読書感想『二木先生』
文を書くのは朝出勤の電車の中、本を読むのは夜というスタイルが私には向いている。
昨日の朝、全く別のnoteを書いていたが、夜に「ニ木先生」という作品を読んだので、先にこちらの感想から投稿したいと思う。
ミステリーやホラー小説が好きな私は、事件の不穏感を感じさせる表紙に興味を惹かれた。
当初の予定では、少しずつ夜に読んで、娘が寝た後の毎日の楽しみにしようと思っていた。
しかしお楽しみ計画とは裏腹に辞めどころを失ったまま最後まで読み切ってしまった。
気づけば朝の4時。
毎日の幸せのプラスワンにするはずが、完全に健康の足を引っ張る形となった。眠い。
【ここらから本の話に少し触れるのでご注意ください。】
読み始め、主人公の心理描写がリアルに描かれていた。
主人公の行動には全く共感できないが、
なぜかその心理描写には心当たりがある。
物語の中で主人語は周囲から宇宙人という呼ばれ方をしている。
何か返答を求められたとき、主人公が答えると、相手はいつもきょとんとしてしまう。
「変わってる」とよく言われる理由がわからずにいた。
そのため、他人の反応や好みを研究して真似てみたり、宇宙人が地球で生きていけるように葛藤してるような心情が描かれている。
誰しも、自分の行動や返答が正解なのか他人のリアクションを気にしてしまうことがあると思う。
他人のリアクションが悪いと、自分は行動の選択肢を間違えたのだと焦ってしまう。
「他人のリアクションなんて気にせず自分が正しいと思う道を歩け」なんて綺麗事が通じるのは、自分の道を歩いた場合でも、根本的な超えてはいけないラインを感じ取れる人の場合にすぎない。
主人公は、小学生のころ子供らしく振る舞おうとして、友達の父親と戯れ合う他の友達にまじって、恐る恐る友達の父親をポコポコと殴る最初はよかったが、あまりにもしつこくなっていき最後には友達の父親の頬を引っ叩く。そして空気が固まる。
そこに主人公の悪意はない。
超えてはいけない暗黙のラインがわからないのだ。その感覚がわからない人でも理解できるようにうまく表現されていた。
後半になるにつれて、前半の伏線が拾われていくのが圧巻だった。技術的に面白かった。
終盤「先生から」主人公に向けて、
「自分を愛すこと」が足りないと言われる
だがそれに対し、主人公は「すでに自己を愛している」「誰よりも自己を愛しているから利己的な行動をとっている」と思っている。
だが、ある出来事で、自分を犠牲に人を助ける利他的に動く場面があり、そこでこれこそが自己を愛すとこになるのだと主人公が気づく。
私自身まだ人間的に未熟で幼いので、
まだこのことだけは、しっかりと腹の底に落ちてない。
まだ綺麗事の部類に聞こえてしまう。
理屈的では分かる。
自分を好きでいられるために利他的に他人を助ける。でも好きでいようということは、まだその時点で好きではないということではないのか。
【どなたか、二木先生を読んだ人や、近い経験談がある人はこのことについて教えて欲しいです。
解釈違いがあれば、それもぜひ教えて欲しいです。
もっと理解を深めたいです。】
私自身地球人になりたい宇宙人なのかもしれない。
だが、この殺伐とした不景気の中で他者を助けることで起こる自己の犠牲はあまりにもでかい。
例えば困ってる他人がいたとしても極力関わらない方がいいという考え方は意外にも世の中に蔓延している。
この地球は、実は宇宙人のあつまりなのか。