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愛知県の日近城に行ってきました。

週中に愛知県岡崎市の日近城に行ってきました。先週に続いての奥平氏のシリーズ、日近奥平氏のお城です。

奥平氏は14世紀後半から作手に本拠地を構え、周辺に勢力の拡大を図ってきた国人領主です。
奥平貞昌(貞能のおじいちゃん)は次男貞直を日近に配して、日近奥平の初代としました。貞直ははじめは三河に勢力を得ていた今川氏についていましたが、大給松平などと共に離反して織田氏に与したことから日近合戦となりました。この時は今川方の軍をよく防ぎ戦果をあげたそうです。
しかし半年後の雨山合戦では今川軍に負け、本家作手の今川寄りの奥平貞勝により貞直は放逐させられたそうです。その後は日近城は本家の支配となったとされています。

日近城本丸。土塁囲み。

1570年、武田方の三河侵攻が活発になり降伏を迫られ、日近城主2代貞友の娘・おふう、奥平本家貞能の次男・仙千代らは人質として送られましたが、3年後、奥平氏は武田氏と手を切り家康に帰順したため、人質は鳳来寺口で斬首されました。乳母らがこれを奪って日近城の山麓にある広祥院の東奥に埋めたとされます。

おふうさん、貞子さん、仙丸のお墓。

また小牧長久手合戦前には徳川方として改修されています。

そんな感じで、日近城の縄張りは、築城当初は主郭、二の丸、三の丸を西に向って直線に配置した単純な連郭形だったようですが、今見られる形は主郭周りに腰曲輪や横堀、南の尾根を遮断する掘切、南に大手口となる桝形虎口をつくる改修がされていて、面白いです。
まあ、頑張って技巧的なお城にしても、周りにお城がないから、羽柴に挟撃されたらヤバかったとは思いますけど‥‥

広祥院に着いて、お城を攻める前にお参りしていたら、住職さんが来られ、パンフレットやマップをいただき、オススメルート解説も親切にしていただきました。一つのルートには土砂崩れがあったみたいで、助かりました(なんでも登るアホザルだけど💦)

奥平氏菩提所広祥院山門。ここの東から城山には登ります。
いただいたマップ。❌は土砂崩れ。


お城は小ぶりだけどよく考えられていて、技巧的で面白い!

主郭南、竪土塁の先端


主郭南下腰曲輪。兵が駐屯できそう。切岸面には石垣見えます。


主郭南の大堀切。綺麗なVの字


主郭北側の横堀。カッコいい。


広々して見晴らしのいい副郭


岩造りで狭い虎口。ウネウネクランクしてます。


ここに来るにあたって、日近合戦のことなどを調べたり、城趾にある案内板なども読んだけれど、とても難解です。
日近合戦、雨山合戦、滝山合戦‥‥貞勝、貞能親子は、いつも旧体制につく貞勝、新体制につく貞能、っていう形になっていて、生き残り作戦なのか、噛み合ってないのか私にはわかりませんでした💦

隠居屋敷跡。


瑞屋敷跡



ただこういった国境の国衆はしたたかに、そして時勢をよく読み、おふうさんや仙丸みたいな犠牲を出してでも生き残ったんだろうと思います‥‥

お城は長篠城風に天然の堀とも言える川に挟まれているフォーメーションで、南側の乙川沿いは(かおれ渓谷)という観光地で、夏はお水遊び、秋は紅葉と楽しめるスポットみたいでした。
平日でまだ紅葉にもなってないので誰もいないけれど、お水が綺麗。魚が泳いでいるのも見えます。九月まで営業していたという、オシャレなかき氷屋さんにも誰もいません。

めっちゃきれいです。

近くに寄る城趾も他にないので、岡崎市街地に向けてぼちぼち走り出します。行きに気になっていた、霊水を水筒に汲みに行きます。
とても山奥の湧き水なのに、車でこられてタンクにたくさん汲んでおられる人の列がありますが、私、最後尾だったのに、水筒一杯だけだからか、先に入れさせてもらえちゃいました‥‥ありがとうございます😊
柔らかい味の水だ〜❤️

順番を譲ってくださった方々、ありがとうございます😊

次は立派なお寺だなあ、と行きに気になっていた阿弥陀寺に寄ります。(滝脇松平氏菩提所)とあります‥‥ハハ〜💦初めて聞いた松平氏だ。

山門も本堂も立派な阿弥陀寺。


またお参りしているとご住職さんがこられて、本堂にあげてもらい、タオルや来年の干支の記念品をいただいてしまう。

この日は10月末なのに気温30度で、タオルをすぐ使わせてもらいました。


道中キンモクセイの香りもほのかに香るし、なんだか、今日はステキな日だなあ〜❤️と思いながら帰りました。


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