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愛知県松平郷、大給城に行ってきました(松平郷編)

日曜日はお父さんと松平郷(松平城)、大給城、細川城(なぜかリクエストされた)に行ってきました。秋の空気に入れ替わって清々しかったです。
大給城や松平城(松平郷)は2年前くらいに回ってますが、誰かと回るのはやっぱり楽しいですね。
それにアクセスがクルマなのはいいですね(わたしはペーパードライバー💦)

まずは松平郷へ。
徳川家康の祖先は豊田市の松平郷から勢力を拡大させていきました。
家康の8代前、初代親氏は時宗の僧として諸国を行脚、松平郷へやってきたとされます。

体格も良くイケメンすぎる初代親氏公

※近年では永享の乱で公方側として戦っていた上野国新田郡の国衆・得川有親が上杉により領土を奪われ浪人の身となり嫡男・親氏ら一族とともに縁戚の賀茂氏が住む三河国松平郷に逃れた、という説も唱えられています。

ここで松平郷の領主・松平信重は 教養と武芸に優れている親氏を高く評価し、娘と結婚させる事を決め松平太郎左衛門家の婿となりました。松平郷では井戸端で恋に落ちた❤️なんてことになっていて、ちょっとした縁結びスポットでもあるみたいでした。

松平東照宮から高月院までは室町塀の道が続きます。

親氏の孫・松平信光の代で松平家は大きく躍進します。
信光は伊勢氏の被官として三河国で起こった土一揆を鎮圧、この功績で西三河に多くの知行を得た信光は、異母兄弟の松平信広に松平郷を託し、自らの子を竹谷・形原・長沢・大草・能見など 次々に分家させていき、松平一族で西三河一帯を支配する豪族へと成長させました。
松平城の後に行った大給城の大給松平は信光の子親忠の長男、乗元が始祖です。
天正期には松平郷松平は大給松平の与力となっていますが、関ヶ原合戦等での活躍もあって1613年松平郷を再び領して、現在松平東照宮となっている場所に陣屋、居館を築き、幕末まで続きます。

水堀、石垣が残る松平館や陣屋跡に建つ、松平東照宮。
天井絵が綺麗だから、女性もたくさん来てます❤️

さて、親氏が松平郷中に築いたお城が松平城。
シンプルな室町期のお城なんですが、主郭に巨石群があって、往時は詰城とか砦に使われてたかもしれないですが、お城というよりスピリチュアルなスポット的な感じがします。
多少は後世に改修されてそうな横堀や竪堀もあります。

主郭に建つ城趾碑。主郭は巨石だらけです。


Ⅳ郭。先端にはっきり櫓台跡。


お城の後に松平東照宮、資料館、親氏銅像のある松平郷園地、松平郷松平菩提所の高月院にいきました。

信光、家康公に使った産湯の井戸。竹筒に入れて、岡崎などに走って持って行ったとか(間に合うんかーい!)


高月院。家光寄進の山門があるそうなんですが、奥の古い方かなあ💦

一人で行くとアレコレ妄想することが多い私ですが、この日はお父さんの想像につきあわされている気もしましたが‥。
(大給城編に続きます)


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