『エッセイ編・5 不思議な神様との対話』
「じゃ、会議を開始します」と、
吉田社長のダミ声が会場中に響きます。
吉田さんから、
今回の企画会議の趣旨が説明されました。
それは、集英社で発売されているすべての漫画、
それを二次利用した、企画を作ることでした。
吉田さんは、集英社の重役から直接依頼されたとのこと。
「この会議で出されたアイディアの中で、
素晴らしいものがあれば、厳選して集英社に提案します。
書籍化される確率は、ものすごく高いです!」とのこと。
会場からは、「お〜っ!」というどよめきが上がりました。
「既に売れている漫画の、二次利用だったら売れるのは確実だ!」
「ゼロから企画を作るよりも、はるかに楽だわ!」
「よ〜し!ベストセラーいただき!」
全員が色めき立ちました。
興奮や意気込みが、部屋中に溢れました。
ところが、私は正反対の気持ちになりました。
まさか、漫画を利用しての企画とは、思いもしませんでした。
それも既に大ベストセラーを出している、売れっ子漫画家たちの、
作品を再利用しての企画です。
漫画家廃業寸前の私には、とてもショックでした。
その気持ちを恋愛に例えると、
自分が誰よりも愛している女性に、
自分よりも遥に素晴らしい男性を紹介する。
そのような感じです。
そんなことできるはずありません。
とても残酷に感じました。
何とも、惨めな気持ちになりました。
漫画家としてのプライドが傷つきました。
それ以上に、
私の〈人間としてのプライド〉が、微塵に砕けました。
吉田社長が、溌剌とした大声で、
「じゃぁ皆さん、どんどんアイディアを出してください。
こんなチャンスはめったにありませんよ。」と参加者を煽りました。
それをきっかけに、熱に浮かされたように、
次々と手が上がりました。
体育会系の、フリーの編集者が、
「〈サラリーマン金太郎〉を使って、
上司を殴るって言うのはどうだろうか。」
医学関係者だという、若い男性が、
「〈動物のお医者さん〉を使って、ペットケアの本はどうだろう?」
東大卒という、女性ライターが、
「〈エースをねらえ〉を使って、テニス上達法と言うのはいかがかしら?」
そのようなアイディアが発表されるたびに、会場がどよめきます。
「やられた〜っ!」と、悔しそうに頭を抱える人もいます。
会場の熱気はどんどん盛り上がってきます。
30分もすると、アイディアが50本近く出ていました。
吉田社長は、まるで、ローマ軍の将軍のように、
みんなを見渡し、満足そうにうなずき、
「その調子!その調子!」と、
力強く拍手で讃えました。
私はアイディアを出すどころか、
何一つ発言できないまま、会場の隅で、
うずくまっていました。
それ以上、会場にいるのが、
いたたまれなかったので、
こっそりと抜け出すことにしました。
私の存在など、誰ひとり、気にもとめませんでした。
ふらつく足で、池袋駅を目指して歩いていると、
夜空から、雪がふってきました。
「来るんじゃなかった……。最悪の結果だ。」と、
思わず、うめくように、つぶやいていました。
その頃私は、池袋から急行で1時間かかる、
埼玉県の奥地に住んでいました。
駅からさらにバスで15分ほどかかる、
団地の5階でした。
団地は雪景色の中に沈んでいました。
最後の希望を絶たれてしまい、
私の世界から色が消え、全てが白黒に変わりました
その夜。
布団の中で、
「もう何もできそうなことはない……万策尽きた」と、
心がポキリと音を立てて折れました。
あまりの疲労に、いつの間にか寝ていたようです。
そして、明け方……。
木枯らしが、窓を激しく叩く音がします。
夢と現実のあいだで、
目を閉じたまま、まどろんでいると、
昨夜の会議の光景が、浮かび上がってきます。
耐えられない、孤独感が襲ってきます。
絶望感が、胸を押し付けてきます。
思わず、悲鳴をあげるように、
心の中で、こんな言葉を発していました。
「神様、私はすべての方法をやり尽くしました。
それでも結果はこれです。
結局、才能がなかったかもしれません。
とても惨めです。
とても悔しいです。
とても切ないです。
気が狂いそうです。
一体どうしたらこの絶望から、
抜け出せるのでしょうか?」
「その質問に答える前に、ひとつ質問があります」
それは、自問自答している、もうひとりの私の声でした。
私が自我だとすれば、そのもうひとりの声は、
真我の声だったのかもしれません。
半覚醒状態なので、何の疑問も持たず、
不思議な自問自答が始まりました。
神様「あなたは、すべての方法を、本当にやり尽くしたでしょうか?」
私「えっ?……」
神様「あなたは、たったひとつだけ、まだやっていないことがあります。
その神様の声は、
穏やかで慈悲深い、特別なものではありませんでした。
確かに、私の声なのです。
別の人格でもありません。
私の心が、一番整っている状態のときの、私の人格なのです。
私「たったひとつだけやっていないこと、ですか。
そんなものがまだありますか?」
神様「あります」
私「それは、なんですか?」
神様「あなたが、たったひとつだけやっていないこと。それは……」
私「それは?」
神様「人を輝かせることです。」
私「人を輝かせること……。
確かに、そんなことは夢にも思っていませんでした。」
神様「ね、ひとつだけ、やっていないことがありましたね。
あなたは、今まで、
ヒット作を出したい、売れっ子になりたい、輝きたい、
と思い続けてきました。
でも人を輝かせることだけは、まだしていませんね。」
私「確かにそうです。
でも、こんな落ちぶれているボクが、
人を輝かすなんて、できっこないじゃないですか!」
神様「できます!
靴墨になればいいのです。」
私「靴墨!?」
神様「靴墨は真っ黒です。
でも、
靴をピカピカに、輝かせることができます。」
私「なるほど、確かにそうですね。」
神様「あなたは今日から、靴墨になればいいのです。」
私「それなら今のボクでも、できそうです。」
神様「とにかく、だまされたと思って試してみなさい。」
私「分りました。ボクの人生はもう死んだようなものです。
最後にそれを試してみます。」
その瞬間、はっきりと目が覚めました。
スマホを見ると、午前5時でした。
「人を輝かせる……」
意識がそう変わると、売れっ子漫画家たちに対する、
コンプレックスや、モヤモヤが、一気に消え失せました。
考えてみれば、昨日の参加者の中で、
漫画のことを一番よく知っているのは、
漫画家である、私自身です。
編集者やライターのように、編集力や文章力はなくとも、
「漫画が素材なら、十分に対抗できる!」と、
自信がむくむくと湧いてきました。
つづく
⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
『★今日のひとかけら』
自分が輝くことを諦め、
人を輝かせようと思った瞬間、
希望の光が射し、人生の色が戻りました。
そして、確信しました!
「人を輝かせること」。
それが、私が進むべき道を示してくれた、
神様からのサインなのだと。