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福知山城に行ってきました。

関西での用事の帰りに福知山城、猪崎城などに行ってきました。緑の山々に囲まれた丘の上の天守の佇まいが素敵でした。

ほんとかどうかよく分かりませんが、母方が福知山城主家臣だったとかいうのを聞いたことがあり、
親戚に
(福知山城に行ったら、〇〇に寄っておいでよ〜)などと言われたことがありましたが、実家からも少し遠く、なかなか行けずにいました。


アシンメトリーさがステキな福知山城復興天守

福知山城‥(麒麟が来る)ですっかり爽やか&ステキイメージになった明智光秀さんが丹波攻めの末築城し、善政を敷いたお城としてよく知られています。

明智薮(治水事業)に守られた城下。


ですけど、明智光秀(城代は明智秀満)時代はたったの三年で、羽柴秀長などの豊臣系の城主の後、有馬氏などが入り、朽木氏が13代200年に渡り福知山藩主を務めました。

福知山城といえば宝篋印塔やお墓の石など、転用石の石垣で有名ですが、想像していたよりもずっと転用石が多くて正直、驚きました🫢
(いや〜これはちょっと‥節操ないんちゃうかなあ)

すごい数の転用石

周りの山城(黒井城とか竹田城とか)も石垣造りだったり、石に不足する地域ではなさそうだと想像すると、超急ピッチでかき集めて(天守のある信長の城っぽい城)を築城する必要があったんでしょうか。
比叡山焼き討ちなどを実行したのにも関わらず、不思議と信心深いイメージがある明智光秀さんですが、この転用石の多用っぷりには
(やっぱり神をも恐れぬ信長さんの家臣)イメージが湧きました。こういう石の使い方がバチ当たりじゃない説もあるみたいですけど。

本丸に移築現存している銅門番所。

そんな感じで付近の寺社やお墓の石をかき集めているのに、短い統治期間の間に治水事業や、地子銭の免除などの善政を敷いたとして慕われているので、光秀さん、ある意味すごいなあ、と思ってしまいますけどね。
本能寺の変まで、あと少しというタイミングなので
(この築城に借りた石材、必ず返しますからね!)って約束していたら破ってしまっただろうな💦あかんやん〜💦

模擬櫓門から見下ろす城下がステキです。

それから、天守がめちゃくちゃアシンメトリーで、私は好きな感じでした👍大天守に渡櫓、小天守がついていますが、東西の張り出しの大きさが違って、とても複雑な感じがします。天守台の形だけ見ていてもすごく個性的です。

東西南北にアシンメトリーな天守です。


けれど、最近になって天守の古写真が出てきて、復興したものと近いと言われているそうです。

光秀の治水事業の明智薮、光秀さんが福知山城を築くまでこの辺りの拠点的なお城だった福知山城北東の猪崎城を回ってきました。

横堀がくっきり、な猪崎城。


小さな山城で公園化されていますが、よく整備されています。やるなぁ福知山市さん、って思いました。
城下は案内板も多く、全部は回れませんでしたが、移築門もよく残されてます。

福知山城移築門(明覚寺山門)


福知山城移築門(法鷲寺山門)


福知山城移築門(正眼寺山門)


光秀公を祭神として祀る神社の御霊神社。

遠方ですが、丹波の山城も少しずつ行ってみたいなあ。
それにしても明智光秀さんはやっぱりミステリアスだなあ、と思ってしまいました。

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