【エッセイ】自我の芽生えっていつ?私の自我の芽生えの話(小5の討論会「男女の違い」)
10月の涼しい風と砂埃
昨日は娘の運動会。
人生初めての運動会である4歳の娘は、「なんでパパとママが保育園にいるのか」疑問に思ってるだろう。
疑問に思いながらも、周りの飾り付けや、先生たちの背筋を見ていつもと違う雰囲気を感じ取り、この状況を「今日はこんな日なのだ」と受け入れている。
まだまだ小さい小さい身体をしてるのに、子供は大人が思うよりずっと大人だ。
娘は1日の最後、寝る間際に「パパとママの顔を見つけたとき嬉しかった」と言っていた。娘はこのとき感じた感情を大人になっても覚えているのだろうか。
私が娘と同じくらいの時は、かなりぼーっとした子だったと思う。
今振り返ってみても4歳のときの記憶が全くないのだ。行事があってもなんの感情も動いてなかったということだろうか。
母が言うにも「あなたはせっかく旅行に連れて行っても、何も覚えていない」と言われるくらいだ。
あまりに心に残らないため、自分自身で、今このタコさんのトレーナーを着ていたことだけを覚えておこうと決めたことだけは覚えている。
もはや、タコさんのトレーナーがどんな絵だったかは覚えていない。
起こりうる出来事に何にも疑問に思わず、全て受け入れ、受け流し生きてきたのだろう。
そんな私の自我が芽生えたのは遅く、小学5年生のときだった。
それは総合の授業のときだ。
私たちの小学校は、基本の国数社英などに加えて、総合の授業がたまに行われていた。
いつも総合の授業は道徳を学んだり、戦争のビデオをみたり、はたまた運動会等が近い場合は運動会の準備の時間にあてられたりしていた。
この日机は、教壇を向いて並んでるいつもの授業スタイルではなく、
二つのグループに分けられ教室の中心を向くような対立する形で並べられた。
今回の授業は討論してみようと言うものだった。
テーマとしては「男の子の色、女の子の色はあるのか?」という、
多様化の現代でもなお考えるべきテーマが、20年前の総合の授業で選ばれた。
小学5年生の多感な子供達は「男の子の色、女の子の色はある」と主張するチームと「ない」と主張するチームにわけられた。
クラスの大半が「ない」というなんとも優等生な選択をする中、当時何も考えてなかった私はクラスの様子を見ることもなく、馬鹿正直に「ある」というチームの席に座ってしまった。
このことからみても私がいかにぼーっとして生きていたかが分かる。
「男女の色はある」のチームには私とは違い確固たる主張の意思をもった子や、人とは逆の意見をあえて選ぶことで目立ちたい子などあわせて6名が座っていた。
討論が始まり、さまざまな意見が交換された。
「男女の色はない」優等生チームは、「性別が違うからと、選んではいけない色があるわけではない」「性別で価値観を分けてはいけない」
という優等生世論の代表みたいな答えが意気揚々と答えられた。子供達はこれが正解だと確信しているように、胸を張って強めの息遣いで次々と答えた。
私はそのとき、そんな理想論はわかってはいるが、当時ランドセルの色は赤と黒で性別によって分けられていたし、水筒の色合いだってなんとなく女の子はピンク、男の子は青を中心とした色に偏ってるじゃないか。
その現実に目をつぶって、理想論だけで主張しても現実から目を背けてる以上何も変わらない。
だから男女の色は悲しいけど現実問題「ある」と思った。
しかし当時その気持ちを今のように言葉にしてまとめることはできなかった。なぜならぼーっと生きてきたからである。
当時小5の私はそのモヤモヤをなんとか言葉にしようと、こう答えた。
『男の子でピンクの靴下履いてる人いないじゃん』
今思ってもなんとも陳腐な意見である。
その陳腐さを嘲笑うかのように優等生チームの中の黄色の靴下を履いた男の子が、「みて!僕靴下にピンク色あるよ」と答えた。
その男の子は上履きを脱いで靴下を見せた。
全体的に薄く汚れ、毛だまだらけの黄色の靴下の底には黒ずんだピンクのラインが爪先から踵にむけて一筋引いてあった。
なんだよそれ。と思って悔しく口を噤んだ。
その後も「男の子の青色の水筒に書かれたウルトラマンの目はピンクだ」とか、
私の主張したいことが全く違う形で伝わり、討論が展開された。
そうして授業終了間際になって、ずっと子供達の意見を黒板に白のチョークで書いていた先生が初めて口を開いた。
「はい。討論お疲れ様でした。この中に正解があります!それは、これ!」そう言うと、黒板の中の文字をピンクのチョークで囲った。
それは【男の子の色、女の子の色はない】と言う言葉
それと同時になるチャイム
反論の余地なく、2度目の「なんだよそれ」を心の中で唱えた後、授業終了となった。
チャイムとともに討論の話をすることなく、
ボールを持って駆け出す男子たち、可愛い動物の消しゴムコレクションを見せ合う女の子たち
子供たちはそれぞれの休み時間に入って行った。
討論の内容ではなく、対立するテーマの片方を正解とする先生の行動は、最初から答えが決まってる出来レースのように感じたし、
自分の主張が全く伝えられなかった悔しさ、
みんなの心からすぐにさっきの討論がなくなってしまったことへの虚無感
ぶつけどころのない、やるせなさは私の心に強烈に刻まれた。
これが私の自我の芽生えである。