觀國之光利用賓于王
気安く使われる『観光』という言葉。
由来は、儒教の経典・四書五経の一つ『易経』に書かれた『觀國之光利用賓于王』とされ、大学教授はもったいを付けて紹介します。
國の光を觀る(みる) もって王に賓たるに利し(よろし)
土地の風土や文化、産物、風俗、政治、暮らしなどの優れた点=『光』をよく『観』ること、それが国王の施政に大いに益となる。
よって、『觀國之光』は、物見遊山とは異なり、心をこめて見て、学び、理解することなので、明治4年に欧米に派遣された視察団が帰国後にまとめた報告書・『特命全権大使米欧回覧実記』では、巻頭に「観光」と大きく書かれているとか。
時代は下って、
今では、公用車で観光をして来たといえば批判の的。
価値が暴落した「観光」ですが、それを活かして地域経済を活性化すると・・・衰退した地域に「光」があるのか?と漢文教養人には呆れられそうですが、言葉の使われ方は時代と共に変わるので、学びと全然関係のない庶民の気分転換でも「観光」に含まれてしまいました。その結果、現宰相の御子息にして(可能性としては一応)将来の内閣総理大臣候補の「観光」行動は、不心得な出来の悪い息子の遊興の扱い。
孔子先生はお嘆きのことでしょう。
物見遊山と観光の境界が消滅した今、観光振興とは物見遊山の奨励。政策でやるような課題なのか疑問がありますが、「観光」の出自が賢げなので、政治家や官僚に重宝されています。物見遊山政策では知的とは言い難い。
居住地から離れて多様な消費行動をする機会を増やしましょう!というのが、今日的「観光」振興であるとなれば、経済政策の領域ですが、「地域」と言う舞台づくりが大仕事で、カネが掛かり、短期で回収できない事業。
そこに公共セクターの役割がある、と政治家が言い出せば、新手の公共事業予算を確保し、財源として新税を導入・・・利権誕生。
孔子先生はお嘆きのことでしょう。