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有言実行と不言実行 効果があるのは?

【今年の目標は有言実行なんです】

と、先輩が言っていたので効果があるのか調べてみます。
有言実行は、自分が言った手前、「あいつ口だけじゃん」にならないように
外堀を埋めてから、逃げ道をなくしてやるべきことをすることですね。
本当にそれは有効手段なのでしょうか。

【脳の働き】

以前記事にしたバイアスやヒューリスティックは、先入観や偏見で物の捉え方が隔たった捉え方をしてしまう傾向になります。なぜそのように隔たってしまうのかというと、いくつか例があります。

確証バイアスは、自分にとって都合のいい情報だけ集めてしまう。例えば、この予防接種は体に良くない成分があるから絶対だめだ。と思い込むと検索したり交友関係もそうした思考の人とつながりを持とうとしてしまうため、「世の中のほとんどは、この予防接種はダメだと認識している。やっぱりそうだよね」と不都合な情報はシャットアウトします。実際はそんなことありません。

人が得られる情報量は大量にあるため、脳だけでは処理しきれない点にあります。

ミュラーリヤー錯視

矢はねの向きを変えると長さが変わったように見えるが長さは同じです。

盲点にはいると情報がなくなってしまうものです。右目で+を見続けて、
画像を顔に近づけさせると、●が消えてしまいます。
赤い点にずっと焦点を合わせると、青環が不要な情報と処理されてしまい見えなくなります。

このように、目から入る情報は大量のため、脳内で今までの経験から脳が勝手に情報処理してしまうことで錯覚が起きてしまいます。そのため、今見えている世界がそのまま脳に反映されているかというと、そうではありあせん。
多量にあるものをすべて見ようとすると判断が鈍ります。そのため簡単な情報処理をし、スピーディーに理解することが有効と働いたためです。

ジャムの(決定の回避)法則でも言われるように、選択肢が多ければ多いほど脳は、面倒くさくなり選ぶのをやめてしまいます。逆に選択肢が少ない方が選び取ります。


ゲシュタルト心理学

ゲシュタルト心理学は、心理学実験室は創設されて心の要素を分解して突き止めようとしたものに対して、要素分解しても元に戻せないと意味がないので、いくつもの要素がそこにある全体性を見て解明しようとする理論です。
簡単にいうと、オーケストのように一つの楽器だけではできない、複数の楽器が重なりあい全体で見ないと良さってわからないよねってことです。

仮現運動
 踏切の信号機を夜に見ると、光が移動したように見える。パラパラ漫画を
 さします。先に刺激を示した方が後に示した刺激の方に動いて見えます
 が、二つの例は動いているわけではありません。
自動運動
 火の玉現象。暗い中で1点の光を見ると揺れ動いて見える。
誘導運動
 自分が乗っている電車の窓から隣の電車が動くのを見ると、
 自分の電車が動いていると思ってしまう。
ルビンの壺
 人が向かい合っているように見えたり、壺が見えたりする。
 老婆と若女みえたりする。
 一つの絵から、見方を変えるとどちらのようにも見えるだまし絵。
月の錯覚
 真上にある月よりも、水平線地平線近くにある月の方が大きく見える現象
 ポンゾ錯視
ゲシュタルト崩壊
 全体性が崩壊して、物そのものがその形を保てなくなる現象。
お前は誰だ
 ナチドイツが洗脳の一環として、捕虜自身が鏡に映る自分に向かて
 「お前は誰だ」と言い続けるとゲシュタルト崩壊する。
 実験したようつべに動画ありますが、完全に酸欠なだけです。
   これは私が動画を見ての完全に主観です↑

その他
感情の2要因理論
 吊り橋効果と言われるもので、カナダの大学で実際に行われた実験で
 吊り橋という恐怖でドキドキが高鳴ると、男女でいる場合、恋愛している
 時のように胸が高鳴ること。単なる誤作動です。
  ただしこの実験はイケメンに限ります
偽記憶
 前回の記事でフロイトやユングの功績に触れましたが、一部ではただ単に
 成功事例だけを取り上げているだけにすぎず、失敗したことの方が大多数
 であり、中には訴えられたものも数知れずと言われることもあります。
 例えば、過去のトラウマを探る際に、「迷子になったことが…」というと
 実際に信じてしまうことがあり、だが両親に確認するとそんな事実はなか
 ったとわかる。そのため、確かな証明としてフロイトユングが行ってきた
 患者との関わりが患者自身が本当の記憶とは限らないというものです。

 エリザベスロフタスは、実際に起こっていない出来事を起こったこととし
 て思い出してしまうことがある。誘導次第では迷子になったことを詳細に
 言えてしまうと研究されています。


【脳の誤作動】

このように、脳は誤作動していることとが多いです。脳は、膨大な量を知覚することが困難で、目で見た映像は、脳の中で補完しているという風に言われています。そのため、脳はそれが現実に起きていることなのか幻覚妄想想像なのかとはっきりと認識することが難しいのです。

つまり、夢や目標を語ることで、脳は現実にあることと誤認識してしまう恐れがあるため、脳は言ったことは行動にして「いる」と認識し、過去形になり達成したかのように振舞ってしまうのです。
不言実行は、言葉に出していない分「足りない部分」を補完しているため、どの行動手順プロセスを認識し行動にしています。

有言実行の場合でも、言葉にしてもそのプロセスを入れることで、したことしていないことの差異を脳に投げ込むことが必要になってきます。

不言実行の方が有効的と言えると思います。



現実に起きていることが、自分にとっての不都合の場合は、
メタ認知して、心に向かって「おいお前、ちょっと違うぞ。お前の現実はこうなんだろ(想像を投げつける)」ことで脳を書き換えてみませんか?
あえて脳に投げ捨てると実はうまくいくかもしれません。

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