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若き信長シリーズNo.3信秀の葬儀の場、万松寺

万松寺。信長父・信秀の葬儀が行われている最中に(ワイルドな姿で訪れた信長が抹香を投げつけた)という話がありますね。

(ザ・うつけやん、親不孝やなぁ)
と思われる行動ですが、後の父譲りの生き方を見てると
(オヤジ、早く行きやがって、もっと生きてて欲しかったのに)
と思ってたんじゃないかな。
って私は勝手に思います。

賑やかな大須商店街に負けない煌びやかさ。

名古屋に住んで史跡散策するまで、信長パパ・信秀さんのことは、ぼんやりとしか知りませんでしたが、尾張三河をウロウロ散策するうちに
(信秀さん、すごいなぁ)
と理解してきました。
もちろん、美濃、伊勢、伊賀、近江、と散策するうちに信長さんのすごさ(や残忍さ)を否応なしに感じることになりましたが💦

織田信秀は織田一族でも知力、胆力に優れた人物たったようで、守護代の下の三奉行の一人に過ぎませんでしたが、親族の多くも味方につけていました。
例えば

・謀略 
例えば、今川義元の弟の氏豊がいた那古野城(名古屋城の二ノ丸部分)を連歌会を巧み利用して乗っ取ってしまう

・臨機応変に城を変える
勝幡城那古野城古渡城末森城

・重商主義
津島、熱田など貿易港町を支配してリッチ💰

・中央とのコンタクト
伊勢神宮や朝廷、天皇家に寄付、文化的交流

・子だくさん。
信長、お市さん、有楽斎、公式には27人、非公式には36人とも😳信長さんも28人とされるけど。

こうしてみると、パパは偉大!これは(尾張の虎)やね!
信長さんの天下リーチへの礎を、作ったのはもちろん信秀さんだし、なんとなく基本方針も同じやん💦マネしてるとは言わないけど。

さて、また万松寺です。
信秀が菩提寺として建立しました。今は大須商店街の真ん中にありますが、これは清須越しにより丸ノ内の広大な敷地から移転してきたものです。
元々の信秀の墓石はなんと、安土城の石垣として転用したそう💦

カラクリ時計はこの近くです。


織田信秀公墓碑。
熱田神宮の信長塀みたいなのに囲まれています。


名古屋城築城の際、加藤清正さんが宿泊したとか。


ここへ行くと、信秀さんの廟もあるのですが、毎日10時から2時間おきに上演されるカラクリ時計が面白いですよ。
信秀の葬儀と幸若舞の二通りがあります☺️

すぐ近くには織田信雄創建の織田信長菩提寺摠見寺があります。信長肖像画などの寺宝があり、命日にのみ公開だそうです。

摠見寺にも信長塀風の塀がありますね。

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