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遠州森町の山城に行ってきました。

遠州の小京都、遠州森町周辺のお城巡りに行ってきました。山城がたくさんあり、気になっていたエリアです。
今川家臣のお城だったけれど、桶狭間合戦での義元死後は徳川、武田の争奪の場となり、両者に改修されたりしていて、面白味があります💗

(遠州の小京都)とか、はじめに言わせてもらいましたが、行こうと思い、調べるまではは知りませんでした(スミマセン〜😅
小京都、といえば、萩、角館、西尾、出石とかは浮かぶんですけど😅
(他にもあるんだなあ)と調べたら、(全国京都会議)みたいなのがあって、全国に小京都と称する街がたくさんあるみたいですね〜😳
どうやら地形や歴史、文化などの京都との関連、共通点を挙げて、登録?しているようでした。
森町も、遠州一ノ宮があり、交通の要衝で古くから栄えていて寺社も多く、地形が盆地であることから遠州の小京都と言われているそうです。
それから、こちらも詳しくないのですが、森の石松の(森)も、この森町だそうです🌳

掛川から天竜浜名湖鉄道に揺られて、のんびり気分。掛川〜天竜二俣間に乗るのははじめてでした☺️
天竜浜名湖鉄道の遠州森駅で降ります!

レトロな遠州森駅。


レトロな駅舎がかわいいし、駅員さんに、マップをもらうと、すごく丁寧に行きたい場所の説明をしてくださりました!
(困ったら、一人でどんどん行かないで、周りの人に聞くんだよ)とまで、いつも道のない山中をウロウロしてる私に言ってくださる。
(ありがとう!でも山猿なんです。スミマセン🙇‍♀️

まず一番山奥の三倉城から。

山麓の許禰󠄀神社。居館跡でした。


三倉城主は今川義元死後は徳川方につきます。
家康が武田方犬居城攻めの際、大雨による川の増水・食料の欠乏等で撤退を始めた際に奇襲を受け、ほうほうの体で三倉まで来て三倉氏に匿われ、そこから後述の天方城まで逃げ延びて九死に一生を得たとされます。

許禰󠄀神社本殿。家康ゆかりの地の幟もあります。


三倉の集落には家康から感状をもらったなどの伝承があって、家康ゆかりの地の幟も立っています。

三倉城、城域までは未整備で、道がなく軍手で直登です。かなり急登😅
敵の侵入を限定させるための竪堀が何本も落ちていて、それを利用してわたしも登りますが、何本もある上に幾つかは袋小路になるという恐ろしい竪堀。

竪堀群のあいだを登る。上から見た所。


それでも城域に入ると遺構はよく残っています。
小さいお城なのに虎口、うねる土橋、堀切。更に登ると詰めの城。面白いです。

松ぼっくりだらけの城域。松ぼっくり踏むの大好きです。
左は主郭の切岸。


うねる土橋。かっこいいです。


堀切と虎口。なかなか技巧的です。

次は天方新城へ行きます。付近には天方古城、本城もあるけれど、新城は比高が200メートルもあり、時間かかっちゃいました。他は次回リベンジします。支城ネットワークでエリアを強固にしていたんでしょうね。

延々とお茶畑の農道を登ります。農道や林道は嫌いだな。

今川家臣だった天方氏は反骨心のある武将さんなのか、今川義元死後も徳川に従わず抵抗の末落城で軍門に降ります。その後も武田の調略を受けるも抵抗し落城しています。
今の姿は徳川による改修の上に武田の改修も施され、見どころが多いです。

主郭の横堀。すごく土塁が高いし、横矢がかかっていて折れ折れです。


本曲輪南東には櫓もあります。浜松方面が一望できて、素晴らしい👍


櫓の南東面はこんなに気合いが入ってる!


二ノ丸周りにも横堀がある!
ここも松ぼっくりだらけ。

山城は大好きですが、遠州森町の小京都な部分も味わって帰りたかったのに、行った山城は奥地だったり比高があって、小京都感のある所へ全く行けず、タダの山猿な一日となりました。
駅員さんがお勧めしてくれた、遠州一ノ宮や、森の石松ゆかりのお寺、城下町、食べたい和菓子もあるし、行きそびれた山城もまだまだあり、また再訪したいと思います☺️

掛川駅、なんで忍たま乱太郎なのかなー?

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