関ヶ原古戦場巡り(西軍編)
11月末にお父さんと関ヶ原古戦場巡りをしてきました。西軍、東軍、反応軍、傍観軍で紹介できたらと思います。
私が以前行った時の写真も入っています。
(西軍編)
家族では、小学校の頃に関ヶ原近くまでは来たけれど、関ヶ原鍾乳洞や伊吹山登山だけして帰っています。(いつも登山ばかりしてたので💦)
私は名古屋に来てからは関ヶ原周辺の山城も含め陣所を隅々回っていて
(案内板も豊富やし、岐阜関ヶ原古戦場記念館もめっちゃたのしいから行こ💗)っていう話を前からしていました。
私も歴史好きですが、お父さんも好きな時代などは違えど、かなり歴史好きです。
私はいつもは走って巡ってますが、今回は楽チン、車で回りました。たいていの陣所には車を停める場所があり苦労はしません。
散策する前に、岐阜関ヶ原古戦場記念館で予習してから行くのが、ベストなんだと思うのですが、
(二人とも流れはたいてい頭に入ってるやろ💪先に巡りたいやんな)
という妙な自信を抱き、散策した後の夕方に、記念館を予約しました。
後から記念館へ行くのも、答え合わせや疑問が解決することもあり、良かったです。
記念館は映像シアターなどを観たければ前日までに予約した方がベターです。
記念館館長は小和田哲男先生(私、大好きで😍)なので、展示物もレアなものが展示してある機会も多く、お土産も買えるし、食事する所もあります☺️
逆に散策中は食事できる店もなかなかないし、お弁当や水筒は持参が良いと思います。
関ヶ原史跡巡りは、関ヶ原駅か垂井駅前の観光案内所で、マップをもらうのが良いです。
古戦場記念館ではマップはもちろん、推し?の武将のマップなども入手できます。
ちなみに関ヶ原古戦場巡りをしながら、壬申の乱史跡巡りもできます。こちらも不破関資料館に入ると、壬申の乱について詳しく学べます。
⚫︎西軍首塚↓
竹中重門が家康に命じられ埋葬、造営したもの。
⚫︎大谷吉継陣跡↓
中山道を見下ろし松尾山を正面に臨む、山中(やまなか)に布陣。小早川秀秋ら反応軍に三方から攻められ壊滅と言われています。
最近では、大谷軍は早々に本陣を離れ、関ヶ原の西端で東軍と衝突しているともされています。
関の藤川に架かる橋を利用した作戦を実行していたとも。
しかし、こうした状況の中、小早川軍らに背後を突かれたとも言われています。
九月はじめに布陣して、横堀なども残っている本陣を離れててのこの行動。突破口を開こうとしていたのでしょうか?大将首を狙ってたのか。
大谷吉継墓
吉継は家臣、湯浅五郎に自分の首を隠すように命じ自刃。藤堂高虎の甥の高刑に見つかった五郎は自らの首と引き換えに秘匿を懇願します。藤堂家は家康の再三の詰問にも口を割らなかったそう。吉継のお墓は藤堂家に建てられたそうです。湯浅五郎のお墓も並びます。
⚫︎北天満山、小西行長陣跡
キリシタン大名として知られた小西行長の陣跡。開戦地のすぐ横。
敗戦後、捕らえられ、石田三成、安国寺恵瓊と共に斬首されます。
⚫︎南天満山宇喜多秀家陣跡
西軍主力部隊宇喜多秀家陣跡。神聖な雰囲気がありますが、野生児な私はこの辺り獣臭をガンガンに感じます。コレ、クマいるで。
⚫︎島津義弘陣所
開戦後、自ら攻撃することもなく、三成の説得にも応じませんでした。
西軍が総崩れとなると家康本陣を敵中突破し、薩摩へ帰還しました。
⚫︎石田三成陣所
関ヶ原の地を一望でき、北国街道も抑えられる山頂に布陣。麓に陣を敷いた島左近らが奮戦しますが、反応軍の寝返りを機に次々に西軍は敗走します。三成も伊吹山へ逃亡しますが、捕らえられます。
⚫︎島左近陣所
押し寄せる西軍を食い止めようと奮戦。黒田隊の鉄砲に沈みます。
三成陣所には武将隊みたいな小早川秀秋くんがおられ、座っておられました。
こういう時は質問しちゃうのが私で、
(ブラタモリに出てきた、島左近を狙撃した黒田隊の通った、関ヶ原断層ってどこですか?)って聞きましたが、丁寧に教えてくださりました☺️ありがとう秀秋くん!
お父さんは、私に
(おい、そんなマニアックなこと聞くなよー)とかいいながら、自分も色々質問してました💦
すみません、まだまだ続きます。