『笑って人類!』と太田光。
爆笑問題、太田光が好きだ。
30年以上も活動している爆笑問題を好きになったのはたったの3年前で、ファンを名乗るのは少し気が引けるが、この数年物事の考え方の角度が変わった理由に少なからず彼の存在はあって、彼の言葉に救われたこともあった。
今回は太田光として大作「笑って人類!」の感想と彼の魅力について少し書こうと思う。
この作品は現実世界をオマージュしてファンタジー風に味付けされた作品である。大まかに言えば、世界平和を目指してダメダメな総理大臣が奮闘するという、時にクスリとするようなコメディタッチで描かれた作品である。でも話の内容は災害やテロといった、けっこう深刻なテーマを題材にしている。(それでも時折笑えるような描写があるのが、さすが芸人と感心するのである。)
はじめそれを手にした時、500ページもある段組の本作を読み切れる気がしなかった。同時に、テレビやラジオでメインmcを務めるような人がよくここまでの大作を完成させたもんだと感心した。しかし文章の読みやすさ。そしで勢い。何より続きが早く読みたくなって、気がつけばあっという間に半分まで読み終わっていた。ここらで一息つくこともなくさらに読み耽っていく。太田光ワールドにどんどんハマっていく。そして、面白さと同時に懐かしさを覚えた。
それは彼に興味を持って間もない頃、小説を出してると聞いて「幻の鳥」を読んだ。衝撃だった。こんなに世界平和という無理難題に果敢に挑んでいく作品は見たことがなかった。それはとても青い青い子供の夢のようなものだった。ただ彼は何かに突き動かされて1人、真剣に残酷な世界の中で真逆のことを唱えている。笑って人類はあれから随分経って出された作品だが、彼はまだ世界平和を信じていた。寸分違わず、まっすぐに。本気で悩んでいるのを感じた。現実離れした葛藤を。
爆笑問題はもちろん昔からテレビで見かけてたので知っていた。大好きなモンスターズインクの吹き替えを(当時は)ツッコミの田中さんがしていたのを知ってみてたし、ちびまる子ちゃんでネズミの格好をして、あの名曲「アララの呪文」をうたっていたのも毎週みてた。(ちびまる子ちゃんにまつわる音楽はいい曲ばっかりである。「私の好きな歌」は今まで見た映画の中でも10本の指に入るくらい好きだ。)
だがしかし、太田光について何がを感じたことはなかった。あの年齢で理解できるタイプの人間じゃなかった。掴みどころがないと言ったところか。きっかけはあの悲惨な川崎での事件が起こった時のことだった。
持論を持つということは簡単そうで実は難しい。どこまでも信念を持っている必要がある。彼は言葉を選びながら、苦しそうに、それでもまっすぐ前を向いて自分の意見を口にしていた。そこには確かにひとつの答えがあったと思っている。
それから彼のことを調べていくうちに不運な高校時代という共通点を見つけたところからさらに彼を知りたくなって、調べて、きいて、もっともっと知りたくなった。それでもいまだにあの人の頭の中がどうなってるのか、さっぱりわからない。みんなそうだと思うけど。
話は小説に戻る。笑って人類を読み終えたあと僕は少し上を向いた気がする。どこにあるかもわからない正解を見つけなくても、探せばいいとそう思えたような気がする。気がするだけでわからないけれど、それもまた、大切な悩みの種である。「未来はいつも面白い」。太田が言った言葉で、作中にも何度も出てくる。僕は今未来に絶望して今日も一日がただただ過ぎていくのを感じている。でも彼の言葉が、彼の夢が、彼の表現が、「適当でいいんだ#(」と言ってくれてるようで、少し気が楽になるのであった。
もう一度言おう。僕は太田光が好きだ。
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