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滋賀県の黒川氏城、土山城などに行ってきました(日野城編)

週中に滋賀県のお城、黒川氏城、土山城、日野城などに行ってきました。
日野城編です。

日野城は蒲生賢秀・氏郷親子が生まれ育ったお城。城趾碑の前に産湯の井戸もあります。

産湯の井戸


るろうに剣心のロケ地になっていて、剣心が横走?した石垣があります。

剣心が横走りした石垣。江戸時代のものだそうです。主郭東側の高土塁


蒲生氏は古くからの東近江の名族で、鎌倉から室町期は近江守護の重臣を努めていました。
氏郷の曾祖父◦蒲生貞秀は音羽城を築城して本拠としていました。
(ホントは土山城、黒川氏城のあと、音羽城へ行って帰ろうと思ってたのですが、ヒルにたくさんかじられたので最後の山城は回避しちゃいました😅)
貞秀は嫡子の秀行を将軍奉公人、二男・高郷を守護の六角氏への奉公に命じていました。
 しかし幕府と六角氏が明応の政変で争い、蒲生兄弟は巻き込まれて争う事になってしまいます。結局、高郷の子の定秀が蒲生氏の家督を継承・日野城を築城し、定秀、賢秀、氏郷と受け継がれました。

城趾の標柱。高土塁の上は稲荷社と涼橋神社


(本能寺の変)の直後には、賢秀・氏郷親子は信長の家族をこの城に保護し、対決姿勢を見せました。
ちなみに氏郷の奥さんは信長の娘の冬姫です。

氏郷公と冬姫の案内板


1584年、秀吉の配下で活躍した氏郷は、加増され伊勢松ヶ島12万石が与えられました。

日野は羽柴秀次領、次いで長束正家領となり、関ヶ原の戦いで長束正家が改易されると廃城になりましたが、1620年大坂の陣で戦功の有った市橋長政が近郷で2万石を与えられました。長政は日野城跡の北東に陣屋を構えて、市橋氏支配は明治まで続きました。

市橋家邸跡


藩庁跡


日野城の城域はかなり開発されてしまって、主郭部分も一部うなぎ屋さんになっています。また、日野川ダムが造られて南側の遺構が消失しているようです。

水堀、空堀がのこります。


かなり高さのある土塁です

けど、本丸北側の土塁や物見の櫓台、北側の空堀(一部水堀)と土橋ものこっています。往時の堅城の面影を垣間見る事が出来ます。

日野川ダムの散策ルートマップがあったので散策してみました。

日野川ダム越しの日野城


放水してるみたいでした。


お天気雨☔️になってきた😅



蒲生氏郷は奥州会津の領地から九州征伐に向かう際、途中の中山道・武佐宿から故郷の綿向山を臨んで歌を詠んだそうです。
(思いきや 人のゆくえぞ 定めなき わが古さとを よそに見んとは)
ふるさとが恋しい気持ちが感じられます‥‥。
そして40歳で早世されてます。

日野周辺をほとんど散策できなかったし、行きそびれた山城もあるので、またの機会に行こうと思います。

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