Ryo Nakanishi

1998 🇦🇺🇯🇵

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最近の記事

My First Summer Christmas

今日はクリスマスですね 初めての夏のクリスマスを今、経験してます クリスマスという実感がないですね全く  クリスマスは冬だからこそ趣きが感じられるね これを読んでいる人は既に知ってると思いますが 今、オーストラリアにいます 約2週間前に来ました こっちに来てから幸せな事しか起きてない~ 最初に泊まったホステルで 優しい日本人2人に出会ったり、 すぐにシェアハウスが決まったり、 色々な手続きも全て優しいスタッフの人達に 出会ったおかげで簡単に出来ました そして、今

    • 予選

      高校2年生。 いつも通りの厳しい練習。 慣れることはない練習のキツさ。 手にマメができて、破けて、 治ってないのにまた漕ぐ。 毎日お風呂に入るのが大変だった。 ビニール袋をつけて入ったこともあった。 懐かしい~ そんなこんなで全国選抜への大事な予選。 中部選抜で勝たないと全国選抜へは行けない。 全国選抜への詳しい参加条件は忘れた、 とにかく1番になればいい。 中部選抜は強いエリアだと言われているらしい。 富山・石川・長野・新潟 愛知・岐阜・静岡とか 2年目の中

      • ボート生活の始まり

        入部してからは基礎体力作り 山の周りを走ったり、 エルゴという器具を使ったり、 艇に乗って沈没したり。 中学校の陸上部では短距離をしていた。 長距離は苦手だったが、 このトレーニングのおかけで体力がついた。 体力テストの数値が高かったので 先輩方のインハイ前の富山合宿に 参加することになった。 雷、沈没、先輩の全裸姿での仁王立ち 初めての合宿たのしかったな〜 高校1年目はこんな感じで終わり 2年目いってみよ〜 みじかっ

        • 高校デビュー

          #5の続きだよ 高校では陸上部に入るつもりはあまりなかった。 練習する環境が、 中学より整っていなかったり、 中学の時に既にこれでは上まで行けないと 諦めていた。 サッカーをのんびり3年間して 県内の大学に進学するのかな~と 思っていた。 入学して1週間経ち、体験入部の期間に入った。 休み時間に廊下を歩いていると前から歩いてくる厳つい先生がいた。 「おい、お前デカいな、  今日ボート部の体験入部があるから来い  バスで送迎する」 これが顧問との初めての出会い。

          お久しぶりです

          こんにちは みなさん、お元気ですか 私はめっちゃ元気です 今日まで色んなことがありました〜 それはまた次の機会に書きます 沢山の感情を感じ、自分の心に素直になり 大きな決断をした24の夏になりました。 秋の冷たい風を感じる日が増えてきましたね それでは、また高校編から再開します! let's goooooooo ps. 今日は後輩のナラと焼肉を食べました 後輩はいつまで経っても可愛い後輩です インカレ優勝おめでとう!お疲れさま🏆

          お久しぶりです

          大切なこと

          自分の人生で大切にしていること。 それは心が穏やかで平和で、リラックスすること。 どこにいても地元や実家のように感じられること 物理的なものではなく 心でそれを感じるということ。 家族が近くに感じられることも大切。 離れていても定期的に連絡を取ったりして 近くに感じれるようにしている。 家族のような友達や大切な人に囲まれて 安全で幸せに感じられる場所にいることで そこがホームになって、心が穏やかになり 平和になることが自分の人生にはとても大切 周りの大切な人たちには

          大切なこと

          心の声

          日々、生きている中で色んなことを考えて 選択して行動している。 人生を豊かにするには 心を豊かにする。 生き方も価値観もみんな自由 自分で見つけないといけない。 自分の内側の心の声を聞き、 大切にするようになった。 ゆとりを持って、自分の心の声に素直になることは人生にとても重要。 でも、自分の思いとは裏腹に時間は過ぎ去っていく どんな時も心置いていかれないようにしたいね。 自分の心の声を聞いていくうちに 今この現状がいかに幸運なのか 分かるようになった。 今ある

          春の夜

          大学の頃から、ほぼ毎晩 寝る前に夜空をみる この同じ空の下で 自分の大切な人たちは今日もがんばって 過ごしていたのだと 今日もおつかれさま ゆっくり休んでね また会おうね 体調気をつけてね 毎日頑張ってるの知ってるよ ちゃんと見てるよ ちゃんとわかってあげたい 愛の意味を教えてくれた あなたを支えたいから 自分で自分を励ましたり 自分に自信を与えたりするのが 難しい時は、周りの人を頼ってね 辛くなったら、少しでも心が穏やかになる 場所へ行ってみるといいよ 春の夜

          感謝

          6月まで月1で面談していた 人事部長からは 「あなたの性格から仕事ぶりも 見ていたので、寂しいな〜」 常務からは 「1年しか経っていない、  目標も全て達成したわけでもない。  あなたがずっと経験してきた  スポーツと同じだと思うよ。  もう少し耐えて頑張ってみたら?  という気持ちと  これから、この会社、このグループは  新卒社員を2〜3年かけて人材育成したい  という考え方が出ている。  これは異例だよ  だから、行った後にやりたい事だけでなく  やりた

          新天地

          #01 やりたい事が見つかった。 それを実現するために 今から自分は何をするべきか。 亡くなるのを80才にして そこから逆算し、紙に書いた。 このやりたい事を実現するのにあたって まずは期限を決めた。 26歳までに形にして実現させる。 今の会社は、このやりたい事とは 違う分野にやる。 全く違うことは無いが、 やりたい事が見つかり、 やりたい事とは遠い分野の業務をすることは もう出来ないと感じた。 そして、やりたい事が見つかって それに向かって行動することを 後

          再出発

          #00 今日は過去の振り返りではなく、 2022.3.10の今の気持ちを書き留めたい。 今の会社に入社して11ヶ月経つ。 それなりに、どうにかして日々過ごしていた。 今の部署に配属され、1ヶ月経った7月頃。 初めての部長との面談。 日々の業務について話し合う。 不満などは特になかった。 しかし、発した言葉は 「いつかは転職を考えています、 3年もいないと思います。」 部長は 「お前はそんな気がしていた」と。 自分がやりたいこと、 将来の夢がなかったので 好き

          Run

          #5 中学3年生。 中学最後の年。 ラスト1年頑張るという気持ちは 頭の中でうっすらあった。 でも、最後の1年の日々の練習での 思い出や感じたことが、今はもう覚えていない。 それは昔のことだからなのか、 その当時、日々の生活をやり過ごしていた からなのか。 結果として、最後の1年は 110mHは県4位。 総合の部では、自分の中学校は県2位になった。 総合の部、県2位は快挙だったらしい。 自分も総合で、まさか2位になるとは 思っていなかった。 自分たちで考えるメニ

          最後の1年に向けて

          #4 中2の秋がきた。 秋季県大会。 110mHに出場した。 結果は2位。 最後の1台で足がハードルに当たり バランスを崩して、抜かれた。 悔しかった。 1位になれなかった。 今までのツケが回ってきた。 冬季練習をサボったからではなく、 どこかで日々の練習を何気なく、 やり過ごしていたから。 中学2度目の冬が来た。 中学1年目の冬と違い、 学校の練習以外に県の練習があった。 県強化指定選手に選ばれていたこともあり 月に一回、1日練習会があったのだ。 市内や滋

          最後の1年に向けて

          夏の思い出

          #3 カテゴリが学年別から 共通になったのもあるが タイムは伸びていなかった。 ハードルは共通になると 高さが上がる。 大体、腰くらいの高さかな 冬季練習をそこまで頑張って いなかったのも事実。 初戦だから身体動かないのも事実。 切り替えて、夏に向けて練習した。 夏の県大会、3ヶ月前のミーティング。 顧問から 「中西は四種だ」 -? 四種は ・110mH ・走り高跳び ・砲丸投げ ・400m のことを言う。 8位入賞までポイントが貰える。 顧問としては

          夏の思い出

          🏃‍♂️

          #2 陸上部について振り返ろうと思ったが あまり記憶にないのが正直なところ。 何故だろう 一旦、書いてみよう。 入部してまず、自分の種目を選ぶことになった。 ・短距離 ・中長距離 小学生の頃はマラソン大会でも 1.2位になることはあったが 長距離は嫌いだった。しんどいだけ ・短距離 に決めた。 短距離の中でも色々な種目がある ・100m ・200m ・400m ・110mH ・走り幅跳び ・走り高跳び 同じ小学校出身の一つ先輩が ハードルで県2位になっていた

          剣道→?

          #1 小学4年生で県大会団体戦優勝してからは 5年生〜6年生と一度も優勝することはなかった。 ベスト8に行くので 精一杯だった。 個人でも町の大会では優勝できても 市の大会に行けばベスト8止まり。 小学4年生で優勝した後に 父親に「1本取れる技を磨きなさい」と言われ 父親が休みの日、体育館を借りて 2人で稽古をしたのを覚えている。 周りの人は別の稽古場にも行き、 週3〜4日練習しているのに 自分は週2日の練習のみ。 練習は嫌いだった。負けてもめちゃくちゃ 悔しいと