【食レポ】銀座三越 本和菓衆×和菓子のアンコラボに行ってきた
動機
本和菓衆は、ここら辺からの周知で、コロナも五類移行により、結果的に明けた中、ようやく行けるようになったので。
開催報で、実施事項として頭では承知していても、今一つパッと実感が湧かない曖昧なものだったので実地検証。
関連記事・おさらい
銀座三越に行ってきた
銀座三越まで
和光の横向かい側。和光時計塔を「正面」として、向かって右向かい側。
公式では、各路線からの動画案内まであり楽勝。
和光臨む例の銀座四丁目交差点にあるので、あえて間違える方が銀座散策を楽しめるかも(実体験者談)。
地下直行もありだけど受付に用があるので1階から。
あれが和光だから、ここら辺の筈、と見回したら既にその一角にいた。
結局、いつの間にやらライオン口。開店を待つ。
自社主導ネタから地域密着(?)コラボまで忙しい。
火災予防運動だそうで。
銀座三越開店待ちがてら遠目に鳩居堂を確認。前回は入り口真下にいたので、銀座立地に恥じぬ高層店舗とは気付かなかった。
1階
開店後、歓迎の挨拶が終わった後、定位置に戻ったタイミングを見計らって受付嬢に質問する。
以下、台詞うろ覚え。
「本和菓衆×和菓子のアンのイベントがあるそうですが…」
「そうですね、会場は――」
「写真撮影は大丈夫でしょうか?」
「…何を?」
「作品を」
「職人さんたちに聞いてみない事には…」
「三越としては問題はないという事ですか?」
「そうですね、従業員(本和菓衆は、ビジネス的「お客様」だから、三越自社社員?が、それでも尚、誤って写ってしまった場合?)の顔を写さなければ……」
風俗店かい。凡百の私人逮捕系や迷惑系ではないので。
地下2階1
地下二階。フロア案内では予想以上の狭さだった。奥の虎屋他、和菓子コーナーの方が広い位。
会場に着くと、とりあえず四辺カウンターはビッシリ埋め尽くし。列は成さずも「繁盛」の体は成していた。一角に即席の工房があり、実演販売もしていた(と思う)。
客は、20代~40代女性。奇しくも50代百貨店ステレオ貴婦人方は、見掛けた限りは0だった。気掛かりは、寄ったら何かイベントやっていたと知れる、冷やかし半分の女子大生位のお姉様方が大変多かった事。
若旦那方は四方に群がる客の対応に張り付き状態。何人かは人員を持て余してか、交代制なのか中央で待機。これは、(忙殺の中を声掛けとして)きつそうかな、と怯むが、何故か真正面はポッカリと空いていた(ような気がした)。
軽く一周。そして。真ん中でドッシリ構えた「その人」に向かう。本和菓衆言い出しっぺ(≒事実上のリーダー)田中屋せんべい總本家田中裕介様。
以下、例によって、の上。
「すいません、ちょっとお時間いただけませんか」
「はい」
込み入った話なので、カウンター内から出て来てもらう。
すぐそこに『和菓子のアン』文庫版がディスプレイされていたので試しに聞く。
「これ、撮っていいですか?」
「駄目です。三越の管轄なので(私として責任を負えません)。会場内のみです」
大体の感触は理解出来た。
「何処でもいいですよ!」
その後、田中様に籠を渡され、商売上手に購入を促される。もちろんWikipedia編集者時代に遡る思い入れあるイベントを、とんぼ返りする気はなく受け取る。
返送先も聞かず受け取ってくれたのだが、どうなったのだろうか。流石に老舗和菓子屋の(社会経験を経て世間の波を叩き込まれた)世継ぎ様が即日破棄処分は、ないとは思うけどね。
地下2階2
「撮っていいですか?」
「どれを?」
「じゃあ…これ」
若旦那様の女将様(?)と思わしき年配の女性が応対。若旦那様のヘルプ? の、従業員様? 会話がスベったのかキョドられる。ま『和菓子のアン』や『坂木司』と、裏千家としての「裏」な「師匠」みたいな者と思えば、大体合っている『和菓子のアン』の者なので、ご心配なく。
通販品の店として覚えあった筈、と思いながらも言葉出ず。帰宅後の見返しで、やはり「ジャブジャブ」ブランデーケーキの店(の元締め本家本店)だったと悔やむ(が、上記位は、成したとして満足する事にした)。
ブランデーケーキの強烈な思い出が過ったのか、佐藤屋様で生菓子の枠が埋まったからか、あるいは話しかける気分が失せただけだったのか、残念ながら見送る。
「本和菓衆」がロゴのみで、何故か「和菓子のアン」は、みつ屋、例の謎の木枝(梅?)マーク熨斗?(魔除け札)付き。光文社×(坂木+石川)や、あくまで中の人生身の人間同士ながらも、作中人物も共演、見守っている構図意図と、中々興味深い演出。まるで『ぶたぶた』のよう(ま、同じ方ですけどね。鈴木何たらとか)。
みつ屋、謎の木枝に続いた謎の文字は「銀座店」だったか。もっとも、この「銀座店」は三越ではなく、みつ屋が「銀座出店」や、銀座三越が「東京百貨店」という意味なのだろう。
『アンと愛情』はレジ前に積んでいた。完売間近の大盛況だったのか、はたまたレジ前の配慮だったのか、思った以上に詰み上げていなく取りやすかった。客層としては、まずは『和菓子のアン』文庫版から、だったかな。
レジ清算。撤収。基準は値段ではなく、原作パロ品覚えある中での、荷物として抱え込められるだけの量。
地下2階3
おっと、一つ忘れていた。エムアイカードだ。
「エムアイカード」なる三越伊勢丹系ブランドのクレジットカードで購入するとショートストーリーへのQRコードが貰えるそうだが、個人的にはデザインカードの方向で願いたかったな(猪狩漫画版とか)。
正規メディア化でこそ「自粛(取引断絶ではない)」で、誰の、何に、気を遣っているのだろうか。いや、最早、何処を向いているのだろうか、とでも言うべきか。都度初見リセットか、真性アンチ忖度など、まさか言わんよな。公式正規同士でこそ、客に、どれを見せ(選ばせない)、理想期待層に仕立て上げる「権利」とでも言うのだろうか。最早言論封鎖。
皆様はどうしているのだろうか。やはり歯向かう位なら、そこまで、と切り捨て、出ていく穏便にして、楽という事だろうか。
記載なし。カード決済時、客が差し出すカードを目視確認? イベント内々事だった? いやいや、エムアイカードでのクレジット決済だと、レシートにQRコードが印字される位のシステム操作は、していたのでしょう。きっとそうだ。
時間的事情や、既にクレジット者前提もさることながら、粗品書き下ろしショートストーリー対価、とうの昔に百貨店で現金購入の者なので、今更百貨店で買い物を、百貨店直営のクレジットで、などと言った「百貨店」ステータスには興味無し(手遅れ)で見送り(始まりはポイントカードだった位、普通に現金購入だったかな、百貨店で)。
そういえば「ライオン像」関連だったっけ? いきなりライオン口から入った方は、どう思うのだろうか。さて。
いずれにせよ、流石にイベント会場ど真ん中で、兼カード勧誘&会員登録受付無神経ではなかったのが、せめてもの救いだった。
さて何名、別棟にもなるカード受付へ駆け付けただろうか。客層を鑑みれば全員直接オンライン登録かな。
銀座散策
さぁ、帰りの新幹線到着時刻まで、後は自由時間。
銀座和光に行ってきた(再)
相変わらずの撮り難さ。
11時開店前、時計塔飾りに同じく、外ディスプレイはミッキーにして、その撮影会。5、6人はいたかな。「著作権」逮捕なブラックジョークは、流石に主催の手前、断念したようだ。
外ディスプレイは、婦人方にもなる、真性本命客譲りとして撮る気が失せた分、時計塔で代替。
「撮影禁止」キャンペーンブラックジョークかなと思ったが、ディズニーが、和光依頼のようで何より。
また来るね。
大窓外側と思わしき箇所を和光外から。外側では、はめ殺し付き窓の一として涼し気に君臨し、内側では(歴史的)大窓の神秘演出と、面白い。
『おやつ――』でこそ、和光は、おやつとして紹介していたが、別館側と知る。どこのケーキ屋でも売っていそうな商品はもちろん、和菓子を詰め込んだ中で見送り。
山野楽器に行ってきた
銀座一等地(前例有り)に建つ謎の楽器店。入ってみる。
クラシック専属(?)を除けば至って普通の楽器屋。それでも楽器屋自体が初めての方には、調律師がチューニングやっていたりして、きついかもしれない。が、和光やミキモトよりかは、まだ庶民派路線(?)。
GINZA 456なるKDDI系企業(?)がテナント(?)として入居。もっともGINZA 456住所は山野楽器と同じ(銀座4丁目5番6号)、一部低階層部(2F~B1F)のみで、塔屋結論の通り実質山野楽器単体ビル。
やはり、何時ぞやの自社運営撤退報→テナント入店の流れのようだ。
商品は通販購入出来ても、店の感動と証拠は買えない。
木村屋に行ってきた
一身上の都合により泣く泣く商品購入を断念した木村屋。
中は、至って普通のパン屋さん。「あんパン」の聖地でコロネが販売されていたのが不思議だった。
社屋の高さは何だろうか。背比べ「銀座」虚勢ではない事を切に願うばかりだ。
ミキモトに行ってきた
貴金属店の性か、ダイヤも扱う中、(階層内コーナー)一番高い製品は、やはり1~2センチはありそうな真珠一粒での構成品だった。
教文館に行ってきた
ミキモトに隠れるようにして、すぐ後ろ(横)に点在する出版社・書店。『ナルニア国物語』で鳴らす(らしい)。
キリスト教・洋書系列の専門出版社らしいが、フロントとしては1~2階が、全出版社相手の書店としても営業。残念賞にもかからぬ選考外とはいえ、日本の誇りの次が西洋お得意様窓口とは面白い。『和菓子のアン』としては、こちらだろうにな。原作『赤毛のアン』などは、日曜礼拝/日曜学校に、ズブズブキリスト教作品な位だというのに。何処かの神道被れの「日本人」様には、さぞや、忖度にもなるNG出版社だったのだろうなと拝察する。
時間潰し。東京駅の丸善。銀座駅の教文館。
うわー、聖書解釈はディナーのあとで、だってー(棒読み)。
いやぁ、分からぬものです。「門(のように見えているだろう戸/扉)は叩いてみる」ものですね。もう本物の門を叩いちゃいましたけどね。
まとめ
昇り過ぎて、寧ろ乗せられ、銀座フロント顔が無くなり、振り返りや脱落を許されなくなった「横綱」「勝ち組」「王者」ミキモト。頂点も、銀座フロントも、調整役ですら無いが、全国区、いや、日本発祥の和洋菓子「あんパン」の強みがある木村屋。一等地実績の強みと、云百万~云千万の楽器顧客(を楽団一括購入としては云億)を抱え、中間調整役として買われるも、だからこそ銀座フロントの顔は無い、一楽器店の軽さ、山野楽器。絶妙な三つ巴バランスにして、やはり銀座フロントは、百貨店事業内容、建物に、銀座歴史の生き証人たる和光の結論に至り、面白い。
食レポ
とても三越内で食べきれないので帰宅後。
入りそうなのに何故か坂木書籍は別包装。
アンと幸福
購入時に「幸福――」か「それぞれ――」に連なる特性栞を二択選択される。
「どちらがよろしいですか」
「(『幸福』は(幸福=しあわせ/こうふくルビ振りミス/スルーで)食傷気味なので)『それぞれ』の方で」
手にした栞と、『アンと愛情』を市販購入した際、書店員さんから渡された前回『アンと愛情』版栞と共に。
前回書店で普通に購入特典(?)として手にしていた身としては、今回もか、程度の感動。
次回シリーズでは「デパート」発狂揉み消しかな。早速、次回シリーズ連載開始報が楽しみだ。
スタンプか。ま、そこら辺の金銭・時間的事情もあったのでしょう。いや、おかしいのですけどね。必死に「デパート」中の、突然の「百貨店」スルー/セーフなので。
ところで何処行ったかな、帯上の紙切れカード。ま、いいのだけどね。裏面無しのペラなら、会場でコラボロゴ(の一構成品)として承知しているので。
あったあった、流石にビニールもろとも燃えるゴミ送りにはなっていなかった。振り切っていただけだった。
「アンちゃん」ことヒロイン梅本杏子からの差し入れだそうだが「デパート」連呼の方が突然の「百貨店」をノーコメント/スルーでの差し入れとは滑稽にして皮肉なものだ。表記ブレこそ承知している読者に、一体、何処の「読者」宛だか。その二枚舌こそ黙って頷いてくれる「読者」宛という事か。百歩、本イベント新規客として、新連載や既刊見返し暁には「デパート」殴り返しで迎える覚悟は出来ているのだろうか。はたまた次回は「百貨店」徹底統一不退転の覚悟という事だろうか。次回シリーズ連載開始報に、益々の期待が募るばかりだ。
裏は、流石に無地ペラではなかったものの、文庫版としての歴代3シリーズ+最新『アンと幸福』に『和菓子のアン』公式サイトへのQRコード。結局唯の販促ペラで、特になくても良かった、で概ね合っていたものだった。あえてピンぼけミスショットままで。
乃し梅本舗 佐藤屋
パッと手に取った唯一の(?)生菓子。一番日持ちが危なそうな商品だったので真っ先に始末食に与る。
「秋の道行き」や「はじまりのかがやき」はなく(?)、何故か本作一品ストック分だけが他の菓子に交じって挟まれるようにして配置されていた(完売?)。
ま、あのスペースでは仕方ないか。佐藤様も、フロント張り付きで忙しそうだったし。個人的には「おとし文」が欲しかったが生菓子の事、仕方ない。
青いゼラチン(?)と張り付く練り切りの様が、まるでドレッドヘアー。
ボロボロ零れながらも何とか口にする。練り切り(?)の柔らかさと、ゼラチンのブヨブヨした固形物的固さが、商品として考えた構成と分かる。
通販はもとより、普通に市販購入も出来る『梅しぐれ』も販売されていた。「佐藤屋」若旦那としての意地を感じて好感が持てた。
しかしね、「しぐれ」って。この「時雨」の元ネタじゃないよな、まさか。丁度「佐藤」も揃っているし(それも「佐藤なんて砂糖みたいで甘いから嫌だ。真田にする(概略)」だし)。未だ読了には程遠い。『銀の匙』のようだ。
番外:乃し梅
買う機会があったので本命(?)品と、早速買ってみた。
上下を竹皮に挟まれた品が2、3段×横2組格納。
竹皮2枚をもって上下をカバー、上を全部外した所。適度なベトベトが接着剤となり、素材を接着させている。
全然気付かなかったな。
ホットドッグのように上の竹皮だけ全部剥がし、下を徐々にベロンと剥がしていきながら啜るようにして食べていたな。菓子に包丁が、食用ハサミが必要なのだろうか。羊羹かホールケーキ位にして欲しいな、菓子で包丁が必要な機械など。
竹皮は、丁度文庫版縦サイズ。乃し(熨斗?)というよりは、短冊、あるいは、お札。そこは模造であって、食品としての食べやすさ、実用品至上のようだ。
やはり謎の木枝は、梅だったかな。石川(?)は、紫寄りの薄さが(比すると)桜に見え、「乃し梅」は雄しべ(?)まで再現、猪狩は徹底デフォルメて全部違うから分からない。猪狩漫画版は人参ではなかったようだ。
適度に砂糖が抑えられ、本命品(?)の方が丁度良い塩梅だった。
しかし、「松」兵衛で、これで「松竹梅」一式全部揃う事になるが、名跡側が、あえて残り「松」を入れる折れに出てまで、縁起掛けをさせたというのだろうか。はたまた「松」の主人が「梅」菓子を作って、後は「竹」だったのだろうか。憶測事とはいえ、興味深い話だ。
平治煎餅本店
ワクワクドキドキ品として。
何処かで見たような卑w
花弁を開くというよりは、割ってこじ開けるイメージ。
餅辺りで開く花弁を再現出来そうだけど、そうすれば紙が引っ付いてしまうか。その辺りの妥協の産物と言った事情もあったのかも(元々煎餅屋さんという、そもそもの大前提もあるのだろうけども)。
皆様は、どうやってこの占い紙取り出しているのだろうか。わざわざ楊枝や黒文字、ピンセットで掴んで取り出しているのだろうか。はたまた振って振り落としているのだろうか。個別包装にして楊枝一本入っていなかった中、とても若年菲才の私には物理的にこじ開ける強行策でしか思い浮かばなかった。
箴言のような取り留めない一言から、男性推理小説畑を隠さない謎解き挑戦煽りなど。流石にいきなり大凶をひかせる文字通りの占いは、見送りだったようだ。
一つが「当たり」になっていて最後まで外れ続け、見ての通りの薄さも相成り、結局、ほぼほぼ全部一気に食べ切っていた。事実上の「大凶」でこそ、容器含む全部の「当たり」で中々深く考えらせられる展開の「当たり」となった。
占い紙片入れで終わっては勿体ないので何か入れてみる、と言うよりも入れるために買ったとも言うべきか。
コンテナの中で肥やしになりそうで「困っていた」紙片達。
「初恋の作家」様は、「男性」報を前にしてこそ、本『アンと幸福』にてゴキブリの醜態を呈しました、KADOKAWAの女性(?)担当編集者様。
ピッタリ高さ分。中で丸めて入る位はあると思っていたけど、予想以上にギリギリ収納だった。もっとも無理のない範囲内なので容器を変える気も無し。
「作者」を包括する和菓子でなければね。(世襲)若旦那諸兄方には、さぞ思う所あるものと存じます。
既存のおみくじ煎餅を「辻占」アレンジのようだ。
龜屋
2020年度の本和菓衆イベントで、黙々と亀のどら焼き(商品名としては『亀どら』か)甲羅部に「みつ屋」焼き印押し当てていた中で、何故か今回は量販品と思われる通常版(?)の「みつ屋」焼き印なしのどら焼き『亀どら』が併売。
「あれ? どら焼きに『みつ屋』押していないのですか?」
「坂木先生が"布団"云々で、今回はこちらに押しました」
忖度ね。特注品手配の経営判断もありそうだし、無理は言えませんね。
さぞや「コメントなどする訳ない。商品だ」堅物の職人肌だと思っていたらマスク越しに見た目や肌は以外にも若いお兄さんだった。世継ぎ様? いや、本期間前後では無さようだし。2010年動画判断→現トップ、顔出し→世継ぎ様、辺りか。ま、双方共に現トップ/世継ぎ様でも全然構わないのだが。
「布団」らしいが、実物は軽く 3 - 5 ミリはありそうな分厚さ。「布団」と言っても敷布団を想起。いや、最早体育の白マット、とでも言うべきか。
癖のない餡と、自家製と思わしき厚い餅のもち米味が贅沢な気分にさせてくれる。
餡が、はみ出しているのは製品としてミスの出来だったようだ。恐らくは銀ブラ→帰宅新幹線を経た輸送事故の賜物でしょう。ひとえに私の責任です。
亀どら、若旦那、新商品「のし餅大福」、今回一番の「当たり」だった。
深川屋
手製作品陳列の中、ドンと鎮座していた袋パン。
中心のピンクは桜だそうだが、どう見ても乳k
桜餅を想起させる塩辛さと桜の香り。と思ったら、やはり何時ぞやのジャリジャリ品「関の戸」の派生創作品だったようだ。
加熱商品(?)、袋包装の割に、やけに早い賞味期限。ま、それだけ実直な「パン」という事なのでしょう。
どなただったかな。深川屋様だったか。「ふ」も納得。
木村屋を断念させる位の存在ではありました。
五勝手屋本舗
若旦那様の餡濃縮(?)熱弁もさることながら、値段も他社製品と横ばいの安さだったので(直接は虎屋)。
砂糖ビッシリは聞いていなかったな。完食しましたけど。
羊羹一本断片一切れ(?)のバラ販売(を、この生菓子容器で固定)は珍しかった。
サンドになっていたかな。何時ぞやの是清様のサンド羊羹を思い出した。
実はイベント限定の希少品だった…?
田中屋せんべい總本家
前回は放り投げてしまって見るに堪えるものでなかったので泣く泣くカットした手製お品書き。伴侶の方のアイディア商品らしい。
そして――。
消されるかな。ベンチマーク。
赤子顔に影が掛かり太陽の塔やアルカイックスマイルホラーに(完食で現存せず)。
ところで、オリジナルは、例の鉄製(?)の型で型取りしているが、この赤子顔は、どのように型取りしているのだろうか。色が焦げ目の色だし『亀どら』のように焼き印でも押し当てたのだろうか。
ガブリと噛み付こうとすると歯が抜け落ちそうな硬さなのでチョコのようにパキパキ割りながら食べると良いかも。
母に連れられて、今で言う所の所謂「ママ友」な方々との席上、皿や缶ケース直に盛られたクッキーや(スナック)菓子をモシャモシャしていた古き良き日の思い出。あれは、今で言う所の所謂「女子会」と呼ぶものだったかな。主催の方の自宅だけど。もちろん母の子の私自身は、良く言えばゲスト、悪く言えば生贄。
クセがなく無難な「落花せんべい」や「素焼きせんべい」が美味しかった。
豆の方は、流石に借り物のようで、豆自体に塩(?)が降り掛かった製品完成品らしき具材を再利用したもののようだった。つまみのイカ天入りといえば、ご理解頂けるだろうか。
田中様に世話になったお礼か、主力商品単体は初だったからかな。何故か手にしていた。
ご子息(?)モデルVer.では、前回からにもなるだけに、レギュラーVer.は初。囲いは、稲/麦穂として、中央の謎の容器は何だろうか。稲/麦穂加工に使った、往時の湯沸かし器/ポット?
意図的に曲げているのが分かる、曲がりとしての平坦ぶり。
材料が麦な辺りが、まず既存煎餅とは、あれ、米じゃなかったか、と別物の印象。
補強は厚紙1枚だけで、曲がりに沿って型紙を組み、曲がりを維持させる気はないようだ。もっとも、金銭的事情もあるでしょうし、輸送としては複数枚収納による補強代替で十分という結論になり、仕方なかったかな。
元のオリジナル(?)版の時点で色々と絵柄が存在するようだ。
終わりに
往時は一第三者だった(それでも本文編集に、他者編集内容監視と、あくまで一読者当事者)者だっただけに、編集者当事者が「ミイラ取り――」さながらにイベント一客人となり、会場内の人々と触れ合う中、良く言えば(元)編集者潜入レポート、悪く言えば自演となり、結果的に、遂に私判断の中としましては「不在」という結末を確定させてしまいました(他には、何時ぞやの百貨店デビューした元JK様位で、私のような交通整理業に追従する事は多分に、ないでしょうから、実質は私のみ)のは痛恨の極みであり残念の一言でありましたが、やはり私が欲しかった情報は、私自身でしか得られなかった、という事で、個人的には満足でありました。
三越お膝元エムアイカードによるクレジット決済特典などはもう、一小売店ではなく「百貨店」という業態を提示してきたであろう百貨店が、上~中級小売店へ様変わろうとしている中を、お偉きセンセイの鶴の一声や、変革を、むしろ許さず、自分達庶民の「百貨店」幻想に、殉じてくれ(潰れてくれ)、とでも言わぬばかりの保守的現状維持幻想独り歩きの声が、百貨店当事者等身大の姿を押し退け、優先された瞬間でありました。作家の面子は元ネタ題材に勝るという事なのでしょうか。奇しくも、コロナど真ん中でこそ、マスク他諸々要対策措置呼び掛けの上とはいえ、通販さえ抜け道があった中とはいえ、あくまで現地招来・直接対面に拘っていた中に感じていた懸念は当たるものとなってしまいました。
各個全肯定が、風見鶏/二重スパイ/読者を捨て駒に我先敵前逃亡な全否定更地化としての絶妙なバランス調整策(本人としては多分に言葉足らずの誤解なのでしょうが、結果的には、そう見えているという事)で、作品プロデュースでこそ著者の「権利」とばかりに、光文社とは、また独自に活動(暗躍)している『和菓子のアン』著者坂木司。一瞬の煌めきでさえ、和菓子の器を見せた本和菓衆(の田中祐介様)。と、三者(社)三様の認識ずれが如実に確認出来ました。
目下の課題は、クルクル回り続ける風見鶏の固定矯正でしょうか。ほぼ正確に東西南北を示す銀座和光の時計塔のように。もてなしと、普通に裏表使い分けている中で、それはもう、リアル梅本の自発的立ち上がりなど、結局最後は「作者」が立ちはだかる絶望ですから(いや、私のように屹然と「正は、あくまで作者公認で、その継続で、この何故か突然の互いを”ピシャリ”徹底遮断は、「迷惑(例)」恫喝に屈した自己保身と全投げ、読者を捨て駒我先敵前逃亡責任転嫁に過ぎません」と、「作者」の交通整理をすれば、いいだけの事なのですけどね)。
『和菓子のアン』を、いや、著作の一切を道具や階段として、人に出逢いたい、でよろしいのでしょうか。普通に「作品は人と出会い為の道具/口実に過ぎず」とも受け取れる表現を、作者本人見解として成してくれるなど助かるばかり。それはもう何処かで「小説」「作品」「生産物」と醒めたものがあるならば、目先の相手に、全部拾えば裏表使い分けの支離滅裂お構いなし「全肯定」実態も、用語の相違などは、もう「伝われば良い」無言のアクセルベタ踏み、道中の妨害者は轢き殺す強気の強行(凶行)と納得です。やはりリアル沖田大和としては、百歩志半ば半人前の平として、アンちゃんとは異性大前提もさることながら諸々の認識に剥離があるという事でしょうか。「作者を超える”アンちゃん”など存在しない/させない」で、よろしいのでしょうか。お仕事小説として評価されている中で普通に「作り話ですよ、ある訳ないじゃないですか。歯向かうならば消ししますよ(潰しますよ)」など、取引先が、レビュアー様(企業)が「困る」話なのですが。
読者の自殺幇助共犯者として、お仕事小説をもって職業を紹介しているのでは、ないのですからね。メディア展開、コラボどころか、書評家様さえ切り捨てる用意があるという事でしょうか。出会った方でさえ、結局は、切り捨てるのならば、一体誰に会いたいと言っているのでしょうか。一応は、会ってみる程度という事でしょうか。五〇大人(2023年12月現在)が、まさか「友達、友達」群れは正義・法、ノリでは、ないですよね。
結局、最後は母体小ささ・脆弱さの、そもそもに遡り「誰かを傷付けてしまう位なら更地帳消しにして世論の『迷惑考えろ』に応えます」(無理)心中更地化かな。キリがない、というより、いくらでも動員掛けて数字不正操作誘導出来る話、真に受けて惜しいね。後一歩が(作者でこそ揉み消しに走って)踏み出せない、歯車が嚙み合わない(そしてこれが作者「方針」として効いていて、あえて歩まない方を踏み止まらせ、結果的に反対派でこそ「作者は求めていない」鼓舞させている理由になっている)。
もちろん、私個人の私見は、度重なる「暴言」「悪評」「作者批判」の通りです。既に次回シリーズ作続投決定の中、原作『赤毛のアン』シリーズ分完走などは、何ら問題では無い、寧ろ本題本質からの強行目晦ましや逃避と、今後参考となれば幸いです。もっとも既に織り込み済の今更で、今や、それでも追従してくれる読者の為に、唯、前を向いているだけの精神論なのかもしれませんが。
日販で週刊ランキング「総合」部門で初動16位。時の流れに伴うリンク切れ恒例事もさることながら、最早往時の栄誉見る影無し。もっとも、それでも光文社社内としては2位タイトル(総合)ではあるのだが。ところで『スケバン刑事』は、買いましたでしょうか。日販様にこそなる話なのですが。
重版、おめでとうございます(上記『アンと青春』時『スケバン刑事』「勝利」インタビュー日販オファーに比べると、推して知るべしな衰退ぶりながら)。
何より特筆すべきは「どこに? 誰に?」でしょうか。やはり「何が何でも」等身大「アンちゃん」弱者が主役の、下剋上「奇跡」劇を、リアルでこそ夢見ている、とでも言うのでしょうか。
無理です。弱者は、壮大な「やらせ」でこそ気付けず、強者は「KY」とまで烙印を押され手足捥がれ、叩き潰される中で「誰もいない」のは当たり前です。いや、最早、実質、強者を、正解者を出させない、とでも言うべきでしょうか。
個人としての力を拒絶/捨てた人が、集団の「力」でこそ拒絶/遮断してみせた中で、集まってこその力仕事こそ不可能です。
いや、本当、どのような「人」を、「団結」を、ご希望なのでしょうか。店焼き討ち暴徒の間違いでしょう? 「読者」こそ否定した「弱者」の力とは何でしょうか。密告に、殺しでこそ公然と「共同作業」と支持を贈る、甚だしい危険思想です。
内閣総理大臣一つ、民衆の声に対する実情実例が出ているというのに、前に出ること一つ、個人の所作一つ、社会からの要承認とでも言うのでしょうか。素晴らしい「弱者目線」様です。現れる訳がなく、むしろ事実上の「前に出る者は処刑する」極論も止むを得ないところでしょう。読者を、刑務所の囚人か何かと間違えてはいるのではないでしょうか。
そもそもがゴッコで、何ら拘束力を持たない中で、もちろん私自身は、同・井の中の蛙三流茶番劇への参加を見送り、自身の役目へと邁進させていただいた次第です(結局『青空の卵』というか『ひきこもり探偵』なんですね。で、今現在、決して起こり得ない与太話に結果的に不在を望んでいる「坂木司」様が、文字通りの「坂木司」様という状況です。気付きこそしていない社会様は望んでいない、ですらありません。さて、「アンちゃん」は昭和駄目親父「坂木司」の檻や貞操帯から解き放たれる日は何時か。乞うご期待あれ)。ご協力、ありがとうございました。
平均点の上げ方でこそ、底上げも重要ですが、強者は強者、も一つの上げ方です。底上げ側の一択強要など、所詮は強者潰しの方便に過ぎません。
有りもしない幻想に囚われた中で内々で勝手に我慢大会に興じるのは結構ですが「皆が我慢しているから、お前も我慢しろ」とは、話は違うとご理解を願います。
企業不祥事に下げる頭がない、むしろ協力して黙れ、など、とても時事ネタとばかりに食品不祥事を扱った文芸作品ではないですね。やはり作り手側こそが一客人の限界でしたでしょうか。
デスマフィン食べて死ね、とでも言うのでしょうか。とても飲食店業者当事者をコラボ相手にした身の上の者の態度ではない気がするのですが…やはり、百貨店が潰れようと、和菓子屋が潰れようと、従業員が路頭に迷うと、店主が首を括ろうと、原作が、アンちゃんが無事なら、屍の上にこそ立ち続る超強気・他人事でよろしいのでしょうか。いや、本当、本和菓衆様こそドブと捨てる話となりますが、どうなのでしょうか。
やはり本編/本体/コア、初代『和菓子のアン』、外伝/OVA『アンと青春』、アンコール『アンと愛情』、アンコール時ミス特例回収特命回『アンと幸福』辺り、かな。それこそ、ネット界隈は、集団の中でグズグズとグズるのが良いのであって、抜け出た者は処刑・粛清ですからね(本当、ミスリードでこそトントン調子に「群衆」を成し、それでも「群衆」側見解を選んで執行してみせた、など助かるばかり。百貨店潰の唯の賊暴動にこそ寄り添う用意がある、とでも言うのでしょうか。素晴らしき客目線のプロです)。
百歩譲って、せめて原作小説進退の大事話と認識してもらいたいものです。いや、本当、絶妙なラストでした、初代『和菓子のアン』の立花「辞めないでね」。結局、ここらで「進退他、諸々後日談は、皆様の個別判断に任せます」濁し妥協が潮時だったのでしょう。奇しくも、丁度猪狩漫画版と一致です。ここらで手を止めて、必要最低限の初代『和菓子のアン』一強補強の段階(つまりは打ち止め終了)だと、私は思っているのですが、いかがでしょうか。もちろん、かつての「読書メーター」ネットユーザーや本和菓衆コラボ新規客こそ、かなぐり捨てて事前予告通り、予定通り「アンちゃん」成長話続行ならば、話は別ですが。
予定通り続けるのですかね。『幸福』での、その一歩踏み出しでこそ、普通に「読んでいません」からの「認めない」猛抗議だったと猛省して頂きたいものです(本当、どうして、そこで私一人の他人事に振り切れるのだか)。
――というより、もう、これ、企業不祥事にこそ頭を下げて、お上に追従するブラック企業従業員物語『和菓子のアン』という事で、やはり『青空の卵』(『引きこもり探偵』シリーズ)確定締め(閉め)でよろしいでしょうか。そもそもがラスト『和菓子のアン』後一作品の話に、今更『きみのかたち』や『山の学校』、まして完全な食レポ全振り側の読書/推理小説でこそない、全然違う方を待ってもしょうがない話ですし。ご協力、ありがとうございました。
前記実地調査に続き、清く、正しく、美しく生きる、日本的常識人模範生馴れ合い/化かし合いには、Wikipedia編集者時代に遡って、やはり向いていない者である事が立証され、個人的には大成功に終わりました(いや、本当、「東京滞在の『和菓子のアン』読者(「作者」とか「光文社」といった、公式自身として、いるには、いるのですけどね)」様や、そもそもが「推理小説」、いや「読書」ですらない、近所顔見知り知人程度の「関係者」様には、とても任せられない、それでも私自身が、本分でないにも関わらず拙い成りに担う役割にして遂行事項でありました)。
和菓子に疎い男性の方におかれましては入門として軽く。その内、食べたくなるという事情もありますが「空気」に臆せず「スイーツ(())」と格式張らず、男性なら男性で開き直って、一個の「食いモン」として近付けば良いと思います(何処かの御偉御方様も「和菓子」「スイーツ」ではなく和洋合わせた「おやつ」と称しております)。時代劇な往時でこそ、和菓子しかなく、自然、和菓子でこそ男性食を確立していたように。本記事が、その一助となれれば幸いです。
今回は、個人サイト運営時に遡って例を見なかった初の事象が起こりました。
一番が「日常の謎」特集の中、
一時は個人サイト運営時を上回る異常な爆速ぶり(週間計測)。もちろん一定の習熟の身の私には鵜呑みに出来るものではなく、むしろ「炎上」が過る恐怖でありました。何が起きたのやら。
何故か沈静化。あくまで推理小説『和菓子のアン』(直接のシリーズ作「アンと幸福」)コラボで、「和菓子のアン」用語定義担当にもなる私にもなれば、最後は菓子食事会話題としてこそ原作今後進退の反省会になるのは当然の帰結なのですが。それだけ「和菓子のアン」としては魅力がないという事なので、私個人としては何ら問題ない(作者に「誰も読んでいませんよ」「作品読者として出会える人は、同じ身の内の客内としては遂に不在でした」「やはり私一人動く話で、何ら問題ありませんでした」と報告出来る)のですが。
とりあえずミステリー総合「日常の謎」特集が、一「日常の謎」小説コラボイベントを叩き潰してくれる(本来の序列関係に戻る)日まで様子見・静観。そして一瞬の一時への感謝だけはしておきます。多謝。コロナみたいだな。
お疲れ様でした。思ったよりも早かったですね。所詮は記事更新程度の話だったのでしょうか。
誰でも分かる部位での身内のよしみよりも、本コンテンツ、本評価結果論の賜物の末に立っている一ジャンル実力者と立証出来ました(もちろん、背比べな、まだマシとして)。ご協力ありがとうございました(それもまた、ある種の「炎上」と疑いつつ)。
向かって右側は、単行本版2版にして書き直し帯ではなく、似せた平治煎餅本店様特注品の箱でしょうか。売っていたかな。どの道、今更「せんべい」の身なので、たとえ見掛けていても、「せんべい」重複もあり見送っていたことだろう。現に私自身が「辻占」ですしね。
原作単行本版は、2版目帯「どこに? 誰に?」訂正が間に合わず(?)の特攻出庫で、イベント後にして、この2版出庫後手遅れ(?)でのタイミングは、見ていたのかな。ならば小手先の数字にも勝る光栄だ。そして、シリーズ進退にもなる本イベント意義への逃避にして、せめてもの大恩人(K様? いや、本当。未だにこの事一つ、何一つ明かされず、結局は私に還る。どう見ても同僚職業作家とだけは、当てはついているのですが、駄目ですかね?)だけは今後修羅場地獄から避難させたかった切実さでしょうか。
吉報をお待ちしております。もちろん(推理小説「和菓子のアン」を遮っての菓子様、他、いくらかの読者を切り捨てての)続行だろうと、(「和菓子のアン」補強とした)打ち切りだろうと、私自身の私見・予想のまでで、何ら「天邪鬼」外しの意義が無い旨は、お伝えしておきます。それでも何一つ語らずの「模範生」方を、「普通、そうだよな」とまでの基準に信じられるのならば、それも宜しいでしょう。
ねらーにもなる「市民」の方々からは、ムラ社会の脱走者・反逆児と「身の程弁えろ」と「評判悪い」不肖の者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。一同、お疲れ様でした。
年明けて、地震の、まさかの「石川」。直接は輪島に、能登半島ながらも、輪島塗は、それこそ和菓子の話でした。
センセイの名誉の話など安過ぎるわ、と言っているのですがね。いや、分かりません。死者200云十名(2024年1月14日現在)の屍の上にこそ、一人のセンセイの尊厳があるとでも言うのでしょうか。「道徳」や「倫理」建前の、実質口封じと言う「違法行為」でこそ作家の「権利」とでも思っているのだろうか。あくまで日本国法が優先し、作家の「自由」や「権利」でこそ、別に、それこそ「創作」の法が存在する、無法な「自由」実態を許させない制限(権利侵害)を課させるものだ、と唖然とするばかり。
何れにせよ、百歩シリーズ完走として「アンと青春」まで現実実態は必至となりました。それとも、三十数年待って、この度の震災でこそ過去「日常」と果てるまで他人事に待つのでしょうか(「3.11」も原発問題は、まだで、ついでですね)。さて。
「カードが丁度2つ入って、食べた後も、缶として使えて、便利なんですよ」
「(笑)」