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荒神山お城ハイクに行きました。

年度末は何かと忙しいですね‥。
けど隙あらば出掛けたいなあ〜‥で月曜日は滋賀方面に行ってみました。
でも、なんだか荒天の様相‥
💦(全国的にも強風だった日でした)

ちょっと変更して湖東平野の山塊・荒神山上の日夏城、荒神山城、などに低山ハイク行ってきました。
駅から荒神山に向かいますが、進むにも進めないような強風が吹いてきました。
(帰りは逆に風が押してくれるはずやんな〜?)とのん気に進みます。
まずは北の日夏城から。六角氏系のお城、途中から浅井氏のものとなっています。
水の神様が祀られている唐崎神社から登ります。

荒神山ハイキングコースの一部になっています。

ゲッー‼️
琵琶湖側は強風すぎて、尾根道を進んでると、知らない間にマフラーが飛ばされてしまいました💦
首が長い私にはマフラーやネックウォーマーは必需品。実はこの冬、電車で一つ忘れてしまったのだけれど、それは安物だった。
でも今回飛ばされたマフラーは兄弟からもらったモンベルのマフラーなので今でも辛いです😭
城趾の北側手前はえぐい登りです。天然のキレッキレの切岸です。

傾斜のエグい切岸。登るのはいいけど、降りたくない。
こんなとこから城、攻めたくないな。

城趾は書籍などでは遺構が薄いとのことですが、六角氏っぽい尾根を土塁に見立てたような曲輪造りがあり、喰い違い竪堀ありで、なかなか面白いです。

カッコいい喰い違い竪堀


麓にも居館跡があったとされるし、砦、物見のお城だったのでしょう。

コの字に土塁が巡る、主郭。木々がなければ琵琶湖がもっとよく見えるかな。

そのまま荒神山城へ。同じく日夏氏のお城といいます。
まず荒神山展望台。
強風で琵琶湖もすごい白波。なんだか湖水の色も三色になっています。お城として機能していたときは物見だった‥かもしれないですね。

曽根沼、琵琶湖が一望。


そのまま登って県下最大級の荒神山古墳。琵琶湖の海上交通に権力を握っていた湖東の長が眠っています。
(オレが死んだら琵琶湖の見えるあの山に埋めてくれ‥)って言ったのかなあ、とか勝手に想像します。

前方後円墳の後円部が前方に見えます。大きい!


石垣がちらほら見えるけど、古墳時代のものかなあ。
そして山頂の荒神山神社(荒神山城)、神社の石垣、苔むした表参道がとても素敵です。

火、かまどの神様とお祓いの神様が祀られています。
石垣、カッコいい!


寺の由緒記を読むと、
織田信長によって焼かれたが、井伊氏の庇護を受け、二回の大坂の陣では境内の竹を旗竿として用いたそう。また井伊直政はここに築城を考えていたとのこと。
(直政さんが長生きしてたら、もしかしたら第二の彦根城とかゴージャス隠居城になっていたのかもしれないなあ)と思ってしまいました。眺望も良いし、琵琶湖も近いです。 

うみ風渡る荒神山
山頂から。

そして下山して山崎山城へ行きます。荒神山の南尾根からポツンと落っこちたような小山です。

荒神山から見た山崎山


山崎山城も六角氏系でしたが、織田の近江侵攻により織田傘下になっており、下街道(朝鮮人街道)もお城を迂回するように曲がって安土城の北の抑えポジションを担ったようです。
織田信長が甲斐武田氏を滅亡させた際の凱旋時は最後の御茶屋(休憩所)だったそうです。

公園化されている城趾だけど、一部石垣は見ることができます。


そして広くはないけど、織田系プロデュースなのか、石垣造りだったよう。本能寺の変後はこのお城の運命も安土城と共になってしまったと考えられています。

石材を持ち出されたり、破城されたのか数段だけ残る石垣。


堀切の底から城塁の北川に回ると、裏込め石がびっしり。八幡山城?彦根城?などに大きい石材が持ち出されたとされますが、結構高い石垣があったんじゃないかと思えました。街道から見てカッコよかっただろうな。

石垣が持ち出されたのか、びっしり裏込め石が残る北側切岸。

帰りも期待したほどの追い風ではなかった💔けど、たくさんキレイな景色や城趾がみれて、行ってよかったです。


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