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小谷城を水の手から攻めてきました。
土曜日は滋賀県の小谷城に行き(織田軍小谷城攻めで秀吉軍が駆け上ったとされる水の手道、横掛け道)をガイドツアーで回ってきました。
小谷城は2度目です。
1度目は、浅井氏居館があった清水谷から谷を登って、本丸などの主要部へ行き、二つの尾根にある曲輪群などをじっくり見学しました。面白くてウロウロしていたら日が暮れそうに‥💦
その時、清水谷奥では秀吉隊が小谷城攻めで京極丸まで攻め上がったとされる(水の手)の標柱を見ました。沢登りのような道ですが(険しそう、でも今度行く時はここから登りたい)と狙っていました。
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ただ、水の手の標識と京極丸虎口まで、テキトーに直登することだったらサルのような私でもできそうだけど(ゴールが目的じゃない感じもするし、ちゃんとしたルートを登りたい)と思い、ガイドツアーに参加しました。
まず河毛駅から小谷城戦国ガイドステーションまで歩き、そこで解説を受けます。
小谷城の大まかな造りと、姉川合戦後の落城までの流れで、とてもわかりやすかったです。
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1570年
姉川の戦い
織田・徳川連合軍が朝倉・朝井連合軍を破る
小谷城南の横山城を奪い、秀吉が守将
1572年
織田軍、小谷城目前の虎御前山に本陣をしく
1573年8月8日
秀吉、山本山城主阿閉貞征を調略
8月10日
急ぎ岐阜より来た信長、小谷城北裏の山田山に陣をしく
朝倉軍、木之本に着陣
8月12日
信長大嶽城を制圧
8月13日
織田軍、丁野城と中島城を制圧
8月14日
朝倉軍撤退、信長追撃。刀根坂の戦いで朝倉氏大敗北
8月17日
織田軍は朝倉氏居城一乗谷城を制圧
8月20日
朝倉景鏡の裏切りもあり、義景は自刃。朝倉氏は滅亡
8月26日
信長、虎御前山の本陣へ帰還
8月27日
総攻撃命令。
秀吉は水の手道の急斜面などから長政のいる本丸と長政の父・久政のいる小丸との間にある京極丸を占拠
流れはなんとなくわかっているつもりでしたが、チャンス到来からの信長のスピーディーさ、秀吉の的確さが神がかってるなあ〜と感じてしまいます。
ガイドさんによると、秀吉は三隊と後詰で京極丸へと攻めたそうで、3つのルートは水の手ルート、搦手、横掛け道と考えられているそうです。
秀吉さんは多分本隊みたいなもんだから、比較的楽な搦手ルートからかな?とのことでした。
そのうち今日は水の手ルートと横掛け道を通り、主要部の曲輪群も見学しました。
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水の手ルートはまずは沢登り。ここのところ雨が多かったので、沢も結構水がありました。
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途中いくつかの大きな井戸跡や水の手を監視する曲輪を見ることができます。
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古図で描かれている大野木屋敷跡に到着。
少し高低差はありますが、北からは横掛け道からもこの場所に通じています。
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搦手道にも重臣である大野木屋敷跡はあるのですが、水の手道、横掛け道を監視するような役割の曲輪だったのでしょうか。広さもあり、切岸には立派な石垣があります。
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大野木氏の子孫の方の説明を受けます。もともと浅井氏が姉川の戦いの後、すぐ滅亡しなかったのは、一向宗などの宗教勢力の強力なバックアップがあったからとのこと。宗教戦争的な要素も多分にあったみたいです。
小谷城の戦いが終わった後も織田軍対石山本願寺の対立は続きますね。
大野木屋敷跡からはガチの直登。あまり草木がないし、岩は滑り、結構大変です。
京極丸虎口到着。お弁当タイムです。
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そこからは尾根上の京極丸、小丸、山王丸、六坊と進みます。
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六坊からは横掛けの道で京極丸虎口まで戻ります。
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石垣があります。
京極丸からは中丸、本丸、桜馬場、番所。そして下山して河毛駅で解散でした。
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主要部をただ回るだけだと、浅井氏の滅亡、落城の悲哀をたっぷり感じてしまいます。
でも、今回みたいに攻め上がってみると、この武功により長浜城主になった、秀吉のサクセスストーリーのような気分になるのが不思議です。
ガイドさんのお話がホントに面白かったです。いつもは単騎攻城だし、緩急極まりなくマイペースすぎなんですが、ツアーもよいと思いました。またいろいろ参加したい。
もう一度一人で来てじっくり復習もしたいけど、水の手道はクマが危険なエリアみたいだからなあ。