文學の、自己時系列について

自分は、文学部日本文学科出身なんですが、幼い頃から、読書家だった、という訳ではありません。中学時代、芥川龍之介の『トロッコ』などを読んだ記憶、それくらいです。高校時代は、司馬遼太郎の『新選組血風録』という本に出会い、それを何度も復読しました。

大学に入り、芥川龍之介『羅生門』、太宰治『人間失格』、宮本輝『泥の河』、志賀直哉『和解』、などを読み始め、海外では、アルチュール・ランボーの詩集、シェークスピア『マクベス』、ジャン・コクトーの詩集、アラン『幸福論』、などを読み漁っていた感じです。

卒業時には、芥川龍之介の一本に絞って、卒論は、『河童』と『歯車』でした。

その後、院に進み、一年で中退したんですが、院の一年での収穫は大きなもので、萩原朔太郎の詩集、埴谷雄高『死霊』、カフカ『城』、そのあたりを、読み始めた感じです。

また、芥川龍之介や太宰治は、全集を何度も読み返しました。本当に何度も読みました。これは、今、自分が小説などを書いたりするうえで、決定的に基礎になっています。

特に、文体は、芥川龍之介と埴谷雄高の影響が大きく、苦しまずに文學に接する薬の様に、今の自己に影響を与えてくれています。

上記した以外にも、様々に読みましたが、大まかには、文學の、自己時系列について、と言えば、この様な感じになります。

現在進行形の小説としては、黒木渚さんの、『壁の鹿』『本性』『鉄塔おじさん』『呼吸する町』『檸檬の棘』『予測不能の1秒先も濁流みたいに愛してる』を、良く読んでいます。『檸檬の棘』が一番、気に入っています。

併せて、文芸誌の『文學界』を、毎月購入しています。

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