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一乗谷朝倉氏遺跡へ行ってきました(中編)
先週初め、夜から寒波が来るって言われてるのに、弾丸で行ってきました。
遺構はほとんど雪で覆われていて、はっきり見ることができずですし、整備外に足を踏み入れると膝以上までフカフカの雪があり、山上の詰城はもちろん登れませんでした。また夏に行くことになるでしょう😅
けれど、博物館や遺構をめぐって(朝倉氏の栄華と終焉)を感じることはできました。
中編です。
前編はこちら↓
https://note.com/good5_/n/n54609327299f?sub_rt=share_b
朝倉館内部から。
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朝倉館は一乗谷の中央部に位置する朝倉氏代々の居館です。
建物跡が平面表示されていますが、雪で覆われていて、よくわかりません😅最古の花壇もわかりません😅
義景公の墓所にしばし手を合わせます。
雪がフカフカだけど、行けそうなところにとりあえず行きます!
湯殿跡庭園↓
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朝倉館南東部の高台に造られた一乗谷最古の庭園で、観音山を背景とし荒々しく勇壮な石組みが特徴だそうです。うん、たぶん勇壮だ!
中の御殿↓
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義景の母・光徳院の御殿跡。
彼女も義景亡き後捕らえられ、遺児愛王丸と共に殺害されたとされます。
諏訪館跡庭園↓
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諏訪館は五代当主・義景の側室・小少将の館と伝わり、上下二段で構成される一乗谷で最も規模が大きく壮麗な庭園です。
小少将は傾国の美女だったみたいで、義景亡き後、義景母・光徳院と共に殺害されたとも、岐阜のお寺で遺児を産んだとも。
下段の滝石組に用いられている(諏訪の立石)と呼ばれる高さ4mを超える巨石には、江戸期以降に朝倉氏供養のため三代当主・貞景、四代当主・孝景の法名が彫られています。近づけないけど〜😅
雪だけど、初代・孝景の墓所・英林塚くらいは登れるでしょう!と思っていたけれど、フカフカで足跡もなく、とても登れそうになく、断念。
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諏訪館の西麓、一乗谷川沿いの土塁をめぐらせた地区・米津からは発掘調査により刀装具やガラス製品の工房跡が確認されています。
ガラス工房があるなんて、びっくりしました。博物館内にもガラス玉の展示があります。
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上城戸↓
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上城戸は、館の南約600mの谷幅がもっとも狭まった場所に築かれています。土塁と堀からなります。
この跡、復元街並み、博物館へ行きます。ますます吹雪いてきて、目に雪が入ってきます〜
ここで、2年前に一乗谷朝倉氏遺跡博物館へ行ったお友達からのお土産のブックカバーをお見せします。
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ちょうど特別展で(朝倉義景の一生)が開催されていたそうで、彼にまつわる人物が(最後の晩餐)風に描かれています。
気に入ってずっと使ってます☺️
ユダポジションはもちろん、朝倉景鏡ですね。他の人々はお分かりになるでしょうか?
答えはついていなくて、右から三番目の女性がわたしはイマイチよくわかりませんが、あとはたぶん‥の答えですけど、後編で紹介しますので、よかったら予想してくださいね☺️