳であるから、俺は確実に、失敗作なんだ。
でもって、とびっきりの、失敗作なので、パソコンを相手に、四苦八苦、と思えば、パソコンはそれなりに、操って居るのであるから、失敗作は失敗作でも、世間に通用しない類の、失敗作だ、ということなのである。それだけだ。
18『俺は失敗作』
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失敗だというけれど、俺は自身の失敗を、決してなおざりにはしない、という訳なのである。空を飛ぶ飛行機、大地を駆け抜ける列車、曲線に揺られて動くバス、真っ直ぐに走るバイク、みな、人類の成功例だろうから。
つまり、失敗作の俺が、成功作の乗り物に乗って、自己の失敗をかき消すことも、たまにはある、ということなのだ。俺は失敗作、失敗作であるが故、こうして、書くことが出来る小説、というものがあるのだから、神に感謝している。
19『俺は失敗作』
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とうとう、19まで来た、俺は失敗作ではあるが、まあ、一種の自己確認とでも言おうか、そんな感じだ。陸海空において、俺が信ずるところの、俺は失敗作が、ここまでやって来た。失敗を克服するためにね、上等だろう。
しかし、俺は本当に失敗作なのだろうか、分からないな。しかし、本当に、俺は俺を逸脱出来ないのだから、書けるところまで、書くさ、という感覚で、この、俺は失敗作を書いて居る。何、筆の赴く侭に、書いて居るのだ。
20『俺は失敗作』
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『俺は失敗作』その2も、今回で終わるのであるが、何が失敗作なのか、原因究明も出来ずに、ただ、流れで書いて来た。要約、ここまで来たのだから、俺は俺で、やるべきことをやっている、という自負は、無きにしも非ずなのである。
しかし、相当、失敗の克服は見えて来た。それは、内界と外界の問題である。ともかく、俺は失敗作だということを、突き詰めて、書くこと、そのことが、意味を持って居たのであって、もしも不安になったら、また、『俺は失敗作』その3を、書けば良いだけだろう。どうだろう。