Non-human
午前5時30分、そろそろ例のヤツがやってくる。
「マコトー、どこにいるのー?」
ほら来た。
ベッドから起き上がり、そっとドアを開けると髪がくしゃくしゃのプリヤがいた。
この微笑みに騙されてはいけない。
「おはようプリヤ。今日はどうしたの?」
プリヤは僕の問いかけを無視してするりと部屋に入り込んだ。
昨日に持ち込んだカーペットの上のレゴブロックには見向きもせず、そのまま低い台に置いてあるラップトップの前の床に座り、つながれたパームをいじり始めた。
「ゲームしたいなら、プレステがあるよ」
「No!」
パソコンの前から動きそうにないプリヤの斜め後ろに座って、昨夜から読み始めた論文に目を通すことにした。
しばらく静かにしていると思ってプリヤを見ると、パームをもったまま腕をぶんぶんと上下に振って、からだを大きく揺らしている。
「マコト! 音が出ないよ!!」
「振っても音はでないよ。ほら、それを持っていてあげるから、こっちに来てPuffy観ようよ」
やんわりとテレビの前のクッションに誘導しようとする。どうか、ケーブルが引きちぎられませんように。
「だって、昨日は出てたじゃない!」
「あれはアラームだよ。目覚まし時計と同じなの。ほら、ここを見てごらん」
小さな手からそうっとパームを受け取り、設定の画面を見せて何とか納得してもらおうとした。
「おはよう、またモンスターが暴れてるのかな?」
騒ぎを聞きつけた母親のベスが顔を見せた。
「違うもん、わたし、モンスターじゃない!!」
ナッシュビルに着いてすでに2週間が過ぎた。いまだに僕の住むアパートは決まっていない。ヴィネ一家に居候しながら、ときどきプリヤのシッターになっていた。
ホテルに滞在する1週間のあいだに、ここで生活する準備はすっかり整うと思っていたのが甘かった。
「キミは、non-humanだからね」
ナッシュビルに到着した翌朝、ホテルまで迎えに来てくれたヴィネに車の中でこう言われた。
「それ、どういうこと?」
「まず、social security numberを取らないとだめだ。でなきゃ銀行口座も開けないし、運転免許もとれない。つまり人間扱いされないってこと。アパートどころじゃないな」
「でも、わたしには日本の銀行のクレジットカードと、国際免許があるのよ。それじゃだめなの?」
ヴィネはちらりと僕を見て、言葉を続けた。
「クレジットカードはともかく、ずっと国際免許で乗ってる人なんて聞いたことがないよ。いずれにせよ、早く動いたほうがいい。今日、挨拶のあとにsocial security の手続きをするオフィスに連れていくよ。どんなに早くても2週間くらいはかかると思うから」
「困ったな、ホテルは1週間しか取っていないよ。延長できるかな」
「それもあとで確認しよう。さあ、着いた。ここからはバスに乗るんだ」
大学の駐車場に車を停めたあと、キャンパスを巡回する大きなシャトルバスに乗りこんでラボが入っている建物に向かった。
バスはそのあとも数か所の停留所で止まってはのんびりと乗客を乗せ、ゆっくり進んでいった。大学というより、街の中を観光バスで移動しているみたいだった。
次第に自分の周りの空間が拡張し、時間の進み方が緩慢に感じられてきた。隣に座ったヴィネの喋る声が遠くで聴こえるような気がする。
すでに昨日までとは違う世界に、僕はいた。