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愛知県の滝山城に行ってきました。

週中に愛知県岡崎市の滝山城に行ってきました。

別名亀穴城。雨が降ったらたくさん滝が現れる険しいお城。


このお城周辺で行われた(滝山合戦)は、長篠設楽原合戦の因縁のきっかけとも言える戦いです。
滝山城は作手の奥平氏の支城でした。

この当時の奥平氏の立場は(今川、織田、武田、徳川)という戦国大名が割拠する中で、生き残りの為に厳しい選択が求められ、時に武田に付いたり、時には徳川という世渡りで辛うじて家を維持してきました。この戦いの3年前に奥平貞勝は、子の貞能の弟・仙丸や妻おふう達を武田の人質に出していました。

武田信玄の死去後に奥平一族は、武田に残る一族(奥平貞勝・常勝・貞包など)と武田を裏切る一族(奥平貞能・信昌など)に分裂します。これは分裂とも考えられるし、お家を残す作戦とも考えられるそうですけど‥
武田を裏切った奥平貞能たちは、人質を残して作手から脱出し、滝山城を目指します。

奥平貞能は脱出に成功し、手勢200で滝山城に入りますが、武田軍5000は滝山城を落とすため、城の南麓の万足平に布陣します。

猪垣で有名な万足平。石垣好きさんにもおすすめです。


武田軍は滝山城を攻めるも、城は険しく攻めあぐねます。本多広孝・康重父子、深溝松平など徳川軍の援軍が到着したため、武田軍は作手に向けて撤退します。
奥平貞能は逃げる武田軍を追撃し、武田軍にたくさんの戦死者を出したとのことです。武田方の殿は武田方についた同族だったそうです。

滝山合戦武田方戦死者を弔った三つ石。石碑のおおきさとフォントの大きさにビビります。


武田方に残された人質は処刑されてしまいます。武田にとっては裏切った奥平憎しだし、奥平にとっても人質を残忍に処刑する武田憎しとなります‥

貞能は子の信昌に家康の子亀姫を迎えることになります。さらに信昌には長篠城が与えられ、長篠設楽原の戦いへとつながります。

鳶ヶ巣山砦の案内板


のち新城城を得て徳川譜代大名の一角を占めることになっていきます。

さて、登城口の目の前には奥平貞能の父、定勝のお墓があります。貞勝は武田につきますが、老齢のため、このあたりで隠居を許されたんだそうです。

奥平貞勝の墓。気心が知れた所で余生を過ごされてよかった。


それから、登城口がこんな小ぶりでびっくり。大人ならば屈んで入らなきゃいけないです。リュックは絶対引っかかります。

さわるな高電圧危険って書いてあるけど💦


そこから急登の尾根道を行きます。(ちゃんとした道はありません)結構身軽な私ですが、下山はしりもち一回つきました💦

かなりの急登で道はないですが、好きな感じです。

尾根上に出るとそこは南の曲輪だそうで、城趾碑がありました。南東麓が見渡せるけど、曲輪はほとんど自然地形で、砦というよりも軍道のようです。

南曲輪からの眺望。


城趾碑のえる南曲輪。アンテナが散らばってます。


そこから、北の曲輪、東の曲輪を経て、かっこいい二重堀切が現れます。堀切は北の作手方面に向けて作られていて、北からの敵を遮断しているようです。

カッコ良い二重堀切。


城域はここまでの説とまだまだ続く説もあるので、もうちょっと進んでみます。
正直、この城山の山頂部の方が広々としていて、先ほどの滝山城と想定される曲輪群の方がショボく見えましたが、このお城はお城というより、軍道に阻塞を施したようなものなのでしょう。険しい山容と徳川の後詰がすぐ来たので結果オーライですが、決して長居できるお城でなかったとおもいます。

細尾根の堀切。アップダウンしないでトラバースする方が怖い。

山麓に降りてきました。武田軍が布陣した万足平。そこから見上げる滝山城は険しくて、攻める気無くすのもわかります。そして万足平に5000もの武田軍が布陣しているのを山城から見下ろした奥平勢、その後追撃までするなんてすごい肝据わってんなあ〜

すごく切り立った城山の山容。

ちなみに長篠設楽原合戦のヒーロー、鳥居強右衛門はこのあたり、奥平領を走る宮崎街道を通って行ったとされます。

宮崎街道の道標


それにしても、先ほどの人質の仙丸たちや強右衛門、武田方の処刑のタイミングは早すぎますね。憎悪だけが残ってしまって、戦略的にも人質の意味がなくなってしまうのに、なんだか愚かやなあ、と思えてしまいました。それが戦国の世、他の国衆の裏切り防止にはなるかもしれないけど💦

鳥居強右衛門についての案内板

さて、行きに大きな看板で(天恩寺)とあったので、地元のおばちゃんに
(いいお寺なんですか?)
聞いてみると、
(昔の小学生は結構ここに遠足に来たわね、結構上がると立派やよ)
と言われ、
気になっていたので寄ってきました。
行ってびっくり!

足利義満建立の山門と佛舎。確かに一休さん感を感じる!


足利義満建立の山門、佛舎があり、猪垣と同じ整層積み仕様の江戸初期の石垣、そして長篠設楽原合戦前に家康も戦勝祈願したというお寺さんでした。

黒雲母片岩がキラキラで素敵な整層積みの石垣。


家康見返りの大杉


誰も人は居られなかったけど、好きな感じで眼福でした。
行ってよかった❤️

このところ、滋賀や三重ばかり出掛けていたけれど、愛知県でもまだまだ知らない良いところがあるなあ、と実感しました

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