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50代のおばさんがうつ病になりました。【11】

※センシティブな内容も含まれます。

 母に関する面倒なものは、終わりに近づく。
 しかし、空家のこと、次女の受験のこと、長女の将来(軽い障害を持つ)と経済的なこと等考えることは尽きない。
 考えていくうちに、身体が、脳が、疲れてしまう。そして、こんなにすぐ疲れはてる情け無い自分の事が嫌になり涙が出てきて、消えて無くなってしまいたくなるのだ。
 そんな時は、頓服の抗不安薬を飲んでソファで横になり眠る。

 家事をしていても、途中で疲れてしまう。洗濯物を干しては横になる。掃除をしては横になる。買い物に行っては何を買えば良いのか途方に暮れ、挙げ句の果てには、夕食の用意が出来ない程身体が動かず、子ども達に夕食用のお弁当を買ってきてもらう始末。
「この女は一日中何してるの?」と家族に思われているような妄想をしてしまう。
 家族に何か頼みたい時「ごめんね。ごめんなさい」と言っている。
こんなことも出来なくてごめんなさい、と。

 私自身、うつ病の実態を知らない時は大いなる誤解をしていた。うつ病は、どうやら辛いらしい、という認識はあったが、ここまで自分をとことん卑下し、命まで無くす選択をしてしまうという思考回路になる、とは想像に及ばなかった。いや、命を自ら絶ってしまう人がいるということは知っていたが、脳を誰かに支配されているような、自分ではどうすることも出来ない状況になるとは、想像もしていなかった。
 よく、「うつ病は甘え」と捉えている人もいる。そんな方にも理解しやすく私流に勝手な定義づけしてみたのでそれをお伝えしたい。
 うつ病の辛さとは、脳には例えば得体の知れない寄生虫が巣食っていて、身体や心にも寄生虫の仕業により、自動車でいうところのエンスト状態を起こす。そして、脳に寄生虫の巣の影響で思考回路が停止させてしまったり低速モードにしてしまったりする。そして、何の目的か寄生虫が司令を出して死を促そうするのだ。恐ろしい寄生虫なのである。
どうだろう。私が勝手に作った定義だが、うつ病を知らない方達にも、わかりやすくないだろうか。
 ただただゴロゴロしている患者をみても、寄生虫に脳をやられていてエンストしている、寄生虫のせいで動けないと捉えてほしいのだ。
 寄生虫と聞くとギョッとするが、それぐらい辛い病と知ってほしい。(改めて言いますが、あくまでも寄生虫は例えです)

 そんな私は、家族という会社のトップリーダーのような存在だ。私がいないとこの家族という会社はまわらない。私の指示の下でないと何も出来ない家族。私がこんなに何も出来なくて情け無い状態なら、この家族に私はいっそのこと必要ないのではないか。と、脳の中の寄生虫は私に司令を出してくる。司令を出されると、もう泣きながら泡になって消えてしまいたいと、家であれば、うずくまり、外であれば、急いで家路へ向かう。
 海の深く深く深海の底に、身体を丸く縮めて誰にも気づかれない場所にひっそりと沈んでいたい衝動に駆られるのだ。魚でない私にとってこの行為は、死を意味する。
 実際に深海に身を沈めるのは息が出来ずもがき苦しむに違いない。
 苦しくなくひっそりと自分の存在を消す方法はないのか、ググってみたりした。ググった結果、まず最初に表示されるのは『いのちの電話』だった。Google先生にしたって、そう簡単に存在を消す方法は教えてはくれないのだ。
 画面をスクロールさせれば、ポツポツと自死について具体的な記事が出てはくるが、実際は、どんな方法であれ苦しまない方法はないようだ。結局私は、すごく痛いとか、苦しむのは嫌なので自ら命を断つことはしない。願望だけに留まる。

 ある日夫が、記事を添付してLINEを寄こしてきた。記事のタイトルには、『散歩でセロトニンを増やし一ヶ月でうつ病を回復』と書いてある。私は、それを読み、またしてもズーンと身体が重くなり疲れを感じてしまった。
 夫も良かれと思って送ってきたことだろうことは理解しているが、強制させられてるようで辛かった。申し訳ないが、とても記事を開き内容を読む気にはなれなかった。夫には「ありがとう」とは伝えたが、散歩さえ辛いのだと泣いた。夫は泣いてる私に驚きながら「ごめん、ごめん。無理強いはしないよ」
私も私で「ごめんなさい。ごめんなさい。」こんな私でごめんなさい。そして寄生虫がここぞとばかりに「消えろ」と司令をと出してくるのだ。
 こんな日々を繰り返す。無駄に時間だけが過ぎていると思える日々。自分の存在が無意味と思える日々。頓服の抗不安薬と睡眠薬頼りながらそんな日々をやり過ごすのだった。





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