君たちはどう生きるかを感受性豊かなボカロPが見た感想
はじめに
こんにちは。メグは空を見ると申します。ボカロPをやっている者です。
今回、宮崎駿監督最新作「君たちはどう生きるか」を見てきました。とても衝撃を受けました。エンドロールで涙しました。
これは、言語化するのが野暮である、頭ではなく魂で見る作品だと思いました。
だけど、自分が感じた感想を、他の人の考察を見る前に受け止めたままの感情を残しておきたいと思いノートを書きます。
ネタバレが難しい映画ですがぜひまっさらな状態で見てほしいので映画を見た人が読むのをおすすめします。
「母性の渇望」
この作品の物語を進める推進力の一つは主人公マヒトの「母性の渇望」です。
母を亡くし、新しい母を迎える。主人公はとても礼儀正しく大人びています。あまり言葉を話しません。それでも、夢の中で母からの「助けて」という言葉を聞き涙します。
母親の喪失ほど男の子にとって悲しいものはないのではないでしょうか。
この作品に出てくる女性は若い人も年老いた人もとても優しいです。婆さま達は「坊っちゃん」のことをとても大切にしてくれます。新しい母親ももちろん。その優しさに何も言わずとも本当は喜んでいることは、婆さん達の名前をちゃんと覚えていることや、最終的には「ナツコお母さん」と呼んだことから伝わります。それでも、実の母親との別れから立ち直るのはそう簡単ではありません。
「母性の喪失」からどう立ち直るか、主題はそこだと思いました。ヒミのことをいつ「母親」だと気付いたか
これはもう最初に出会った時から気づいてたと思います。建物の向こうの世界(便宜上裏世界と呼びます)は、半分夢の中のような世界です。夢の中では違う自分になっても、他の人が別の姿をしていてもわかります。なんせ夢の中ですから。キリコさんのことを名乗る前からわかっていたことからもわかります。視聴者も、マヒトの夢の中の母親の炎にまみれた姿と炎を操るヒミの姿が似ていることから直感でなんとなくわかってしまいます。
最後のヒミとの別れで、「このまま元の世界に帰ると病院で燃えて死んでしまう(だから行かないで)」とマヒトはいいます。ですが、ヒミは、「あなたみたいな素敵な子を産めるのなら素晴らしいじゃない!燃える病院なんてかっこいい」と言って、意に介しません。母親にとっては、自分の息子が何よりも1番大事なのです。その息子の立派な姿を見ることが出来ればそれでいいのです。ヒロインが母親そのものなのはこれが初めてですが、宮崎駿作品ではハウルなども実質ハウルの母親のような役目をする少女であり老女が主人公です。裏世界はなんだったのか。
先ほども述べましたが夢の中の世界とほぼ同じです。夢の中だから、急に場面転換するのは当たり前だし、行動原理にいちいち論理などありません。「自然とそうなる」のです。
どうもあらゆる世界の元となる世界のようです。そういう意味ではプラトンのイデア界のようなものだと思います。
だから、現実世界と関連があるのです。夢であり平行世界なのですから。
ここまで書いたら気付いたのですが、ユングの「集合的無意識」そのものな気がしてきました。だからマヒト個人の夢世界なのではなく、あらゆる存在にとっての無意識であり夢世界なのです。
今までの宮崎駿作品のシーンを思い出させるようなシーンもところどころあります。宮崎駿はこの裏世界で見たものを掬って映画を作っていたのでしょう。アオサギの存在
一番異質な存在はアオサギだと思います。こいつだけ現実世界と裏世界の橋渡しをしています。中身はおっさんでした。
こいつはマヒトにとってはいけすかないやつです。何を考えてるかわからない。姿も奇妙だ。言っていることもなんかよくわからないが癪に障る。
ヘーゲルの弁証法におけるテーゼに対するアンチテーゼのような。天使と悪魔のうちの悪魔のような。マヒトにとっては、乗り越えなければいけない真っ向からぶつかる相手です。ですが、最終的に友達になる→課題を乗り越えて新たなステージに立てた、ということだと思います。世界の管理者、おおおじさま
おおおじさまはマヒトに世界の管理を任せようとします。マヒトは物事の善悪がわかります。だからこそ、世界を積み上げてほしかった。
マヒトは、元の世界にナツコを連れ戻す、そこを一貫して行動しています。
「この傷は自分で付けました。悪意の証です。」
自分では力不足であることもわかっていたのだと思います。わらわら達
わらわら達はとてもかわいいですね。赤ちゃんの元となる存在です。新しいジブリのマスコットになりそうです。おそらく、戦争で子どもが減ったことと、裏世界でペリカン達に食われたことはリンクしていると思います。どっちが先かという話ではない。どっちも先であり後であります。裏世界と、現実世界では時の流れが違います。君たちはどう生きるかというタイトル
「悪意に満ちた世界で暮らしていくのか?」おおおじさまが言いました。どんなに悪意があっても、どんなに残忍でも、僕たちが住んでいるのは現実世界です。この中でどう生きるのか。
自分ごとになってしまいますが、自分は愛を大切にしたいと思いました。家族を、自分を、周りを、大切に、愛したい。世界は愛に満ちている。気付いてないだけだ。そこに自分の愛も加えたい
正直、見る人にとっては「よくわからない」となる作品だと思います。ですが、よくわかることがそんなに大事なことなんでしょうか。そんなに何もかも説明が必要なのでしょうか。ストーリーも行き当たりばったり、場面の繋ぎも適当。だけど、それも計算のうちだと思います。ユングの集合的無意識であったり、そういった哲学的背景を考えれば、それは必然なのです。
「世界はあるがままにある」のです。
世の中理由がないことの方が多いです。
ストーリーは行き当たりばったりなのに、伏線は巧妙に張り巡らされています。そこからもわざとそうしているのがわかります。
自分も、この作品を完全に理解したとは程遠いと思います。だけど、数%でも、宮崎駿さんが伝えたかったことは伝わってきた気がしました。合ってるかどうかはわかりません。それでもすごいエネルギーのものを見た。
とにかくそれに尽きます。
以上です。