観光と風土論
19世紀に至るまで欧州辺りでは、この世界は「火・風・水・土」で成り立っていると考えられていたそうです。このアイデアは、紀元前5世紀にギリシアのエンペドクレス氏が発想したもので、後に有名なプラトン氏、アリストれレス氏も承継したので、しっかりと通説化したのでしょう。
雑駁と言えばそのとおりですが、火は熱エネルギー、風は大気と低温エネルギー、水は循環の担い手、土とは地面に埋まっている各種の資源と考えれば、現代科学と絶望的に疎遠でもないようです。さらに、アリストテレス氏は、第五の元素が宇宙にあると言っていたそうですから、ダークエネルギやダークマターの存在を感得していたのかもしれません。
「風土」という言葉は、天からの光や熱、雨水など季節の循環がもたらす現象に応じた土地の生命力を指していましたが、今では「場所ごとに異なる地域特性」を意味しています。それは、それぞれの土地で生命力の在り様が異なり、そこに住む人間の性質も様々な形に成っていくことから、生活文化も含めて捉えられるようになったとのこと。
その意味はさらに拡大して、よそからの来訪者を「風」、人々の暮らし振りを含めそこにある景色を「土」として、二つの出会いが「地域」を形成するという文化論を説く方もいます。
そう考えれば、心地よさを感じる風量が理想なわけで、来訪者が暴風的にやってくれば土地は荒廃します。住民の人柄も荒んでくることは避けられません。海水浴が夏の国民的娯楽だった高度成長期、とある人気海岸を擁するところに子供のころから住んでいる方が「夏になると、やたら殺気立ってたよなぁ・・・人手不足で配達の手伝いでしてたけど、ビールでも日焼け止めでもどんどん売れちゃうから、品物を届けに行くと注文主から『もっと早くもってこい!』と怒られて、その隣からは『うちは何で後回しか?』と怒られて、狭いところを配達の車はぶっ飛ばしているし険悪なムードで満ちていた」としみじみ述懐されていました。
短期間で風をつかまないと次の風は1年後なので必死だったのは分かりますが、お客に楽しんでもらう以上に少しでもカネを使わせる方に流れると、ホスピタリティの精神が育つはずもなく、海水浴人口の減少に伴い衰退観光地の道を歩んだのはお約束と言えるのでしょうか。風との付き合い方は難しいものです。この現象は、季節リゾートの色が濃いスキー場でも似たような話が聞かれます。
風が豊かな実りを育むのか、荒れ地にしてしまうのか、天然気象との違いはある程度は受け入れ側で制御できる点です。急拡大をしない都市開発を説く方もいらっしゃいますが、空腹時のドカ食いが健康を損ねるように、激変は副作用が大きく、よって、観光振興で一発逆転を説く政治家には要注意です。
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