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三重県の西坂部城に寄ってきました。

週末、おばあちゃんの畑を手伝い、ダラダラおしゃべりした後、三重県の西坂部城に寄ってきました。
西坂部城は鎌倉時代に(三日平氏の乱)で蜂起した萩原小太郎(平氏残党か)のお城とのことです。
三日平氏の乱(鎌倉時代)は1204年に三重県の伊賀・伊勢を中心に起こった、伊勢平氏最後の反乱です。

(日本人って三日坊主とか、三日天下とか三日が好きなんかな〜?きっと乱は三日じゃないんやろうね)と思いきや、乱を鎮圧した平賀朝雅(北条時政の娘婿ですね)の報告によればマジで三日で鎮圧したとのことでした💦

乱は三重県の広域にわたり、関所も制圧されていたそうなので(やー、三日は盛ってるでしょ〜😅)と思えます。
また、その後の朝雅の異例の出世から乱自体が自作自演という説があるのもなんとなく頷ける気もします。

本丸に立ってみると、高い独立丘陵で、伊勢湾の眺望がとてもよいです。


とても見晴らしが良いです。コンビナートとかの夜景もキレイかな。

自作自演説は一旦置いておいて、こんな場所に城を築くなんて、頼朝死後はやっぱり多少混乱していて、この地域の平家残党さんもある程度勢力があったんだろうな、と思ってしまいました。

公園化していますが、本丸、二ノ丸、三ノ丸、北ノ丸があります。
その後も城として使われたともされるし、鎌倉時代のものではないかもしれないけれど、土塁が残っています。北ノ丸下の搦手の雰囲気がなかなか良いです。

北ノ丸の切岸。結構鋭い。公園とは思えないワイルドさも残ります。

この酷暑で育ちすぎている野菜やスイカをおばあちゃんに持たされて、暑くて重い城攻めとなりました😅

小玉スイカを持って帰りたかった😅


このお城は四日市市三重のお城で、近くにヤマトタケルノミコトが足を洗った(足洗い池)というがあるとのこと。
東北を平定して、伊吹山の帰り(吾脚、三重に曲がりなして、いとど疲れたり)とおっしゃって足を洗ってクールダウンされた事が、三重県の名前の由来とされています。
わたしもそこまで脚を伸ばそうと思っていたけど、暑くて重くてパスしちゃいました😅
また今度!


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