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觀國之光利用賓于王

気安く使われる『観光』という言葉。
由来は、儒教の経典・四書五経の一つ『易経』に書かれた『觀國之光利用賓于王』とされ、大学教授はもったいを付けて紹介します。

國の光を觀る(みる) もって王に賓たるに利し(よろし)

土地の風土や文化、産物、風俗、政治、暮らしなどの優れた点=『光』をよく『観』ること、それが国王の施政に大いに益となる。

よって、『觀國之光』は、物見遊山とは異なり、心をこめて見て、学び、理解することなので、明治4年に欧米に派遣された視察団が帰国後にまとめた報告書・『特命全権大使米欧回覧実記』では、巻頭に「観光」と大きく書かれているとか。

時代は下って、

外務省は30日、岸田首相の長男で政務担当秘書官を務める翔太郎氏(32)が首相の外遊時に公用車で観光地を巡ったと報じられたことについて、「個人の観光動機による行動は一切ない」と説明した。立憲民主党の質問状に文書で回答した。文書では、翔太郎氏が今月、首相の欧州・北米外遊に同行した際の行動として、〈1〉国際機関などへの訪問〈2〉対外発信用の街の風景などの撮影〈3〉政治家としての首相の土産などの購入――以外はなかったとした。

読売新聞オンライン

今では、公用車で観光をして来たといえば批判の的。

価値が暴落した「観光」ですが、それを活かして地域経済を活性化すると・・・衰退した地域に「光」があるのか?と漢文教養人には呆れられそうですが、言葉の使われ方は時代と共に変わるので、学びと全然関係のない庶民の気分転換でも「観光」に含まれてしまいました。その結果、現宰相の御子息にして(可能性としては一応)将来の内閣総理大臣候補の「観光」行動は、不心得な出来の悪い息子の遊興の扱い。

孔子先生はお嘆きのことでしょう。

物見遊山と観光の境界が消滅した今、観光振興とは物見遊山の奨励。政策でやるような課題なのか疑問がありますが、「観光」の出自が賢げなので、政治家や官僚に重宝されています。物見遊山政策では知的とは言い難い。

居住地から離れて多様な消費行動をする機会を増やしましょう!というのが、今日的「観光」振興であるとなれば、経済政策の領域ですが、「地域」と言う舞台づくりが大仕事で、カネが掛かり、短期で回収できない事業。

そこに公共セクターの役割がある、と政治家が言い出せば、新手の公共事業予算を確保し、財源として新税を導入・・・利権誕生。

孔子先生はお嘆きのことでしょう。

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