アディヤマンからの贈り物
イスタンブールに数日滞在して、次の場所へと向かうことにしました。
アディヤマンという街があります。トルコ南部の小さな都市で、人の名前ではありません。日本人にはあまり知られていないと思います。ぼく自身も今回行く理由がなければ、同様にその名前を聞く機会はなかったことでしょう。
イスタンブールから飛行機で約1時間半。東京から福岡とだいたい同じぐらいの距離を移動します。
到着した空港は、ターミナルビルがひとつだけの小さな場所でした。
以前、今回のトルコ行きにはすこし「特別な理由」があるという話をしました。
説明した通りですが、アディヤマンにはトルコ人の友人の家族が住んでいます。東京でその友人と会ったとき、彼から家族に向けたプレゼントを託されました。ぼくはその思いを引き継いでこの街にやってきたのです。
地図で見ると、この街はイスタンブールやアンカラといった大都市よりも、シリアに近いことがわかります。ここは2023年2月のトルコ・シリア大地震で大きな被害を受けた地域です。
地震によって、中心地の建物は次々と崩壊しました。
耐震強度が十分でなかったり、ずさんな設計で建てられたものも多かったそうです。崩壊を免れた建物も損傷がすさまじく、まるでゴーストタウンに建っているかのように人の姿がありませんでした。
市内至るところにテントがあり、どうやら仮設住宅として使われているようです。放置された建物と、そのすぐ横に置かれたテントの数々を見ると、想像していた以上に、地震からの復興が進んでいないように見えます。
それでも、パン屋さんや食料品店といった生活に必要なお店はそれなりに開いていました。子どもたちも含めて、たくさんの人たちが生活しているのがわかりました。
通りですれ違った少年たちは、ぼくを見るなり「日本人だろ?」と声をかけてきて、持っていたポテトチップスをおすそ分けしてくれました。本当にやさしい人たちだと感じました。
友人のお父さんが、空港まで迎えに来てくれました。
家族が住んでいる場所まで移動します。地震の後、彼らは住み慣れた街を離れ、現在は近くの小さな村に避難しているそうです。
市街地を出た車は、スピードを上げて大きな道路を進みます。しばらくして脇道にそれたころ、丘の向こうにポツポツと夜景が見えました。遠く街の明かりが輝いていて、すっかり日が暮れているのがわかりました。
ほどなくして村に到着しました。案内してくれた友人のお父さんを含め、ここで4人が暮らしています。そのうち1人はまだ1歳の赤ちゃんです。
建物はかなり質素で小さく、居間と台所のみで構成されています。もっともそれ以外にも、家の敷地に大きなテントが建てられていて、そこが家族の寝室として使われているようでした。
電気はありますが、水は貴重品です。蛇口をひねっても水がいつも出るわけではなく、予めくみおきしたものを使っています。シャワーはありません。トイレは家の外にある小屋で、いわゆるトルコ式のトイレです。インターネットは弱いか、あるいは全く繋がらない時間帯もありました。
ぼくがやってきたのはそういう場所です。
友人家族は、ぼくをとても暖かく迎え入れてくれました。
日本から託されたプレゼントも、無事に手渡すことができました。みな中身に興味津々です。さっそく袋を開け、これは何だ、どうやって使うのかと質問攻めにあいました。
お父さんはさっそく、中に入っていたスマホ用の無線イヤホンを使いはじめました。最初は操作が分からず戸惑っている様子でしたが、しばらくするとなんとか使えるようになりました。
家族とは、毎日一緒にご飯を食べました。
トルコは食材が豊富です。野菜が新鮮で、特にトマトときゅうりがよく登場しました。それ以外にも、肉、米、何種類かのパン、チーズやヨーグルトなどの乳製品、そして朝食には卵を食べました。どれも総じておいしかったです。
近くの遺跡に連れて行ってくれたり、親戚の人が住む家でお昼ごはんをごちそうになった日もありました。
トルコでは、誰かと会って話をはじめると必ず「チャイ」(紅茶)が登場します。家族の集まりでも、友人・知人とおしゃべりをするにも、決して欠かすことができない存在です。
「チャイ」というと、インド式にミルクや香辛料が入ったものを想像するかもしれません。しかしトルコのチャイはそうではなく、濃いめに煮出した紅茶をお湯で割り、そこに砂糖をたっぷり入れて飲むものです。日本での飲み方とさほど変わらず、ぼくたちの口にもよく合います。
お客さんとして招かれると、必ずチャイをいただきます。何度も何度もおかわりを勧められるので、1日に10杯以上も飲むこともありました。それほどまでに、トルコではどこにいてもチャイが出てきます。
1杯のチャイを片手に、ぼくは現地の人たちと非常に友好的で穏やかな時間を過ごすことができました。おいしいものがあると、自然とコミュニケーションが弾むものです。
彼らと過ごす時間は、とても印象的でした。
残念ながらぼくはトルコ語で話すことができず、また友人家族も英語を理解しません。そんな中でも、ぼくたちはスマホの翻訳アプリを使いながら徐々にコミュニケーションを取りました。
決して派手な生活ではありません。どちらかといえば質素で、そこにあったのは「ごくふつうの暮らし」でした。しかしながら、彼らの日常を垣間見ることで、友人家族のあたたかさや異国の地での異なる文化に触れられたことは、本当に重要な経験でした。
あるとき、窓の外からメエメエという声が聞こえてきました。外に出てみると、羊飼いたちが放牧していた羊を引き連れていたのです。大勢の羊が道路を悠々と歩いていく様子をただ見つめていました。
その時ぼくは、なんだかずいぶん遠くまでやってきたんだなと感じました。
彼らとともに過ごした4日間。
友人から託された「贈り物」を渡すため、はるか遠くに住む家族を訪ねるはずだった旅ですが、ぼくはその地で、ぼくが手渡したものよりもはるかにたくさんのものを受け取ったのだと感じます。
地震からの復興も進まず、また彼ら自身も大きな環境の変化を経験している中で、異国からやってきた人間に嫌な顔ひとつせず、あたたかく受け入れてくれたことは、本当にありがたいことでした。
最終日、ぼくは次の街へ移動するために村を後にしました。バスが目的地に着き、ひとりお昼ごはんを食べている最中、ぼくは彼らと過ごした村での時間を思い出し、少し涙を流していました。
4日間の出来事を言い表すことは、まだうまくできそうにありません。しかしながら、今回出会った彼らのように優しくあたたかい人たちのお陰で、この旅はきっと今までの中でも特別な体験に入ることでしょう。
それは間違いなく、ぼくにとっては「アディヤマンからの贈り物」だったのだと思います。
トルコでの旅も、気がつけば残り1週間を切りました。
親切で優しい人たちのお陰で、ぼくは本当にかけがえのない旅をすることができています。素晴らしい国です。
次の街での話もお伝えしなくてはいけません。また書きます。