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浜松を散策してきました(浜松城編)

お盆の最後にお父さんと浜松を巡ってきました。
行ったことのある史跡もありましたが、また新たな発見もあり、楽しかったです。

まずは頭陀寺城に行きました。
浜松城の前身、曳馬城の支城で、今川家の武将の松下之綱が城主。ここで木下藤吉郎が三年奉公したとか、幼少期の井伊直政が保護されたとも伝わるそうです。

頭陀寺の本堂裏にある直政、家康、秀吉像。特徴を捉えてて面白い!

近くの(さわやか)でお昼ご飯にしました💕
静岡県に行くなら食べるのをオススメされるハンバーグ屋さんで、中がとってもレアでオニオンソースが美味しいです。
いつも山城やランニングでは携行食(ナッツ、干し梅、黒砂糖)とかの私なので、こんなジューシーで肉肉しいランチ、超ハッピーです😃

オニオンソースが美味しいです。

浜松城へ。
浜松城は壮年期の家康が三方ヶ原合戦の敗戦など、色々学んだお城‥のイメージで、そうなんですけど‥
浜松城に今見ることができる石垣の多くを築き、天守を建てたのは豊臣政権下の堀尾吉晴です。

天守門の左右の鏡石。荒々しくてかっこいい😎


石垣とサイズが合ってないのが、ちょっと気になるけど、許す!


若き日の家康像。
浜松城時代は三方ヶ原敗戦など学ぶことが多かったたされます。

今川時代の浜松城前身、曳馬城。江戸時代になってからは米蔵などがある曲輪として使われたそうです。今は元城町東照宮となっていますが、曲輪間の空堀などの名残があります。

まだ市街地にくっきり残る曳馬城の曲輪間の堀跡。


大河ドラマの紀行で紹介されていた、椿姫観音堂へも足を伸ばしました。
曳馬城を守っていた亡き城主飯尾連龍の正室お田鶴の方は、家康に攻め込まれ、城兵や侍女18人と共に打って出て全員が討死しました。
戦場となったこの一帯に、家康はお田鶴の方と侍女を手厚く葬り祠を建て、築山御前が椿を植え、以後椿姫観音堂と呼ばれるようになったとのことです。

有名な浜松祭りの大凧は、飯尾時代に始まったんだだそうです。

それから三方ヶ原合戦の史跡を巡ることにしました。
犀ヶ崖古戦場。

犀ヶ崖。左側が深い谷。


三方ヶ原合戦で大敗した徳川軍が、野営する武田軍に一矢報いようと、犀ヶ崖に転落させ多くの死者を出した、というものです。
行くまでは
(ホンマかな〜?💦)と思っていましたが、街中に急に深い谷がある地形で、この辺りの地理に詳しくなければ有りうるのかな、とも思えました。
(犀ヶ崖に布の橋をかけて、それを見間違えさせた)と言いますが、あたりの地名も布橋でした。
崖を見学していたら白いタオルが落ちていたので、
(誰かおとしはったんかなー?)
というと
(布橋の遺構や)と返されました💦😆
この犀ヶ崖の近くには資料館、夏目吉信、本多忠真の顕彰碑があります。

三方ヶ原合戦を大敗し敗走した家康の身代わりとなった夏目吉信の顕彰碑。


三方ヶ原合戦で大敗し、殿を務めて討死した本多忠真の顕彰碑。


少し北上し、この辺りで開戦したという三方ヶ原古戦場碑を見学しました。

三方ヶ原合戦が開戦した場所と推定されます。

三方ヶ原合戦の敗戦で、弾力のある積極性を持つことの大切さや、短時間で勝敗を決する野戦の哲理を学んだんだそうです。むむ、難しい〜

井伊谷編に続きます☺️


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